佐賀の歴史をひも解く!おすすめ歴史観光スポット13選をご紹介

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佐賀の歴史をひも解く!おすすめ歴史観光スポット13選をご紹介

佐賀県には教科書にも登場する吉野ケ里遺跡をはじめ、佐賀県の発展を象徴する唐津城などたくさんの歴史スポットがあります。かつてこの地にあった佐賀城の歴史を伝える歴史館や、佐賀県の歴史を知ることができる博物館など、とにかく見どころが目白押し!そこで今回は、佐賀県でぜひ訪れてほしいおすすめの歴史スポットを厳選して13ヶ所ご紹介していきます。

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佐賀の歴史をひも解く!おすすめ歴史観光スポット13選をご紹介

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1.「佐賀城本丸歴史館」

佐賀藩鍋島氏の居城として江戸時代はじめに完成した佐賀城は鯱の門と続櫓が国の重要文化財に定められ、さらに御座の間は探し重要文化財、全体が佐賀県史跡に指定されている、佐賀城本丸御殿を完全に再建築されたもっとも大きなスケールの木造復元物です。

本丸御殿を再現して建てられた佐賀城本丸歴史館ではこの場所の史学を知る事ができ、またその時代の人が生活の場とした45mの畳敷きの廊下、320畳の大広間を体験する事が出来ます。

ほかにもこの場所のバーチャル体験することができたり、大砲の弾を持ち上げることができたり、また歴史の偉人大隈重信の声を聴くことができる電話や寺子屋のような情報コーナーでは〇×クイズやゲームを楽しむことができます。県民の誇りとなるべく建てられたこの本丸歴史館は地域社会の交流と活動の場として発展し、佐賀の歴史の一部を体感できるスポットなのです。

2.「唐津城」

舞鶴城と呼ばれる唐津城はうみしろとも呼ばれ、海にそびえたつ石垣が有名です。1608年に築城し、寺沢氏、土井氏、水野氏、小笠原氏と城主も変遷していったこの場所は模擬天守と復元櫓、門に石垣と堀を再建した建物として今に残ります。

いずれも見学可能で佐賀県の戦国時代から明治時代までを知ることができ、また天守からは虹の松原などの絶景を望むことが出来ます。つまりこの場所は歴史を学びながら絶景や自然を見ることもできるスポットなのです。

また春には桜や藤の背景に唐津城天守閣を望むことができ、まるでその時代にタイムスリップしたかのような感覚を覚えることも出来ます。江戸時代の城下町の様子や唐津藩の歴史を知るコーナーが常設されていたり、企画展示が催されていたりと見どころ満載の唐津城は、城の外からも中からも楽しむことができるでしょう。

3.「佐賀県立博物館・佐賀県立美術館」

昭和45年明治百年記念事業の一環として開館した佐賀県立博物館は、この地域の自然や考古、歴史に美術に工芸、さらに民族と多岐にわたって資料を集め、調査と研究を重ねています。常設展では佐賀県の歴史および文化を紹介し、この土地で育つ子供たちにも広く浸透するよう教育に役立てています。佐賀県立博物館の開館から13年、佐賀県立美術館が県政100年記念事業の一環として開館し、2つの建物が並び立つことになりました。

美術館ではこの地ゆかりの季題現代絵画に彫刻、工芸に書などを収集、調査し、展示や紹介を通じて佐賀県の文化を広く浸透させています。そんな2つの建物に隠れるように建っているのが昭和48年10月10日完成の茶室清恵庵です。市村清の遺志により幸恵夫人から寄贈されたもので、現在茶会だけではなく作動研修などに使用されています。この3つの建物は佐賀県の歴史と文化を伝えるべき場所として成り立っているのです。

4.「佐賀市歴史民俗館」

佐賀遺産にも登録されている旧永森邸、旧久富家を擁する佐賀市歴史民俗館は歴史的建造物を間近で見ることができます。1997年の旧古賀銀行に旧古賀家、旧牛島家の開館をきっかけに、2000年の旧三省銀行に旧福田家が加わり、平成27年には旧永森家と旧久富家が新たに追加され、全7館で佐賀県の歴史が語られている場所です。

これらの建物は無料で開放されており、イベント会場やコンサート、展示会会場としても役立てられています。大正時代に建てられた洋風建築様式をのこす旧古賀銀行や旧古賀家、今宿町に存在した旧城下町で最も古い町家を再建築した旧牛島家、明治はじめに建てられた旧三省銀行、大正時代近代的和風建築としてすべての技術を結集した旧福田家は特に人気となっています。

さらに今後追加される旧森永家はたばこの製造を始め、呉服店へ変わっていったことで知られており、久富家は履物問屋の中に作業所があることで知られており、佐賀県の暮らしの歴史を知る貴重な資料の一つです。

