ドイツの世界遺産51か所まとめ|歴史が詰まったスポットの数々とは?

ドイツの世界遺産51か所まとめ|歴史が詰まったスポットの数々とは?

ヨーロッパの大国、ドイツの世界遺産についてご紹介します。

ドイツは世界的に見ても数多くの世界遺産が登録されていますが、そのほとんどが宮殿や教会をはじめとする文化遺産です。それでもなお、ドイツに詳しい人には「何であのお城や教会は世界遺産じゃないの?」と思う場所も多いかもしれません。

歴史的な建造物には事欠かないドイツなので、これからまだまだ登録数が増える可能性は大いにあります。本記事ではドイツにある数々の世界遺産を解説しているので、ドイツ旅行の行先探しにもぜひご利用ください。

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ドイツの世界遺産51か所まとめ|歴史が詰まったスポットの数々とは?

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【ドイツの世界遺産①】アーヘン大聖堂

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ベルギーやオランダとの国境に近いドイツ北西部の街アーヘンにある大聖堂は、記念すべき世界遺産第一号なんですよ。1978年に登録されました。8世紀末にフランク王国のカール大帝が造営した宮殿教会に、後世に大聖堂部分が増築されたという特殊な構造をしています。

熱心なクリスチャンだったカール大帝は、当時のキリスト教において「8」が復活を意味する重要な数字であったことから、八角形のドームを作らせました。

カール大帝の遺体は大聖堂に埋葬され、その後の約600年もの間、アーヘン大聖堂は神聖ローマ帝国歴代皇帝の戴冠式が執り行われる神聖な場所となりました。みどころは、カール大帝の即位600年を記念して造られた「ガラスの家」と呼ばれる礼拝堂で、25mもの美しいステンドグラスがはめ込まれています。

【ドイツの世界遺産②】ロルシュの修道院とアルテンミュンスター

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ドイツの空の玄関口フランクフルト空港の真南、ヘッセ州の小さな街ロルシュに遺構が残るロルシュ修道院。764年頃に、フランク王国の貴族で領主であったカンコールとその母ヴィリスヴィンダによって建設されました。

アルテンミュンスターとは、「古い司教座聖堂」の意。三十年戦争でほとんどの部分が破壊され、現在は王の門と呼ばれる楼門と教会の一部を残すのみですが、カロリング王朝時代の建造物が残っているのは珍しく、1991年に世界遺産に登録されました。

ロルシュへは、フランクフルトのほか、ハイデルベルクやヴォルムスといった周辺の観光都市からも、鉄道で簡単にアクセスできます。修道院跡自体は普通の住宅街の中にあり、観光客も少なく閑散とした雰囲気ですが、その分ゆっくりと歴史散歩を楽しめますよ。

【ドイツの世界遺産③】ヴァイマル、デッサウ及びベルナウのバウハウスとその関連遺産群

美術や建築などに関する総合的な教育を目的に、ドイツ東部のヴァイマールに作られた学校「バウハウス」と、それに関連する建造物からなる世界遺産です。学校創設からおよそ70年後の1996年に、世界遺産に登録されました。

ドイツのモダニズム建築に重要な影響を及ぼしたバウハウスは、ヴァイマールからデッサウ、そしてベルリンの順に移転しましたが、最後のベルリンは末期のごく短い期間だけだったので、世界遺産には登録されていません。

なかでもデッサウの校舎は、20世紀の建築に最も影響を与えたデザインの一つといわれています。1925~26年にかけて建てられた、当時の最新技術が注ぎ込まれた建物で、コンクリートとガラスを多用したデザインは、100年近くも昔の建築とは思えないほどモダン!

外壁2面全部に、カーテンのようにガラスが使用されています。ヴァイマールにも、バウハウス大学本部棟をはじめ、世界遺産に登録された建造物がいくつかあります。

【ドイツの世界遺産④】ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ

メルヘン街道のクライマックスのひとつとして人気の、ドイツ中部の観光都市カッセルには、おとぎ話の世界そのままのような美しい公園があります。ベルクパルクとは「山の公園」という意味で、園内にヴィルヘルムスヘーエ城やレーヴェンブルク城、カッセルの象徴ヘラクレス像など華やかな施設が並び、文化や自然を調和させた造園芸術の傑作とも称されています。

公園の歴史は古く、1696年にヘッセン=カッセル方伯カールの手によって建設が始められました。

イタリアの建築家ジョバンニ・フランチェスコ・グエルニエロが手掛けた巨大な噴水は、ヘラクレス像の足元から75万リットル以上の水が自然な圧力によって52メートルの高さまで噴き上げるという仕組みになっていて、今なお「水の芸術」と高く評価されています。

この噴水は夏期に週2回稼働され、人工の階段状の滝を流れ下った水が、最後に勢い良く噴き上がるさまは一見の価値ありですよ!

【ドイツの世界遺産⑤】ベルリンのモダニズム集合住宅群

ドイツの首都ベルリンにある、モダニズム建築の代表と称される1910年から1933年に建てられた6つの集合住宅で、2008年に世界遺産に登録されました。20世紀初頭ヴァイマール共和国時代に建てられた、近代的な公共住宅群です。

ベルリンは、19世紀末から急速に発展し、それに伴い人口も増えていきました。なかでも工場労働者の住宅が不足したため、市は低所得者層向けの住宅建設を計画します。それが、ベルリンのモダニズム集合住宅群です。これベルリンの団地はヨーロッパだけでなく、世界中の集合住宅の様式に大きな影響を与えることになりました。

集合住宅群建築計画には、バウハウス(1996年に「ヴァイマールとデッサウのバウハウス関連遺産群」として世界遺産に登録)の初代校長ヴァルター・グロピウスをはじめとする、当時の一流の建築家たちが携わっています。しかもこれらの団地は今も現役!世界遺産に住んでいる人たちがいるなんて、さすがヨーロッパという感じですね。

【ドイツの世界遺産⑥】コルヴァイのカロリング期ヴェストヴェルクとキヴィタス

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ノルトライン=ヴェストファーレン州とニーダーザクセン州の境付近に建つコルヴァイ修道院は、フランク王国のカロリング朝時代、822年から855年にかけて建設されました。修道院の建物は三十年戦争でほぼ完全に破壊されて、その後バロック宮殿として再建されたもの。ですが、修道院聖堂の西側の塔を伴う建物は建設当時のままで残り、「西構え(ヴェストヴェルク)」と呼ばれています。

