西欧にも黄金郷として知られたアフリカの都!マリの世界遺産トンブクトゥ

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西欧にも黄金郷として知られたアフリカの都!マリの世界遺産トンブクトゥ

西アフリカのニジェール川中流域にあるマリ共和国中部の街トンブクトゥ。マリ帝国やソンガイ帝国の時代にサハラ交易で繁栄し、西欧からも「黄金の都」として知られる都市でした。16世紀以降は次第に衰退してしまいましたが、その独特の文化と歴史的建造物は「人類の歴史上重要な時代を例証するもの」として、1988年にユネスコの世界遺産に登録されています。

トンブクトゥが最も栄えたのは15世紀ごろ。サハラ砂漠の南側にあるトンブクトゥは、北方からキャラバンによって運ばれた岩塩と、ニジェール川の水路で運ばれてきた南部の金の交易が行われた場所。塩と交換された金は欧州へと運ばれ、黄金郷としてその名を轟かせたのです。

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西欧にも黄金郷として知られたアフリカの都!マリの世界遺産トンブクトゥ

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トンブクトゥとは?

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世界遺産のオアシス都市トンブクトゥは、もともとはサハラ砂漠を越えての隊商交易を生業とするトゥアレグ族の野営地でした。アフリカ中部の金や象牙と、砂漠の北から伝えられる岩塩や馬、鉄製品などとの交易が盛んになると、双方の交易品が集まる集積基地として発展。13世紀以降、現在のマリ周辺に興ったマリ帝国やソンガイ帝国の富の源泉となりました。

しかし、15世紀に大航海時代を迎え、アフリカ交易の中心が陸路から海路にシフトすると、トンブクトゥは急速に衰退することになります。1592年にはソンガイ帝国が、1645年にはマリ帝国が滅び、トンブクトゥはますます荒廃。19世紀にこの町を訪れたヨーロッパ人は、トンブクトゥを「泥の街」と表現しました。

トンブクトゥへのアクセス

トンブクトゥには空港がありますが、唯一就航していたエール・マリが2012年から休止しているため、現在のところ空路の利用はできません。

マリの首都バマコからは、途中のモプティを経由して陸路で行くことになります。バマコからモプティまではバスでおよそ8時間ほどです。モプティからトンブクトゥへは、車をチャーターするのが一番。そのほか、この地を流れる大河ニジェール川を利用する乗合船があるので、これを利用する方法もあります。

日本からバマコへ向かうのに最も便利なのは、エールフランスでパリを経由するルートです。日本から1回の乗り継ぎで行けるルートはこれだけです。

トンブクトゥのおすすめポイント①:ジンガレー・ベル

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世界遺産トンブクトゥの名前は今も歴史好きの人々を魅了しています。交易都市としてだけでなく、宗教都市としても発展したトンブクトゥには、数多くのモスクや神学校が造られました。トンブクトゥは町そのものが世界遺産として登録されていますが、観光スポットとして人気なのが、以下の3つのモスクです。

まずは、世界遺産トンブクトゥでも最古のモスク「ジンガレー・ベル」。高い壁やとげとげとした外観、そして狭い出入口は、モスクというより要塞と呼ぶ方が相応しいようにも感じます。14世紀前半にマリ帝国皇帝マンサ・ムーサの命によって建設されました。今は藁と粘土と日干し煉瓦でできていますが、当初は200kgの黄金が使われたといわれています。

トンブクトゥのおすすめポイント②:サンコーレ・モスク

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棘のある細長いピラミッド状のミナレット(尖塔)をもつサンコーレ・モスクは、もともとはマドラサ(イスラームの学校)として建てられたもの。こちらも14世紀前半に建てられたもので、アフリカで最初の大学ともいわれています。最盛期には学生数2万5千人を超えるトンブクトゥの知の殿堂でした。

現在の建物は近代に建て直されたもの。ピラミッド状のミナレットが特徴的で、世界遺産トンブクトゥと聞いてまず思い浮かべるものの1つとなっています。

トンブクトゥのおすすめポイント③:シディ・ヤヒヤ・モスク

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最後のシディ・ヤヒヤ・モスクは、3つのなかでは最も新しく、1440年に建てられました。ただし、現在の外観は1939年に整備されたもので、16世紀に修復されたミナレットが旧態を伝えています。

このモスクの正面の扉には、「世界の終わり」まで開かないとされる伝説がありました。しかし、2012年に過激派組織アンサール・ディーンによって破壊されてしまいました。

◎まとめ

現在トンブクトゥを含むマリ中部および北部には、外務省の退避勧告が発令されています。どのような理由であれ、この地域へ渡航することはできません。

トンブクトゥは2012年に過激派組織アンサール・ディーンに占領され、その際に偶像崇拝の禁止を口実に多くのモスクや聖廟が破壊されました。翌年のフランス軍の空爆によってトンブクトゥは奪回されましたが、治安が回復しているとはいいがたく、危険な状態が続いています。

世界中の観光客に人気のトンブクトゥを、再び自由に訪れることができる日が来ることを期待ましょう。

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