名称:佐賀県立名護屋城博物館
住所:〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
公式・関連サイトURL:https://saga-museum.jp/nagoya/
日本の中心といえば今や東京ですが、昔は佐賀県が日本の中心だったという説を知っている人は意外と少ないのではないでしょうか。佐賀県には豊臣秀吉が利用した名護屋城跡がありますが、名前から愛知県にあるものと思われてしまうこともしばしばあります。昔はここを拠点として秀吉がかの有名な朝鮮出兵を行いました。現在、名護屋城跡として観光地となっているので歴史を感じに行くのにぴったりです。
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【佐賀・唐津】名護屋城跡の観光ポイント。歴史博物館や朝鮮出兵陣跡を観に行こう
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名護屋城の歴史
名護屋城は、1592年(元禄元年)の開戦から秀吉が死んで諸大名が 撤退するまでの7年の間、大陸侵攻の拠点になりました。朝鮮へ出兵するには地理的にもそこへ近い方が都合が良かったと考えられます。城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模を誇っていました。それだけ大きなお城だったことからも、秀吉が朝鮮出兵に意欲的だったことがうかがえます。
規模が大きいのはお城だけではありません。人も全国から20万人以上集められたとされ、諸大名の陣屋は130以上構築されました。現在、名護屋城跡と23箇所の陣跡が国の特別史跡に指定されています。秀吉の時代は日本史の中でも人気の高い時代なので、歴女にも人気のスポットです。
まずは「佐賀県立名護屋城博物館」で予習!
直接名護屋城跡に行くのもいいですが、その前に知識を持って行った方がもっと楽しめます。まずは、佐賀県立名護屋城博物館で予習をしておきましょう。常設展示は「日本列島と朝鮮半島との交流史」と称され、秀吉の朝鮮出兵について深く知れるスペースが設けられています。かなり昔から近現代までの歴史が知れるようになっており、名護屋城以前の歴史もあります。飛行機や優秀なエンジンを乗せた船がない時代から人々が日本列島と朝鮮半島とを行き来していたこと、その中でどのような文化が生まれて発展していったかが学べます。
名護屋城が活躍した時代では、1592年から7年間にわたって行われた豊臣秀吉による朝鮮侵略(文禄・慶長の役/壬辰・丁酉倭乱イムジン チョンユウェラン)をテーマとしたコーナーがあります。こちらが常設展示の中核的存在です。名護屋城以後については、時代としては江戸時代以降の話となります。江戸幕府将軍の就任に際して朝鮮国から招かれた朝鮮通信使のことについてや、朝鮮時代の工芸資料、「誠信の交わり」を説いた雨森芳洲などを紹介しています。
歴史とは別に名護屋城跡や周辺陣跡の発掘調査の成果をご紹介するコーナーも用意されています。出土遺物である金箔瓦や陶磁器などを紹介してくれます。
秀吉も眺めた「本丸」の景色
本丸御殿跡より少し高くなった所にあったのが天守。五層(地階を加えると7階建て)の天守が聳えていたそうです。それを支えていた丸い礎石だけが残っています。ここからは各地から集まった大名の陣も俯瞰できたようですね。贔屓の武将がいた場所だけでも知りたいのですが;;#名護屋城 #天守 pic.twitter.com/Mjoi1LdPS6
— 由愛 (@tenjounoao_yume) October 6, 2016
秀吉も眺めたであろう本丸の景色は、残念ながらかつて立っていた五層七階の天守閣がないので拝むことができません。しかし、当時ほどの高さはなくてもその土地から見える景色は写真に収めるには十分で、平地でもそこから海が見渡せるようになっています。行くのであれば初冬がおすすめです。対馬を望むことができるので冬の晴れた日は撮影びよりでしょう。
現在、本丸御殿後では発掘調査が行われており、礎石(そせき)という建物の基礎となる石や玉石敷(たまいしじき)が確認されています。
わざと崩された石垣
とても大きなお城であったにもかかわらず、わずか7年でその役目を終えたという名護屋城。今ではわざと崩された石垣が残っています。修復しようと思えばできるのでしょうけれど、それが今も残っているのは当時の歴史をそのまま感じられるようにということで、破壊されたままの整備が続けられている状態です。当時の立派なお城の全盛期だったらこんな石垣だったのだろうな、など昔に思いをはせてみてください。
名称:名護屋城跡
住所:〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
公式・関連サイトURL:https://saga-museum.jp/nagoya/nagoya-castle/
周辺の諸大名陣跡も訪ねてみよう
名護屋城というと豊臣秀吉のお城というイメージが強くなったかと思いますが、諸大名がたくさん集まったということで、その周りにはその他の大名の陣跡もあります。今の福井県である越前の大名、堀秀治陣跡(ほりひではるじんあと)には御殿や能舞台の跡が確認されていて、名護屋城跡の付近では最も整備されている陣跡です。秀吉の甥にあたる木下延俊陣跡(きのしたのぶとしじんあと)も見られます。名護屋城の名護屋城の大手口を守る重要な場所に位置しており、現在は佐賀県立名護屋城博物館裏から見られます。
歴史に詳しくなくても誰もが知っているのが徳川家康でしょう。本陣跡があるので、その陣跡から確認された石垣や塀について知ることができます。それぞれの大名の得意分野や立場を生かした、様々な策略を持った陣跡であることがわかります。地図で見て近くを訪ねてみるのが良いでしょう。
◎アクセス
【JRを利用して行く場合】
福岡方面からであれば筑肥線にて西唐津駅で下車。その後道路を渡り、西唐津駅前バス停から呼子方面のバスに乗車。名護屋城博物館入口に直通のバスがあるのでこちらを利用するのが便利でしょう。
【バスを利用して行く場合】
呼子行きのバスに乗車。呼子から名護屋城博物館入口までのバスは、5本が運行されています。
【タクシーを利用して行く場合】
呼子からタクシーで5分。
【高速バス利用又は唐津市中心部からお越しの場合】
唐津市役所の隣、大手口バスセンターから、呼子線か値賀・名護屋線に乗車。
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