つい近年まで、コルヴァイはラティボル公爵(兼コルヴァイ侯爵)の私有地でした。今も、公爵家が市や郡と共同で運営に当たっています。

ヴェストヴェルクや旧修道院に18~19世紀の豪華な部屋や残り、また領主の図書館には75,000冊近い蔵書が収められています。2014年に、ドイツ39番目の世界遺産として登録されました。

【ドイツの世界遺産⑦】ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト

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大聖堂でおなじみのケルン郊外のブリュール駅前に建つアウグストゥスブルク城は、選帝侯でもあったケルン大司教クレメンス・アウグスト・フォン・バイエルンによって、18世紀初頭に建設されました。その後、城から2kmほど離れた場所に別邸ファルケンルストを、さらに両者の間に広大なシュロス庭園を造営。これら3点が1984年に世界遺産に登録されました。

クレメンスは選帝侯および大司教としては問題の多い人物でしたが、当時の天才建築家バルタザール・ノイマンに設計させたこれらの豪奢な建造物は、彼の数少ない功績に挙げられています。

内部はガイド付きツアーのみで見学できますが、日本語オーディオガイドがあるので借りると便利です。日本ではあまり知名度がない宮殿ですが、近年までドイツの迎賓館として使われていたのも納得の美しい世界遺産です。

【ドイツの世界遺産⑧】ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像

メルヘン街道の終着地、童話『ブレーメンの音楽隊』で知られる北ドイツのブレーメン。ドイツで最も美しい市庁舎のひとつと謳われるブレーメン市庁舎は、15世紀初頭にレンガ造りのゴシック様式で建築され、17世紀に北ドイツのヴェーザー・ルネッサンス様式で改築されました。

市庁舎の前に建つローラント像は、中世の叙事詩『ローランの歌』に登場する騎士ローラントを讃えるもの。教会に支配されない自由な町である事を表現し、ブレーメンの自由と市民権の象徴となっています。

第二次世界大戦でブレーメン市の六割が灰となりましたが、市民は市庁舎の外壁を囲って覆い、戦火から守り抜いたとされています。2004年に世界遺産に登録されました。

【ドイツの世界遺産⑨】古典主義の都ヴァイマル

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日本人にはヴァイマル共和国で馴染みの深いテューリンゲン州の都市ヴァイマル は、数百年にわたってドイツ精神生活の中心地に数えられていました。全盛期とされる19世紀初頭には、ゲーテ、シラー、そしてヘルダーという、ヨーロッパ精神史に燦然と輝く三大文人が、この地に暮らしていました。

「ゲーテの家」や「シラーの家」、アイゼナハ公妃アンナ・アマーリにゆかりの「寡婦宮殿」などの11件の建造物や公園などが、1998年に世界遺産に登録されています。

18世紀末から19世紀初頭にかけて隆盛したドイツ古典主義は、ギリシャやローマの古典時代を理想と考え、ゲーテとシラーによって、ここヴァイマルで確立をみたといわれています。そのため、ドイツ古典主義そのもののことを、「ヴァイマル・クラシック」と呼ぶこともあります。ドイツ文学に関心のある人なら、一度は訪れたい世界遺産といえるでしょう。

【ドイツの世界遺産⑩】クヴェートリンブルクの聖堂参事会教会、城と旧市街

ザクセン=アンハルト州にある人口2万5千人ほどの小さな町クヴェートリンブルクは、9世紀初頭にまで遡ることのできる、ドイツでもとくに古い歴史をもつ街です。

神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世の居城が置かれていたこともあるクヴェートリンブルクには、現在でも1200軒以上もの木組みの建物が残っています。中世の街並みがそのまま残す貴重な古都として、司教座教会、シュロスベルク(城山)、旧市街と共に、1994年に世界遺産登録されました。

日本人にはあまり馴染みのない地名ですが、ヴィペルティ教会の地下聖堂やミュンツェンベルクのマリア修道院、ライオネル・ファイニンガー美術館、木組みの家博物館、ステンドグラスと工芸博物館、蒸気機関車の運行もある狭軌鉄道の中部ドイツ鉄道とおもちゃ博物館など、たくさんの観光スポットがひしめき合う楽しい町です。

【ドイツの世界遺産⑪】ケルン大聖堂

フランクフルトの空港から列車で1時間、ドイツを代表する観光名所のひとつケルン大聖堂には、年間600万人もの観光客が訪れます。奥行き114m、幅86m、そして高さは157mもあり、40階建てのビルに相当する石造の巨大建築は、だいぶ離れて見ないとカメラに収まりきらないほど。

トリーア大聖堂、マインツ大聖堂とあわせてドイツ三大大聖堂とも呼ばれています。4世紀から小さな聖堂があった場所に増築を重ねて造られたものですが、途中焼失や資金不足による工事ストップを経験しながら1880年にようやく今の姿になりました。

内部にも見どころはたくさんありますが、2007年にモダン・アーティストのゲアハルト・リヒターによって修復された南側側廊のステンドグラスは、その斬新なデザインで話題を呼んでいます。この窓のステンドグラスは第二次世界大戦で破壊されたままでしたが、72色の吹きガラスをコンピューターでランダムに配置したものです。

鉄道のケルン中央駅の目の前にあるというのも観光のポイント。ぜひ533段の階段を上がって、その高さを実感してみてください。

【ドイツの世界遺産⑫】アルフェルトのファグス工場

ドイツ中北部の小都市アルフェルトにあるファグス工場は、20世紀初頭に建てられた靴型を製造する工場です。建設当時のドイツでは、レンガ造や石造の工場が主流で、工員にとっては薄暗く劣悪な労働環境でした。工場主のカール・ベンシャイトは、ヴァルター・グロピウスとアドルフ・マイヤーに設計を依頼し、世界初のガラス張りの工場を建設。明るく働きやすい先進的なファクトリーとして、「労働者の宮殿」とまで呼ばれたのです。

