歴史を発見する喜び!定番・山寺と山形の穴場歴史スポット6選

歴史を発見する喜び!定番・山寺と山形の穴場歴史スポット6選

芭蕉も訪ねた険しい山々と神社、そして戦国を駆け抜けた武将たちと江戸の治世下の繁栄。滔々と流れる山形の歴史を飾る定番・山寺と、紹介されることの少ない穴場歴史スポットを合わせて紹介します。

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歴史を発見する喜び!定番・山寺と山形の穴場歴史スポット6選

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1.長い階段の果てに待つものは?「山寺」

蔵王国定公園の中にある立石寺、通称「山寺」は、山形県山形市の西の端にあります。隣の宮城県からも小学校の遠足で訪れるほどの有名観光地、歴史スポットです。参道の長い長い階段を登る途中に幾つもの奇岩岩壁やお堂などの歴史スポットがあり、周囲の景色も楽しめます。有名観光地ゆえ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という芭蕉の句に納得出来ないような人の多さで、蝉が鳴く盛夏にこの階段を登った芭蕉は忍者だったという説のほうに思わず納得しそうです。

しかし、階段を登りきって五大堂からの山形の豊かな田園風景を見眺めれば疲れも吹き飛びます。五大堂で風に吹かれて脚を休めてから、奥の院を見て、今度は階段を下りながら蝉塚などを周り最後に根本中堂を見るといった行程のほうが楽かもしれません。慈覚大師は遣唐使として唐に渡った人で、日本語、唐語、新羅語がわかるトリリンガルであった上にサンスクリット語で写経をするという才人でした。

「入唐求法巡礼行記」は今でも第一級の資料として扱われています。ちなみに山寺の階段は1015段、およそビル77階に相当するので、体調を整えていくことをおすすめします。

2.修験の地の仏教建築「羽黒山五重塔」

出典: ja.wikipedia.org

山形の歴史を語るとき「山岳信仰」は切っても切り離せません。山形では歴史スポットも山岳部にあるものが圧倒的に多くなっています。中でも山形県のど真ん中にある月山(がっさん)と湯殿山、羽黒山の出羽三山が有名です。日本の山岳信仰は山岳そのものへの畏怖から信仰が始まり、古神道や密教系の仏教と結びついて神仏習合の態を取ります。山形の出羽三山でも祀られている祭神は仏の化身(本地仏)ということにされてきました。

明治時代の神仏分離令まではその形態で多くの修験者などの密教系の信仰を集めていました。羽黒山でも明治時代に僧坊などは壊されて出羽神社(いではじんじゃ)となりますが、五重塔は壊されず残されました。これが国宝・羽黒山五重塔です。羽黒山には出羽三山の3社の神を併せて祀る三神合祭殿があり、そこへ向かう途中の木立に全高29.2mの純和風作りのこの塔が蕭然と立っています。神社に向かう途中に美しい仏教建築があるという、不思議な感じのする歴史スポットです。

3.米沢の鎮守野宮「白子神社」

出典: 髙橋義雄 / PIXTA(ピクスタ)

山形県米沢市は山形県南端の内陸部、福島県との県境に位置し、米沢牛やThinkPadの米沢生産モデルなどで有名な市。戦国から江戸初期にかけて、米沢は東北地方で非常に重要な役回りでした。

長井時広が1238年に現在の上杉公園の場所に米沢城を築いて以来、伊達氏、蒲生氏、上杉氏と領主が変わっていきました。上杉景勝が領主になっって以降は上杉氏の本拠地となり、関ヶ原前夜には上杉氏の所領は現福島県会津地方まで拡大しますが、景勝の重臣・直江兼続が徳川家康の機嫌を損ねてしまい、家康による会津征伐を引き起こしてしまいます。