5.「雄淵雌淵公園」

歴史ある古湯温泉と熊の川温泉に挟まれるようにあるのが雄淵雌淵公園。嘉瀬川河畔にある自然公園で一歩足をふみ入れると大小の奇岩に巨岩が年月を経て作り上げられてきたのだと清流の音に感じることができます。佐賀県の自然の歴史を知るにはぴったりのスポットで、遊歩道や橋を利用しながら園内を歩けば清流の音に癒しを受けることができるでしょう。自然が作り出した美しい景色を目にすることで、地球の歴史の一部を佐賀県に見ることができるスポットとなっています。

豊かな自然渓谷は昔の物語に出てくるような景色を見せ、時間の流れを忘れることができるでしょう。もちろんお子さんを連れて家族で散策することもできる公園なので、家族の憩いの場として時間を過ごすのもお勧めです。四季折々の風景を見せてくれる雄淵雌淵公園で大自然の息吹を感じてみませんか。

6.「吉野ケ里歴史公園」

歴史の教科書にも登場する吉野ケ里遺跡は紀元前5世紀~3世紀の弥生時代を学ぶことができる遺跡です。日本には数多くの遺蹟がありますが、吉野ケ里歴史公園は佐賀県の3つの町村に跨る最大規模の遺跡で、弥生時代に築かれたクニを示す集落や700年にもわたる弥生時代の変遷を見ることができます。出土品も有柄銅剣に硝子製の管玉等が有り、国の重要文化財に定められています。

集落だけではなく墓地や環濠、支配者層の住居地にまつりごとの場、歴代の王の墓や一般の人々の墓地に道具を作るための場所、倉庫群や市場に一般の人の住居などを今もみることができる。また古代の植物を知るきっかけにもなったり、出土品を見たりと日本の歴史の原点を知ることができます。12月にはライトアップイベントが開催されるなど、歴史を学ぶ小学生から大人まで体験や遊びを通して吉野ケ里遺跡を体験することができます。

7.「宝当神社」

宝当という何とも縁起のいい名前がついた宝当神社は実際に宝くじ当選者が出たということで知られるパワースポットですが、歴史ある神社でもあります。年間20万人の人が参拝する宝当神社は1554年信州で誕生した大友宗麟に仕えた野崎隠岐守綱吉を祭神としており、綱吉は才能を持って生まれ、憐みの情けを持ち、道義をわきまえた礼儀正しく勇気と力のある偉丈夫とたたえられた人物です。

草野城に迎えられた大友宗麟とともに草野城に入った綱吉でしたが、老人臣に追われ高島へ舟で逃れました。その後綱吉は高島で猛威を振るっていた悪者たちを満身創痍になりながら倒し、生き残った5人を許し諭したとされています。わずか32歳でこの世を去りましたが島民によって手厚く葬られ、製塩業によって島が栄えたことに恩義を感じ島民が宝当神社を建立し、石造りの鳥居を奉納したという歴史ある神社なのです。

8.「鶴の岩屋」

唐津の歴史を今に残す珍スポットとして知られるのが鶴の岩屋です。鶴の岩屋は唐津市の西端にありますが、目印となるにあんちゃんの里の碑があるので場所は分かりやすいでしょう。山肌に囲まれたお堂に入ると絶景を望むことができますが、さらに進むと2つの洞穴があり、左側に多賀大明神などが祀られ、右には石の階段があります。左の洞穴の石壁には5体の尊像が彫刻されており、正面には花が絶えない碑が建てられています。

また洞穴の右側を見るとおそらく弘法大使とされる立像が祀られています。鶴の岩屋は昔海岸や干潟で渡り鳥が多数訪れる場所でした。500年ほど前に訪れた修行僧はツルが舞い降りる姿から端霊宿る聖地としてツルと亀を彫り、衆生の長寿及び福寿を祈願したのが始まりです。鶴の岩屋は霊山として今も多くの人が訪れており、自然が作り上げた洞窟内には120体もの尊像が彫刻されているのです。

9.「高伝寺」

日本最大の大涅槃図を擁する高伝寺は700本の梅の木が見事に咲き誇ることで知られています。1000年以上の歴史を持つ高伝寺は鍋島家と竜造寺家の竹のような節目をもって伝えられており、研究が終わることはありません。本尊は薬師如来ですが、平安時代初期に活躍した円仁の作と言われており、最長とゆかりがあります。薬師如来は中世から近世までの歴史を知る証人であり、今も温かく訪れる人を見守ってくれています。