グロピウスは、すでにご紹介したバウハウスの創立者。今も現役のファグス工場は、初期モダニズムの重要な生き証人として、2011年に世界遺産に登録されました。ビジターセンターやガイドツアーのほか、建物の一部が誰でも利用できるカフェになっています。

【ドイツの世界遺産⑬】ローマ帝国の国境線

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古代ローマには、中国の万里の長城と似たような目的で築かれた防塁がありました。イギリスにある「ハドリアヌスの長城」が1987年に単独で世界遺産に登録されていましたが、2005年にドイツ国内で研究の進んできた「リーメス」が拡大登録され、現在の「ローマ帝国の国境線」となりました。

リーメスの総延長は約550kmで、東はドナウ川から西はライン川まで達します。一定間隔で大小の砦が配置されていたと考えられていて、現在大きなものだけで60以上もの砦跡が確認されています。大型の砦には100~1000人程度の守備隊が配置され、防衛・駐屯および関所の役割を果たしたと考えられています。

また20~30人規模の小さな物見櫓も、およそ300~800mの間隔で建てられていました。物見櫓の跡に至っては900箇所近くが確認され、うち約260箇所は、現在でも遺構が残っています。

長城に沿って歩くトレッキングコースなども整備されていますが、手軽に観光するならフランクフルト郊外のザールブルク城砦がおすすめ!発掘調査をもとに、1897年にかつてのリーメスの砦を復元したもので、当時の雰囲気を感じることのできる野外博物館となっています。

【ドイツの世界遺産⑭】デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国

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18世紀後半に、アンハルト=デッサウ侯レオポルト3世フリードリヒ・フランツによって造られた、ヨーロッパで初めての英国式庭園です。エルベ河畔の湖沼地帯に位置し、「ヴェルリッツの英国式庭園」とも呼ばれています。総面積は140平方キロメートル余りに及び、宮殿のほか大小100以上の建物が設けられています。

庭園内にはサイクリングロードや散歩道が整備されていて、市民の憩いの場になっています。また、園内の湖や運河をゴンドラやボートで巡るのも人気で、庭園というより森の中の小さな町を訪ねているかのような気分になります。

【ドイツの世界遺産⑮】ハンザ都市リューベック

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1143年に建設されたリューベックは、13世紀には商業都市同士の同盟「ハンザ」のリーダーとなり、繁栄を謳歌しました。17世紀の三十年戦争によってハンザ同盟は事実上解体しますが、自由を是とする都市の気風は伝え続けられ、市の正式名称は今も「ハンザ都市リューベック(Hansestadt Lübeck)」といいます。

旧市街には、「ハンザの女王」と称えられる数々の美しい建物が残り、1987年に世界遺産に登録されました。ブルク修道院、ペトリ教会から大聖堂までの区画、そしてリューベックのシンボルとなっているホルステン門が含まれます。また、小説家トーマス・マンの故郷としても知られ、代表作『ブッデンブローク家の人々』はリューベックの商家が舞台。旧市街にある彼の生家は、「ブッデンブローク・ハウス」という博物館になています。

【ドイツの世界遺産⑯】シュトラールズントとヴィスマールの歴史地区

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バルト海に面したシュトラールズントとヴィスマールの2都市は、ともに13世紀に前項のリューベックからの移民によって建設されたといわれています。リューベックと同じくハンザ同盟都市として栄えましたが、この2都市は三十年戦争後19世紀初めまでスウェーデン領となっていた歴史をもちます。そのため、リューベックとは異なる文化・歴史的背景を共通してもつ町として、新たに世界遺産に登録されました。

ハンザ同盟の最盛期とされる14世紀ごろの栄光と富が、両都市の旧市街にはっきりと見てとれます。代表的な建物は、シュトラールズントの市庁舎やヴィスマールのマルクト広場を囲むように建つ14世紀の階段状破風の家屋など。合わせて6つあるレンガ造りの教区教会を目にすれば、中世末期におけるゴシック教会建築の全体像がよく分かります。

【ドイツの世界遺産⑰】アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群

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宗教革命で有名なマルティン・ルターは、ドイツ中部ザクセン=アンハルト州の小さな街アイスレーベンに生まれ、そして亡くなりました。今では正式名称を「ルター都市アイスレーベン( Lutherstadt Eisleben)」というこの街には、17世紀末に再建された「ルターの生家」や世を去るまでの約1ヶ月を過ごした「ルター晩年の家」、洗礼を受けた聖ペトリ&聖パウリ教会、ルターの説教壇が残る聖アンドレアス教会など多くの見どころがあります。

他方、アイスレーベンの北東に位置するヴィッテンベルク(こちらもルター都市のひとつ)は、宗教改革のはじまりとされる「95ヶ条の論題」が提示された町で、ルターの活動の中心となったところです。生前ルターが住居として使っていたルター・ホールや説教を行っていた「町の教会」などがあり、これらルターの生涯にまつわる建造物群が、1996年にユネスコ世界遺産に登録されました。

【ドイツの世界遺産⑱】バイロイト辺境伯歌劇場

バイロイトといえば、世界中のワーグナーファンが集まる夏の音楽祭が有名です。第1回目のバイロイト音楽祭でワーグナーが1876年に『ニーベルングの指環』の全体初演を行う130年近く前、ブランデンブルク=バイロイト辺境伯フリードリヒ3世によって造営されたのが、このバイロイト辺境伯歌劇場です。

「ヨーロッパでもっとも美しいバロック様式の劇場のひとつ」と評され、外観・内装ともにほとんど当時のままで残っている貴重な宮廷劇場として、2012年に世界遺産に登録されました。

自ら書き上げたオペラ『ニーベルングの指環』にピッタリな上演場所を探していたワーグナーは、バイロイト辺境伯歌劇場の話を聞いて訪ねてきました。ところが、観客席の形状や規模が希望と違ったことから、翌年自身の劇場を建設する事にしたのです。これが、バイロイト音楽祭の舞台となる祝祭劇場です。どちらもドイツの文化史において重要な役割を果たした劇場といえるでしょう。

【ドイツの世界遺産⑲】マウルブロン修道院の建造物群

ハイデルベルクとシュトゥットガルトの間に位置する、丘陵地帯に建つマウルブロン修道院の建造物群は、現存する中世のシトー会修道院の中でも最も保存状態の良いものとされています。修道院の歴史は古く、1147年に設立されました。宗教改革後は、プロテスタントの神学校として利用され、現在も14歳から16歳の生徒たちが全寮制のこの学校で教育を受けています。

