名称:泰勝寺跡 立田自然公園
住所:熊本県熊本市黒髪4-610
公式・関連サイトURL:https://goo.gl/rZXJsh
熊本には様々な歴史文化が息づいています。時代によって影響を強く受けた場所が県内各地に点在しているのです。その場所でしか感じられない、歴史や文化を今に伝えているような場所があるでしょう。若い人を中心に歴史に興味を持つ人が増えた現代だからこそ、これらの歴史スポットを巡ってみるのも良いかもしれません。今の日本がどのような先人の苦労によって成り立って行ったかを改めて確認することができるでしょう。
歴史スポットの中には、今まで知らなかったような観光スポットも。気にも留めなかったような場所が、実は重要な歴史舞台だったという事もよくあるのです。観光客があまりいない穴場スポットも多いので行ってみる価値がありますよ。
目次
歴史に想いを馳せる旅。熊本の古き良き歴史が息づくスポット10選
目次を閉じる
1.細川忠興とガラシャが眠る「泰勝寺跡 立田自然公園」
熊本市の中心地からほど近い場所にある泰勝寺跡 立田自然公園は、熊本の歴史と自然が残る場所でもあります。戦国時代末期の肥後藩をまとめたキリシタン大名 細川忠興とガラシャ夫人の事をご存知の方も多いでしょう。今は静かに眠っている細川忠興とガラシャ夫人ですが、激動の時代を生きた人として熊本でも有名。こちらの泰勝寺跡 立田自然公園には忠興とガラシャ夫人の他に細川家初代藤孝夫妻の霊廟があり、今も大切に祀られています。豊後街道からの参道も現在に残されており公園内には苔園や茶室の仰松軒が現存し、江戸時代の名残を感じることができるのです。
歴史好きな人や静寂の時間を過ごしたい人に人気となっている場所で、熊本の歴史の根源があります。そびえたつ杉並木を眺めると数百年前の人々の感覚を味わうことができるかもしれません。
2.西南戦争の激戦地「田原坂公園」
明治10年に起こった西南戦争は、西郷隆盛が盟主となり起こした国内最大の内戦で田原坂はその激戦地でした。西南戦争は、鹿児島・宮崎・大分・熊本で戦いが繰り広げられ、その中でもドラマにもなった田原坂の戦いは今も語り継がれているのです。
1日に使用した銃の弾薬の数が30万発以上、官軍だけで死者が100名以上だったといわれ、その壮絶な戦いぶりが思い描けます。今でも田原坂公園を散策すると薩摩軍の抜刀隊が木の陰から飛び出してくるのではないかという気配さえあるようです。西南戦争の戦いを今に伝えるため、公園内には田原坂公園資料館があります。
様々な西南戦争時の資料が残されていますので、その当時の事を深く知ることができるでしょう。現在では、春に桜が咲く名所としても知られています。つつじの花も美しい公園ですので春に訪れるのも良いでしょう。
名称:田原坂公園
住所:熊本県熊本市北区植木町豊岡
公式・関連サイトURL:https://goo.gl/ebNML1
3.熊本の歴史を今に語り継ぐ「本妙寺」
天正13年、加藤清正公が父清忠公の為に建立したと言われている本妙寺は、天正16年に熊本城内に移されました。その後、慶長16年に清正公が亡くなると現在地に移されたそうです。それから約460年あまり2度の焼失を乗り越え現在の場所にあります。境内には仁王門を始め宝物館、大本堂、清正公の銅像などがあり、見どころ満載。様々な建物や美しい境内を眺めることもでき、歴史好き、寺院好きだったら一度は行きたい場所でしょう。近年は若い女性が本妙寺を訪れる機会が増えているようです。
途中には茶屋もあるので、階段で疲れたらお茶を飲みながら休むこともできます。中門を通ると宝物館が右手に見えて来るでしょう。宝物館には、清正公や秀吉公、細川氏の武具や刀等の宝物が展示されており、熊本の歴史を感じることができるでしょう。季節によって様々な行事も行われるのでそのような時期に訪れるのがおすすめです。
名称:日蓮宗六条門流肥後本妙寺
住所:熊本県熊本市花園4-13-1
公式・関連サイトURL:http://www.honmyouji.jp/
4.肥後細川藩の東屋があった「水前寺成趣園」