北に向けて出兵した徳川方を見て石田三成らが挙兵したのが関ヶ原の戦いに繋がるわけですが、導火線に火をつけたのは米沢だともいえます。長井、伊達、蒲生、上杉と支配者が変わった米沢、そのすべての支配者から信仰された米沢の鎮守の宮である白子神社(しろこじんじゃ)。時代に翻弄された米沢の地を守護してきた神社は、一見の価値のある歴史スポットです。

4.2033年の復元を目指す「山形城」

山形県山形市のほぼ中央にある桜の名所・霞城(かじょう)公園は、最上氏の居城「山形城」があったところ。現存しているのは大手南門だけですが、山形市では2033年までに発掘調査と本丸北枡形を復元する計画です。山形城は南北朝時代の1357年、南朝側の寒河江大江氏などの抵抗を抑えるために派遣された新田義貞を討ち取った斯波兼頼(しばかねより)が築いたものです。

その後、斯波氏は所領の地名と同じ「最上」を名乗るようになり、関ヶ原以後に治世が固まると最上義光(もがみよしあき)がこの平城を全国で5番目の広さにまで拡張しました。義光の死後、家督争いの「最上騒動」などで最上家が改易。城主が変わるたびに石高が減らされ、この広い城の維持が困難になって、城の規模は縮小していきました。明治に入り、山形城は売りに出され山形市が購入します。山形市は陸軍の駐屯地をこの場所に誘致し、その際に残っていた櫓なども壊されてしまいました。

第二次世界大戦が終わると、山形城二の丸跡を霞城公園とし、ソメイヨシノが植えられて現在に至ります。発掘調査は必ずしも順調ではなく、発見されていない図面もあることから復元は危ぶまれていますが、山形城本丸も復元されることを期待したいですね。

5.かつては国内有数に銀山だった「延沢銀山遺跡」

山形県尾花沢市。山形県内でも地元以外の人に聞くと「尾花沢=西瓜」のようです。確かに西瓜の産地ではありますが、江戸時代には国内有数の銀の産地。そんなことを教えてくれる歴史スポットが「延沢銀山遺跡」です。

延沢銀山遺跡は、最上氏に仕えた山形出羽地方の覇者・延沢氏の居城「延沢城」跡、銀山の守り神「山神神社」、そして「銀山跡」の3つから。銀山は15世紀半ばに発見され、17世紀の江戸時代には石見、生野とともに三大銀山と呼ばれ、最盛期には約25000人が働いていた大銀山。

しかし、1689年に岩盤の大崩落が起こって廃山になってしまい、現在では坑道や疎水を含む東側の一部だけを見ることができます。銀山近辺は現在は温泉地になっています。延沢城址の本丸跡には天然記念物の大杉があり、延沢を小高い丘の上から見守っています。

6.山形きっての古刹「慈恩寺」

出典: ja.wikipedia.org

山形県の中央からちょっと東寄り、さくらんぼで有名な山形県寒河江市に山形屈指の古刹・慈恩寺はあります。「瑞宝山」という美しい山号は源頼朝と後白河法皇から与えられたもの。創建は奈良時代、聖武天皇のころの746年。それ以降、藤原摂関家、寒河江大江氏、最上氏などの庇護を受け、江戸時代には東北地方最大の御朱印地(江戸幕府に安堵された寺社領)を誇っていました。しかし明治時代の神仏分離令で寺社領は返上、修験禁止令で密教系の修験の諸行事が廃止されました。

現在は慈恩宗の本山となっています。奈良時代から続くお寺なので文化財となっている仏像も多く、本堂境内も史跡に指定されており、見どころ満載の歴史スポットになっています。毎年5月5日の一切経会(いっさいきょうえ)では重要無形民俗文化財に指定された日本四大舞楽のひとつ「林家舞楽」が舞われます。これを目指してゴールデンウィークに山形歴史スポット探訪なんてどうでしょうか。

◎まとめ

山形の歴史スポットは「山」にあります。観光するには車よりも徒歩をおすすめしますが、やっぱり疲れますよね。ほとんどのスポットにはお食事処があるので、おいしいものを味わいながらのんびりと、自然を満喫しながら観光しましょう。

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