ノーベル文学賞を受賞したヘルマン・ヘッセも、一時期このマウルブロンの神学校に通っていました。とくに日本で人気の作品『車輪の下』も、マウルブロン修道院付属の神学校が舞台となっています。かつてのシトー会修道院が完全な形で維持され、中世の建築芸術を代表する存在であるという点が評価され、1993年に世界遺産に登録されました。

【ドイツの世界遺産⑳】メッセル採掘場の化石発掘現場

フランクフルトの南、ダルムシュタットの東に位置する小さな村メッセルには、約5000万年前の始新世の化石が4万点以上も発掘された、世界でも屈指の化石採掘スポットです。当時ここには湖があり、活発な火山活動によって生じたガスが付近の生物を幅広く死に至らしめ、湖底に無酸素の状態で堆積したことから、これだけ多種多様な化石が豊富に産出するのだと考えられています。

魚類や水棲昆虫、両生類はもちろんのこと、霊長類、鳥類、哺乳類、爬虫類など、ほとんどあらゆる種類の生物化石が出土します。さらには植物の幹や蔓、果実に花粉なども見つかっていて、この時代の生物相を知るのに重要な手がかりとなっています。

採掘現場に一般の人が入ることは、特別な企画ツアーを除いてはできませんが、展望台から発掘風景を見学したり、資料館で出土品を見ることはいつでもできます。

【ドイツの世界遺産㉑】ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラーとオーバーハルツ水利管理システム

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長々しいタイトルですが、要は古く鉱山業で発展してきた地域の包括的な歴史的遺構群です。ドイツ中北部の町ゴスラーの南には、10世紀ごろから1000年以上も続いていたランメルスベルク鉱山があります。銀を中心に、銅、錫、金、鉛などさまざまな金属を豊富に産出し、この鉱山の存在が、麓のゴスラーの繁栄につながりました。

貨幣鋳造権をもつ町として、ローマ帝国の経済を支えたのです。1988年に閉山しましたが、その跡は博物館となっていて、鉱山内の地下坑道などを見学できます。

鉱山のさらに南側にあるオーバーハルツには、採掘用のエネルギーを供給するのに約800年にもわたって使われていた水利システムがあり、2010年に拡大登録されました。人工池やダム、水路、隧道、排水施設など、新旧さまざまな時代の遺産が残っています。

こうして発展した鉱山の麓の町ゴスラーには、ドイツ国内のロマネスク様式のものとしては最大の皇帝居城(カイザープファルツ)やゴシック様式の市庁舎、今はホテルとなっているギルド会館、鉱山労働者のためのハーフティンバー様式の住宅などの歴史的建造物が見られます。

【ドイツの世界遺産㉒】僧院の島ライヒェナウ

ドイツとスイスの国境をなすボーデン湖で最大の島ライヒェナウ。9世紀以来、カトリック最古の修道会とされるベネディクト会の中心地として発展しました。聖ゲオルク聖堂と聖マリアマルクス教会、そして聖ペーターパウル教会の3つのロマネスク様式の教会があり、中世初期における修道院建築の重要な遺産と考えられています。とくに799年に創建された聖ペテロ&聖パウロ教会には、10世紀に描かれた『キリストの奇跡』の壁画が残っています。

本土から孤立したライヒェナウ島では、自給自足の農業体系を作り上げられ、民兵制度を採用するなど独自の社会と文化を守ってきました。今も野菜とワインの生産がさかんなことで知られています。島にある博物館では、ブドウ栽培などの農業や民族衣装についての紹介、修道院や民兵制度の歴史に関する展示などを見ることができます。

現在は本土との間は道路でつながっているので、簡単に行き来できます。2000年に、「ライヒェナウ修道院島」の名称で島全体が世界遺産に登録されました。

【ドイツの世界遺産㉓】ベルリンの博物館島

ドイツの首都ベルリンを貫流するシュプレー川の中州は、ペルガモン博物館、新博物館、ボーデ博物館、旧ナショナルギャラリー、旧博物館という5つの博物館が集まっていることから、通称「博物館島(ムゼウムインゼル)」と呼ばれています。これらの博物館は、合わせて広義の「国立ベルリン博物館」を形成していて、ベルリンを代表する観光スポットのひとつとなっています。

その歴史は古く1830年に遡りますが、第二次世界大戦で建物が被害を受けたほか、収蔵品の多くは戦火を避けて疎開を余儀なくされました。戦後はベルリンの東西分断と同じく、博物館のコレクションも東西に割れて保存されることに。ドイツの再統一後、ようやく博物館島の再興が行われました。一番有名なのはペルガモン博物館ですが、ここだけでも1日では足りないといわれるほどのコレクションを誇っているので、島内の博物館を制覇するには最低でも2日は必要かも?

お得な共通チケットもあります。歴史的にも文化的にも重要な文化複合施設として、1990年に世界遺産に登録されました。

【ドイツの世界遺産㉔】ムスカウ公園

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日本人にとっては不思議な感覚ですが、このムスカウ公園はドイツとポーランドの2国にまたがる庭園です。中欧では最大級のイギリス式庭園で、19世紀にヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵によって造られました。貴族でありながら造園家でも作家でもあったムスカウ侯爵は、イギリス旅行をきっかけに英国式庭園を設計。約30年もの歳月をかけて完成させました。

ムスカウ公園はナイセ川を跨いで広がっていますが、第二次世界大戦後に同川がドイツとポーランドの新しい国境と決められると、庭園も両国に分割されることになりました。その結果、ドイツ側が三分の一、残りがポーランドの敷地になっています。景観デザインが優れているというだけでなく、第二次大戦と冷戦、そしてその後の独波和解の象徴として、2004年に世界遺産に登録されました。

【ドイツの世界遺産㉕】レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ

ドナウ川とレーゲン川の合流点に位置するドイツ南東部の都市レーゲンスブルクは、古くローマ時代から交通の要衝として発展し、中世には一大交易地として栄華を誇った街でした。旧市街の見所は、ゴシック建築の大聖堂、ドイツ最古の石橋、レンガ造りの帝国議会博物館など。そのほか旧市街にある984もの建造物が、2006年に世界遺産に登録されています。