肥後細川藩、初代の殿様である忠利公は、鷹狩の時にこの地に来て水が湧くこの場所に茶室を作りました。綱利公の時代に大規模に庭園が建設され回遊式庭園が完成したと言われています。この頃は東屋もたくさんあり、殿様が足しげく通っていたようです。しかし、重賢公の頃には建物がほとんど撤去され樹木だけの質素なものとなりました。それぞれの時代に様々な改良がされ、少しずつ庭園の形などが変わっていったと伝えられています。その時代の殿様の威光で変貌を遂げた水前寺成趣園でしたが、明治11年に歴代藩主を祀る出水神社ができました。
数百年経った今でも水が湧いている風景は歴代城主も眺めていた風景かもしれません。現在は、歴史スポットとして、県民の憩いの場として、出水神社の境内として人々に愛される場所になっています。熊本市内からもほど近く、観光の合間に立ち寄る人も多い場所。
名称:水前寺成趣園
住所:熊本県熊本市中央区水前寺公園8番1号
公式・関連サイトURL:http://www.suizenji.or.jp/
5.当時の最先端治水技術が見られる「通潤橋」
上益城郡山都町にある通潤橋は今も現役で農業用水を運ぶ、アーチ形の水路橋。江戸時代、嘉永7年(1854年)に農業用水を白糸大地へ運ぶために造られました。橋の長さは78m、幅は6.8m、一番高い所で20m程あります。当時の肥後石工達が最先端技術を用いて造られているので、非常に優れている建造物として有名。先人の知恵や技巧を知るには通潤橋がピッタリかもしれません。歴史的建造物として知られているだけではなく、重要文化財としても国から指定されています。現在では、近くに道の駅もオープンし、多くの観光客が集まる観光スポットとして人気。
週末は駐車スペースに止められない程の観光客が訪れいつも賑わっています。不定期で放水が行われ、とても美しくダイナミックなので放水の時間を調べて行かれると良いでしょう。通潤橋と一緒に熊本の田園風景もご覧になれます。(熊本震災の影響により2016年5月17日から通潤橋放水は休止となっています。)
名称:通潤橋
住所:熊本県上益城郡山都町城原
公式・関連サイトURL:https://goo.gl/Fp61VL
6.明治の芝居小屋!国指定重要文化財「八千代座」
山鹿市のシンボル的存在として有名なのが八千代座ですが、明治44年(1910年)に建てられました。当時の旦那衆がお金を出し合って芝居小屋を作ったもので、大盛況が続いたのです。歌舞伎や新劇、邦楽やクラッシックコンサートなど様々な催し物が行われていました。しかし、徐々に衰退し昭和48年に閉館、昭和55年に山鹿市に寄贈されています。1986年から募金による八千代座復活の運動が行われ1989年から一般公開が始まり、様々な協力の元復活を遂げています。最初は募金のお金で屋根をふき替えて新生八千代座をアピールしました。歌舞伎などの演目が無い時は一般公開され、山鹿の歴史を感じる館内を見ることができるでしょう。
今でも地元の人々に根強く愛されている八千代座は、これからも様々な催し物が開催され人々が訪れる場所となるのです。
名称:八千代座
住所:熊本県山鹿市山鹿1番地1
公式・関連サイトURL:http://yamaga.site/?page_id=4000
7.世界文化遺産登録!日本の産業を支えた「万田坑」
当時の日本の産業を支えていた石炭を産出する為に造られた万田坑は、荒尾市から福岡の大牟田にかけてあった三池炭鉱関連の施設。1800年代の終わりごろに日本最大規模の万田坑堅杭が2つ作られました。当時の最先端技術を駆使して作られた杭だったため、現在もしっかりと現存しています。
1900年初頭は、万田坑が大活躍し、日本の産業革命を支え続けましたが、石炭から石油にエネルギーが変わったことで衰退していきました。1951年に三池炭鉱の石炭の採炭が終了し、万田坑も1997年に閉山したのです。ですが、国から重要文化財と史跡に指定されこれまで大切に保存されてきました。田坑ステーションでは当時の資料や写真で万田坑を紹介しておりとても好評。
名称:万田坑
住所:熊本県荒尾市原万田200-2
公式・関連サイトURL:https://goo.gl/t5g6hw
8.千年以上の歴史がある熊本の総鎮守「藤崎八旛宮」