また大涅槃図は日本で2つしかないとされており、一般公開されるのは釈迦堂ご開扉抱擁の時だけ。その大きさは縦15.2m、横6mにもなる大掛かりなもので、京都東福寺の明兆が描いたものの模写です。幾度の修復をしてきた大涅槃図ですが、京都の絵師若井利左エ門の努力あってこそ模写が許されたもので、300年以上前から受け継がれる大涅槃図は今も多くの人の信仰の対象となっています。

10.「稲佐神社」

稲佐山運動公園南南西およそ200mのところにある稲佐神社は杵島郡東白石諸郷を守ってきた神社です。日本書紀にその名を見ることができ、多くの樹木の種を持って天下った五十猛命に大屋津姫命、つま津姫尊がつくしの稲佐山でスギや槇などを植えて育てたと言われています。

推古天皇の時代には百済国の阿佐王子がこの地に居を構え、父王と母の廟を建立、稲佐の神同様崇拝され、王子亡き後は里の人が3人を祀ったと言います。さらに806年には空海によって再興され、稲佐泰平寺を開いた際稲佐大名印が鎮守神として祀られ、一大霊所となったと伝えられている。稲佐神社はこのように日本が誕生したころから歴史を持つ神社で、文献でも推古天皇つまり聖徳太子の時代に名を見ることができる歴史ある神社なのです。稲佐の砦に仁王の足跡、石造りの趣ある鳥居やまばらな大きさからなる石段は歴史を感じさせてくれます。

11.「星巌寺五百羅漢」

仏像を見るのが好きと言う方に特にお勧めなのが星巌寺五百羅漢です。星巌寺は黄檗宗属の小城鍋島家歴代藩主の菩提寺として知られていますが、当時は新しい寺院の建立が許されていなかったため、晴気景福寺の跡に円通寺の末寺として建立されました。境内にある五百羅漢は様々な表情を訪れる人に魅せてくれますが、現存するのは200体ほどとなっています。

誰がいつ作ったのかは分かっていませんが、言い伝えでは江戸時代中期、三里・西川に住む石工平川徳兵衛の一族が造ったのではとされています。羅漢の表情は豊かで見る人を和ませてくれますが、竹林に囲まれたお寺ですから秋の紅葉は見事としか言いようがありません。風情と趣漂う星巌寺は回廊からの景色も絶景と多くの人に愛されているのです。行くまで2kmほどの山道を、様々なお寺を見ながら歩くのも楽しく、奥にある扉越しに見る鍋島家のお墓を参拝するのもいいでしょう。

12.「古湯温泉」

古湯温泉の歴史は秦の始皇帝の時代までさかのぼると言われています。秦の始皇帝から命令を受けた徐福がこの地を訪れ金立山にたどり着いてから浮世を忘れ暮らしているとき、湯の神がおきなに黄金のレイとなって山中の西北あたりに現れお湯を湧出すると言い残しました。沖永谷川のほとりにある岩間に湯が沸き出ているのを見つけ、庵を建てて湯守りとなったのが始まりです。

元禄時代に起こった大地震で城山が崩れたときは温泉がふさがりましたが、88年後に古湯村の住人によって再び堀りだされ現在に至っています。ここのお湯は傷がたちまち治るということでも知られており、鶴霊温泉や英竜泉、薬師如来に徐福泉など、ここには名所が点在しています。こうした佐賀の歴代の人々が築き上げてきた歴史を感じられる温泉スポットこそが、古湯温泉郷なのです。

13.「佐嘉神社」

八社詣巡りの一番社として知られているのが佐嘉神社です。旧佐賀藩主第十代藩主鍋島直正命に旧佐賀藩第十一代藩主鍋島直大命を主祭神とし、庶民の神様して知られています。佐嘉神社は貧窮していた佐賀藩を見た直正公が歩道薬古賀穀堂の意見を取り入れ、倹約令を施行、自らも実施することにしました。華美遊惰を禁止したものの、直正公はもともと持っていた十数か所の別荘を整理し、花見の場などに開放したのです。

そんな鍋島直正公は庶民の神様として崇められており、直正公の孫直映公が大正12年、神野の茶屋を神野公園として開放しました。さらに質素倹約と同時に貧農救済および班財政立て直しのために納入延期令を施行、地主の胃内の内を没収の上小作人に再分配し、利息は1割2分以上にしないものとしたことから、救農の神としても崇められ、さらに人材養成に力を注いだことから学問の神としても現在多くの人に愛されているのです。

◎まとめ

日本を築き上げてきた佐賀だからこそ見ることができる歴史がここにあると思えば、楽しいと感じられるのではないでしょうか。車で行くことができるところもあれば歩いて行くしかないようなところもありますが、中には温泉地のような疲れを癒やすスポットもありますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。

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