レーゲンスブルク旧市街から石橋を渡った先のドナウ川の中州がシュタットアムホーフで、主に13世紀の建造物が残る地区です。ここで世界遺産に登録されているのは、旧聖カタリナ慈善病院1つだけ。ですが、こちらも古い町並みの雰囲気を色濃く残しているエリアなので、趣のある街をのんびりと歴史散歩してみて下さい。

【ドイツの世界遺産㉖】ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群

ベルリン中心部から20kmほど郊外にあるブランデンブルク州の州都ポツダムは、数多くの宮殿が集まる観光地として知られています。もっとも古く、かつ有名なのは、1745年にプロイセンのフリードリヒ大王が夏の離宮として造営したサンスーシ宮殿(無憂宮)。哲人王と称されたフリードリヒ大王の酒肴を反映して、当時の王侯の宮殿としては大きなものではありませんが、それがかえって訪れる者にこの世の憂いを忘れさえる落ち着きを与えます。

また日本人にとってポツダムというと、第二次世界大戦時のポツダム宣言が思い起こされます。宣言が出されたポツダム会談が開かれたのが、やはりポツダムにある宮殿のひとつ、ツェツィーリエンホーフ宮殿です。英国カントリー風の木組みが美しい建物で、こちらも一般的なヨーロッパ大陸の「宮殿」のイメージとはやや異なっています。

ほかにもポツダムには、ロシア人入植地アレクサンドロフカやザクロウ地区の救世主教会、ポツダム中心街からハーフェル川を挟んだ対岸のバーベルスベルク地区など、世界遺産に登録されている街並みが広く散在しています。ぜひ1日かけてじっくりと歩いてみてください。

【ドイツの世界遺産㉗】ヴィースの巡礼教会

ドイツ南部、アルプスの麓の小さな村シュタインガーデンのヴィース地区には、白亜の教会がぽつんと佇んでいます。教会のはじまりは1738年。とある農婦がシュタインガーデンの修道士から木彫り「鞭打たれるキリスト」像が譲り受け、この像が涙を流したという噂が広まったことから、多くの巡礼者が集まり教会が建てられました。

農村の教会らしく外観はほぼ2色の素朴なものですが、中に入るとその壮麗な装飾に驚かされます。天井にはフレスコ画、内陣にはロココ様式の装飾が一面に施され、ヨーロッパ随一のロココ内装ともいわれるほどの高い評価を受けています。今なお年間100万人もの巡礼者や観光客を集めるヴィースの巡礼教会は、1983年に世界遺産に登録されました。

【ドイツの世界遺産㉘】アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群

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この世界遺産はドイツだけでなく、フランス、イタリア、オーストリア、スイス、スロベニアの6か国、計93か所にわたる複合遺産として、2011年に登録されました。杭上住居とは、湿地帯や湖の浅瀬にいくつもの杭を立て、その上に板を敷いて家屋を建てたもの。紀元前5000年頃~前500年頃の間にアルプス地方で営まれていたものと推定されていますが、こうした集落の人たちはとくに漁業を生業としていたわけではなく、山間部で農耕牧畜に適した土地を確保するための工夫と考えられています。

登録されている住居遺構のうち、7割近くは完全に、あるいは部分的に水没しています。ドイツ国内の杭上住居の遺跡は、バーデン=ヴュルテンベルク州のボーデン湖畔に9件、ミュンヘン南西のシュタルンベルク湖とその西のアウクスブルク南部に9件あります。とくにボーデン湖北岸のウンターウールディンゲンの杭上住居博物館では、その貴重な遺跡が修復・公開されています。今日では、ヨーロッパ最大の野外考古学博物館といわれるようになりました。

【ドイツの世界遺産㉙】カルパティア山脈などの欧州各地のブナ原生林群

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カルパティア山脈は、チェコとポーランドの国境付近からルーマニアまで続いていますが、東カルパティア山脈に属するウクライナとスロバキアにまたがるブナの原生林が、2007年に世界遺産に登録されました。その後、2011年にドイツ中部・北西部にある15箇所のブナ林が追加登録。2017年には東はウクライナから西はスペインまでの12か国にまたがる自然遺産群となり、登録名も「カルパティア山脈などの欧州各地のブナ原生林群」と改められました。

それらのなかでも、天然ブナ林が低地に現存しているのはドイツだけ!太古から変わらぬ豊かな生物相を育む森として、とても貴重な場所となっています。

ドイツ国内の天然ブナ林は主に北東部および中部に点在していて、リューゲン島のヤスムント国立公園やメクレンブルク湖沼地帯の中央部のミューリッツ国立公園、ベルリン北東のショルフハイデ=コリーン生物環境保護区にあるグルムシンの森、テューリンゲン州のハイニッヒ国立公園、ヘッセン州ケラーヴァルト=エーダー湖国立公園など15か所が登録されています。それぞれに際立った特徴と、おすすめの季節がありますよ。

【ドイツの世界遺産㉚】トリーアのローマ遺跡群・聖ペテロ大聖堂・聖母聖堂

ルクセンブルクとの国境に近いモーゼル川沿いの都市トリーアは、ローマ時代の植民市に端を発し、現在のドイツでもっとも古い街のひとつといわれています。市内には今もローマ時代の遺跡が点在していて、そのうち8件が世界遺産に登録されています。とくに、「黒い門」という意味の「ポルタ・ニグラ」や、ローマ都市といえば!の円形劇場および皇帝浴場などが、観光客にも人気です。

また、ドイツ最古の大聖堂とされる聖ペテロ大聖堂や、13世紀に建てられた聖母マリア教会も、構成要件の1つとなっています。少し足を伸ばせば、トリーア郊外のイーゲルにある高さ23mの円柱も、市内の8件と合わせて世界遺産に登録されています。特産のモーゼルワインを味わいながら、じっくりと古代観光を楽しみましょう。

【ドイツの世界遺産㉛】ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街

港町ハンブルクにある赤煉瓦の高層倉庫街は、19世紀末に造られた当時は世界最大級の倉庫群でした。外壁には階段を使わず外から直接荷物を上げ下げするための滑車が見られ、今も現役で利用しいるところもあります。今ではハンブルクきっての観光スポットになっていて、倉庫群の合間を大小さまざまな船で巡るクルージングツアーが、港の桟橋から絶え間なく発着しています。