承平5年(935年)に朱雀天皇の命を受けて創建されたと言われる藤崎八旛宮は、熊本の守り神として祀られています。1080年以上の歴史を感じる境内には様々な伝説が残っているのです。天皇からの勅使が藤の鞭を3ヵ所に埋めた所、一か所から芽が出たので藤崎宮という名前になったと云われています。境内には様々な朱色の拝殿があり、荘厳な雰囲気に包まれていて当時の繁栄を見ることができるでしょう。本殿・拝殿・楼門の他、神楽殿、能楽殿、回廊があり、他にも神様を祀る神殿が多数あります。
熊本県民はもとより県外からの観光客も多く訪れる、熊本を代表する神社仏閣の一つ。熊本に縁のある人の歌碑や神殿も多いので、境内の散策をゆっくりされる人の姿もよく見られるでしょう。藤崎八旛宮で定期的に開催される例大祭の際には、武者行列なども有名で70頭余りの馬も行列にでます。
名称:藤崎八旛宮
住所:熊本県熊本市中央区井川淵町3-1
公式・関連サイトURL:http://www.fujisakigu.or.jp/
9.レトロな港町の風景を味わうなら「三角西港(旧港)」
宇城市三角にある三角西港は、明治20年にできたモダンで美しい西洋風の港。三角西港は、明治三大築港の一つに数えられ、宮城県や福井県の港と並ぶ明治を代表する港。石工だけで延べ13万人以上の人たちが港の建設に携わったと言われていて、どれだけ大きな規模だったか想像がつきます。
三角西港の完成セレモニーでは、県内外から多くの人々がお祝いに駆けつけ、民宿や旅館は満室となり民家まで押し寄せたそうです。どれだけ当時の人が三角西港の完成を喜んだかという逸話にもなっています。
2015年に明治日本の産業革命遺産として世界文化遺産に登録されてからは、更に観光客が訪れる機会が増えました。現在は、当時の古民家の建物を保管していて誰でも見学できるようにしていたりレストランやお土産物屋さんがあります。白壁の土蔵のようなレストランからは、三角の海を眺めながらおいしい洋食を食べることができます。
名称:三角西港(旧港)
住所:熊本県宇城市三角町三角浦
公式・関連サイトURL:http://www.city.uki.kumamoto.jp/q/list/389.html
10.伝説が多く残る「天草四郎メモリアルホール」
上天草市は天草四郎の生誕地とされ、平成に少し前に天草史郎メモリアルホールがオープンしました。島原の乱を率いたとされる天草四郎(当時16歳)の足跡をたどるほか、当地に残る様々な伝説も紹介しています。宗教戦争であり、農民一揆だった島原の乱をなぜ天草四郎が率いることになったのか?天草四郎に関する様々な逸話も紹介されています。歴史的価値のある当時の資料も残されていますのでぜひご覧ください。独特の外観を持つ天草史郎メモリアルホールは、白い建物で丘の上にあり大きな存在感があるでしょう。
館内は空間と照明で多彩に展示物がレイアウトされ、数か国語のガイド端末がありますので外国の方にもおすすめ。映像や音も迫力があり、子どもでも理解できるような迫力ある体験ができるでしょう。天草四郎を敬愛される方や歴史好きの方なら来るだけの価値のある施設です。
名称:天草史郎メモリアルホール
住所:熊本県上天草市大矢野町中977-1
公式・関連サイトURL:https://goo.gl/ZeyzXc
◎まとめ
熊本の歴史を物語る場所は、熊本県各地に残っています。現在、当時の面影が残る場所もありますし、資料だけが残る場所もあるでしょう。近年、これらの歴史的な建物や場所が世界文化遺産として登録されています。多くの人が世界遺産登録などをきっかけに歴史遺産の場所を巡っているようです。観光客誘致の為、これらの歴史的スポット近隣の観光地化も進んでいます。これからは、更に歴史スポットの観光地化が進むかもしれません。
歴史が動いたその場所で、当時の人々の思いが理解できる事もあるのです。先人たちの知恵や思いに感動する事も多いので、興味がある方はぜひこれらの場所を訪れてみて下さい。
国内のエリア一覧
海外のエリア一覧
カテゴリー一覧
skyticketで最安値を確認!
-
航空券
-
レンタカー
-
ホテル
skyticketならこんなにおトク!