現在の商館街(シュパイヒャーシュタット)は倉庫としてだけでなく、鉄道模型のジオラマがあるミニチュア・ワンダーランドやお化け屋敷のハンブルク・ダンジョンといったエンターテイメント施設や、お洒落なレストランやカフェなどとしても利用されています。世界遺産ではありませんが、倉庫街の先端に2017年にオープンしたコンサートホール「エルプフィルハーモニー」も、その斬新なデザインで新しいハンブルクの観光名所となっています。

商人達は倉庫だけではなく事務所も必要としたので、ハンブルクにはヨーロッパで初の商館、つまりはオフィスビルが建てられました。なかでも有名な建物はチリハウスです。チリからの硝石で財を成した商人が建てたもので、船の舳先を連想させる鋭角な角を持つ建物で当時ではとても珍しく注目を集めました。この倉庫街と商館街が、2015年に世界遺産に登録されています。

【ドイツの世界遺産㉜】シュパイヤー大聖堂

神聖ローマ帝国皇帝コンラート2世が自分自身の墓所とするために1030年から30年かけて造らせたドイツ最大級の大聖堂で、正式名称は、「聖マリア・聖ステパノ大聖堂」いいます。美しいアーチ式の天井や左右対称に配置された4本の塔などを備え、純粋なロマネスク様式の教本的な存在として、その後の教会建築に多大な影響を及ぼしました。

平面図ではラテン十字の形をしていて、全長134m、身廊の幅は37.62mあります。見どころはほぼ完全な形で残されている地下聖堂(クリプタ)で、ここに14世紀初頭までの歴代神聖ローマ皇帝やその妻たちが眠っています。1981年に世界遺産に登録されました。

もうひとつの見どころは、西側正面玄関前にある「大聖堂の水盤」と呼ばれる噴水のような巨大な石の盃です。かつて新任の司教はこの水盤をワインで満たして市民に振る舞い、市民は司教の健康を願ってこれを飲み干したといわれています。今でも春には「大聖堂ワイン祭」が開かれるので、この時期に訪れると面白いでしょう。

【ドイツの世界遺産㉝】ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂

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ハノーファーの南の郊外に位置するヒルデスハイムには、1020年に建てられた聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂があります。どちらも初期ロマネスク様式の重要な作品と位置付けられていますが、とくに聖ミカエル聖堂は、2つの大聖堂が背中合わせにくっついた形をしていて、ドイツの教会や大聖堂に見慣れているとちょっと不思議な感じを覚えるでしょう。

聖マリア大聖堂の見どころは、美しい金銀の宝飾品コレクション。そして聖ミカエル聖堂の見どころは、13世紀に描かれた巨大な天井画です。第二次世界大戦中は天井板を外して安全な場所に保管していたほど、貴重な作品なんですよ。

また、中庭にあるバラの木も有名な観光スポット。第二次大戦中の爆撃を生き残り、今なお毎年花を咲かせている樹齢1000年ともいわれる伝説の木で、ヒルデスハイム市の象徴にもなっています。ヒルデスハイムは旧市街にも情緒ある街並みが残り、ハノーファーから電車でわずか30分と、穴場のオススメ観光地です。

【ドイツの世界遺産㉞】ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献

20世紀の近代建築運動に多大な影響を及ぼしたル・コルビュジエの作品群のなかでも、とくに傑作とされる住宅、工場、宗教建築などが、2016年に世界遺産に登録されました。東京・上野の国立西洋美術館が含まれていることから、日本でもル・コルビュジエの名前が一気に知られるようになりましたね。構成資産の多くはフランスにありますが、ドイツでもシュトゥットガルトの「ヴァイセンホーフ・ジードルング」が登録されています。

ヴァイセンホーフ・ジードルングは、シュトゥットガルト郊外ヴァイセンホーフの丘に建設された実験住宅群です。1927年に開催されたドイツ工作連盟主催の住宅展覧会に出展された作品群で、ドイツを中心とする17人の建築家が参加し、モダニズム建築の実践の場となりました。そのなかのル・コルビュジエの作品は、「空中の直方体」という彼の思想を体現した白亜の建物で、残念ながら当時はジードルング(都市の人口急増問題を解決するための集合住宅)という目的にそぐわないとして批判の対象となったそうです。

現在は建物の一部が博物館となっていて、シュトゥットガルトの地下鉄U5の終点キレスベルク駅から歩いていくことができます。

【ドイツの世界遺産㉟】バンベルク市街

「バイエルンの真珠」あるいは7つの丘に建てられていることから「フランケンのローマ」とも称されるバンベルクの旧市街は、第二次世界大戦の戦災をほとんど被っていないことから、中世来の街並みを残す貴重なドイツの都市として1993年に世界遺産として登録されました。

バンベルクの歴史は10世紀にまで遡り、11世紀初頭に神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世よって大聖堂が造営され、その後たくさんの宗教関連施設が建設されました。それらの多くは、大聖堂を中心とするベルクシュタット(山の街)に集まっていて、バンベルクにはそのほか市民が住むインゼルシュタット(島の街)やゲルトナーシュタット(庭園の街)といった地区に大別されます。それぞれに1000年の歴史を刻む人々の営みが感じられ、この町の魅力を比類ないものに押し上げています。

また、バンベルクはビールの街としても有名。とくに独特の味と香りをもつラオホビール(「燻製ビール」の意)は、バンベルクの特産のひとつです。

【ドイツの世界遺産㊱】ライン渓谷中流上部

ヨーロッパを代表する国際河川ライン川。全長約1200kmのうち、マインツの西のビンゲンからモーゼル川との合流点コブレンツまでの約65kmほどが、「ライン渓谷中流上部」として世界遺産に登録されています。ライン川は先史時代より交易の重要な通路としての役割を果たし、両側に山が迫るこの付近は船にとって難所であると同時に、領主にとっては河関を設けるのにたいへん都合のよい地域でした。そのため、川辺には通行料の徴収を目的として多くの城が築かれ、今では重要な観光資源となっています。

夏期を中心に、ライン川クルーズで古城やブドウ畑の続く渓谷美を楽しみに世界中から観光客が訪れます。また、さまざまな伝説で知られるローレライも見どころのひとつ。クルーズ船がローレライの岩に近づくと、日本でもおなじみのローレライの曲が流れます。古城のなかには、現在はホテルとして営業しているところも少なくないので、立ち寄って中世騎士の気分を味わってみるのもオススメですよ。

【ドイツの世界遺産㊲】フェルクリンゲン製鉄所

ザールラント州の州都ザールブリュッケンの郊外に建つフェルクリンゲン製鉄所は、世界最初の産業遺産として知られています。19世紀末に建設され、製鉄技術の革新とともに工場も随時増築。ヨーロッパで最新・最大規模の設備をもつ製鉄所にまで発展しました。

第二次世界大戦では、約7万人もの戦争捕虜や周辺各国から連行された労働者が、工場での過酷な労働を強いられました。他方でフェルクリンゲン製鉄所は奇跡的に戦火から免れ、戦後すぐに生産を再開することができ、ドイツ地域の復興に大きく寄与することになりました。1986年に閉鎖されるとすぐに記念物保護指定を受けました。

今日では製鉄所見学の体験パークとして整備され、年間20万人を超える観光客が訪れています。大型機械を備えるブロワーホールや6基の高炉を擁する製銑エリア、珍しい斜行昇降機に30メートル近い高さがある炉口 など、貴重かつ巨大な産業遺構を体感することができます。

【ドイツの世界遺産㊳】ワッデン海

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ワッデン海は、オランダからドイツ、そしてデンマークにまでまがたる世界最大の干潟です。沖合には群島が列を成して並び、大陸との間は潮の満ち引きに応じて陸になったり海になったりします。年間数千万羽もの渡り鳥が中継や越冬に訪れていることからも、この海域がいかに豊かな生物相を保持しているかがうかがえるでしょう。

1997年には「三国間ワッデン海計画」が採択され、2009年に世界遺産に登録されました。ガイドツアーも行われていて、干潟の奥深くまで足を踏み入れたり、島まで歩いていくなんていう体験もできますよ。運が良ければ、砂地で日向ぼっこをするニガタアザラシにも出会えます。

【ドイツの世界遺産㊴】ヴァルトブルク城

現在のドイツのほぼ中央にある街アイゼナハを見下ろすヴァルトブルク城は、日本でもよく知られた2つの著作に大きくかかわっていることで有名な観光名所です。1つは、ワーグナーのオペラ『タンホイザー』。正式なタイトルを『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』といい、実際に行われていたというヴァルトブルク城での歌合戦の伝承を取り入れています。

もう1つは『聖書』。宗教改革のさきがけとなったマルティン・ルターは、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世の庇護のもとヴァルトブルク城に隠れ住み、ここで聖書のドイツ語訳に取り組みました。その部屋には、ルターが悪魔にインク瓶を投げつけてできたといわれる染みが残っています。

お城としての姿がよく残っていることはもちろん、こうした歴史の転換点や文学や舞台となったという点が評価され、1999年に世界遺産に登録されました。アイゼナハの街からはやや離れていますが、古城ホテルも併設されているので、歴史とオペラの聖地で1泊してみるのも良いですね。

【ドイツの世界遺産㊵】ヴュルツブルク司教館・その庭園群と広場

ドイツ観光の一番人気コースともいえるロマンチック街道。その出発点であるヴュルツブルクは、ドイツの空の玄関口フランクフルトから高速鉄道ICEで約1時間ほどの都市です。この街には、マイン川を挟んで丘の上のマリエンベルク要塞と、平地のレジデンツ(司教館)という2つの巨大建造物が座しています。いずれも、聖職者であるはずのヴュルツブルク大司教が建てさせてものだというから驚きです。

このうち後者のレジデンツのみが世界遺産となっているのは、バロックおよびロココ建築の泰斗であるバルタザール・ノイマンの最高傑作と評されているから。「緑の間」や「皇帝の間」など、目を見張る部屋がいくつもありますが、もっとも注目してほしいのは入ってすぐの「階段の間」。ここは柱のない広々とした吹き抜けとなっていて、世界一大きなフレスコの天井画を、遮るものなく見上げることができます。当時の建築業界からは「絶対に崩れる」と痛烈に批判されましたが、完成からおよそ200年後の第二次世界大戦の空襲で、街中が廃墟となるなか、この階段の間だけが無傷で残ったという逸話をもっています。

ロマンチック街道の旅へ出る前に、司教館とマリエンベルク要塞、そしてフランケンワインをしっかり堪能しておきましょう。

【ドイツの世界遺産㊶】エッセンのツォルフェアアイン炭鉱業遺産群

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かつて豊富な石炭と重工業でドイツの経済を牽引したルール工業地帯、その中心都市の1つがエッセンです。ルール川やヴッパー川沿いに数多くの炭鉱が開かれましたが、なかでも屈指の規模を誇ったのが、エッセン郊外のツォルファライン炭鉱。1986年に操業を停止するまでの135年間に、実に13もの採掘坑が設けられました。閉坑後にツォルフェアアイン財団が設立されると、直ちに施設の再利用と産業記念物の保存が決定されました。

数あるルール地方の炭鉱のなかでツォルフェアアインが注目されるのは、「世界一美しい」とまで謳われた第12採掘坑の立坑櫓の存在が大きく関係しています。当時の近代建築の先頭を走っていたバウハウスの流れを汲んだ設計で、幾何学的かつ実用的な佇まいを見せる鉄骨の櫓は、今やルール工業地帯全体のシンボルともいえます。

現在は生きた博物館として、操業当時の石炭の精製工程を体験できるようになっています。近代産業建築のモニュメントとして、現代デザインに今なお影響を与え続けています。

【ドイツの世界遺産㊷】シュヴァーベン・ジュラにある洞窟群と氷河期の芸術

続いては2017年に登録された世界遺産、「シュヴァーベン・ジュラにある洞窟群と氷河期の芸術」をご紹介しましょう。

登録されたのはドイツ南部、バーデン・ヴュルテンベルク州に位置しており、6つの洞窟が登録されています。こちらは約33,000年から40,000年前の人類が作ったとされる芸術が残されており、世界最古クラスの芸術とも称されています。

人類の文明史は古くとも数1,000年。33,000年~40,000年以上となると、地球は氷河期とも言われる時期にも当たります。原始的な生活を送っていたころの人類が残した芸術的な遺物。その世界遺産に相応しい希少性と言えますね。

【ドイツの世界遺産㊸】ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的国境遺産群

続いては「ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的国境遺産群」をご紹介します。

ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的国境遺産群とは、文字通り国境付近の世界遺産です。ドイツの北側ユトランド半島のうち北半分はデンマークの国境で、南側はドイツとなります。

かつて北部にヴァイキング(デンマーク王国)が定住したヘーゼビューという地から、南側にフランク王国となっていました。「ダーネヴィルケ」これを隔てるために作られた土塁で、そのまま国境となっています。

【ドイツの世界遺産㊹】ナウムブルク大聖堂

ナウムブルク大聖堂

2018年に登録されたナウムブルク大聖堂は、ドイツの中央から東寄りの都市であるナウムブルクに位置する大聖堂です。町はザーレ川沿いにあります。

その歴史は約1000年ほど前に遡るとされています。内装も12世紀のものであったりと古く、当時の傑作芸術がそのまま残っているのが特徴です。内装が美しいのはもちろんのこと、創造性豊かな芸術に触れられるのも魅力となっています。

【ドイツの世界遺産㊺】アウクスブルクの水管理システム

続いてご紹介する「アウクスブルクの水管理システム」は、これもその名の通り都市に古から残る水管理システムが世界遺産となったものになります。

世界遺産のある「アウクスブルク」はドイツの南側に位置する都市です。銀鉱山があり、鉱工業都市として栄えています。それとは別の顔として、水力によって発展した都市という一面もあります。

都市の水管理・治水は歴史上多くの対応例がありますが、時には命にも関わるなどいずれも重要なプロジェクトとなります。この世界遺産登録までされた水管理システムは、水力工学のパイオニアとして現在も活躍。町全体へ綺麗な水が届けられるシステムや、水力で得られるエネルギー。それら水にまつわる技術力を垣間見ることができるでしょう。

【ドイツの世界遺産㊻】エルツ/クルスノホリ鉱山地区

エルツ/クルスノホリ鉱山地区は、ドイツとチェコの国境地帯となっている山地です。中世に鉱山地区として栄え、技術力の向上に貢献したことから2019年に世界遺産に登録されました。

自然豊かな山地というイメージですが、鉱山地区としては中世ヨーロッパでもとても重要なエリアです。

【ドイツの世界遺産㊼】ゲルマニア・インフェリオルのリーメス

続いて紹介する世界遺産は「ローマ帝国の国境線 - ゲルマニア・インフェリオルのリーメス」です。一はドイツ・オランダにまたがります。

古代ローマ帝国はヨーロッパの大部分を国土としており、イベリア半島、アフリカや東欧の一部、現在のトルコ方面にも影響を与えていました。しかし現在のドイツに当たるゲルマニアという地方は独立を守っており、ローマからの侵攻を跳ね除けて独立を守り続けていました。

この時の、ローマとゲルマニアの国境が「ローマ帝国の国境線 - ゲルマニア・インフェリオルのリーメス」となります。侵攻のために軍事施設が多く作られていましたが、ローマ帝国の崩壊によって次第に忘れさられていくこととなります。

【ドイツの世界遺産㊽】ドナウのリーメス(西部分)

こちらの世界遺産も上述と同じく、古代ローマ時代の国境部分(リーメス)の世界遺産となります。

こちらはローマ帝国とゲルマニアの南側の国境、現在のオーストラリアやスロバキアあたりに位置する旧軍事要塞などを指します。両リーメスとも、登録年は2021年です。

【ドイツの世界遺産㊾】ヨーロッパの大温泉都市群

ヨーロッパは温泉・鉱泉の文化が古代から発展してきた地であり、長い歴史があります。特に18世紀から20世紀にかけてスパ文化が大きく発展し、「温泉都市」が各地に登場。これらが世界遺産「ヨーロッパの大温泉都市群」として登録されています。

登録された都市はチェコやオーストリア、フランスなどにありますが、ドイツからはドイツ皇帝やロシア皇帝にも愛された「皇帝のスパ」がある「バート・エムス」や、ローマ時代から鉱泉がある「バーデン=バーデン」。塩の産地である「バート・キッシンゲン」の温泉都市が登録されました。

【ドイツの世界遺産㊿】ダルムシュタットのマティルデの丘

ダルムシュタットのマティルデの丘は、ドイツ中西部にある都市ダルムシュタットに位置する、標高200メートル弱ほどの丘です。19世紀に一帯を治めていた貴族、ヘッセン大公などが造園や宮殿を建設。その後も多数の芸術家などを招いて芸術家村を作りました。20世紀初頭には国際的な展示会も開かれています。

20世紀のモダニズム建築、都市景観デザインなど景観美は抜群です。当時最先端の芸術を体感するのに相応しい世界遺産と言えるでしょう。

【ドイツの世界遺産51】シュパイアー・ヴォルムス・マインツのユダヤ人共同体遺跡群

シュパイアー、ヴォルムス、マインツのユダヤ人共同体遺跡群は2021年に世界遺産に登録された、ユダヤ人の遺跡群です。

ユダヤ人はヨーロッパで広く知られていたキリスト教徒ではなく、独自の宗教と世界観を持ります。このため独自の街を形成して生活する必要があり、その名残が現在も残っています。

◎まとめ

ドイツの世界遺産全41か所をご紹介しました。ドイツの世界遺産は歴史があって面白いうえに、ほとんどが見学可能なので観光のしがいがありますね。中世の城や宮殿が多いのも特徴ですが、旧市街まとめて世界遺産という都市もあり、できればその土地その土地で1日滞在して、のんびり散歩がてら見学できれば最高です。製鉄所、炭鉱、工場などちょっとかわった産業遺産も多いのがドイツの特徴といえるでしょう。

日本人との共通点が多いといわれるドイツ人の手になる歴史的建造物の数々は、日本人の感性に合うものが多いはず。ぜひドイツの世界遺産制覇にチャレンジしてみてください。

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