名称:吉備津神社
所在地:岡山県岡山市北区吉備津931
公式・関連サイトURL:http://kibitujinja.com/
岡山には観光してみたい歴史スポットが数多くあるので、歴史に焦点を当てて岡山を巡ると楽しい旅行になります。岡山は古くから日本の歴史に登場する街。大和朝廷とも関係があった大吉備津彦命をまつった吉備津神社は、岡山の歴史の原点です。もちろん、岡山城と、日本三名園のひとつである後楽園もはずせません。
江戸幕府の直轄地(天領)だった倉敷に残された倉敷美観地区。その倉敷美観地区で明治時代に創業した倉敷紡績所の跡地は、アイビースクエアに生まれ変わっています。備中松山城は、岡山県高梁市にある鎌倉時代からの歴史を感じられる城。さまざまな時代に関する幅広い史跡が岡山には残されています。
歴史を知って歴史スポットを巡り、さらに歴史を学ぶという素敵な旅行に役立つような歴史スポットを6選でご紹介します。
目次
1000年の歴史を反映!バラエティー豊かな岡山の歴史スポット6選
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1.岡山の歴史は日本の歴史 吉備津神社
吉備津神社は、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)をまつる山陽道でも特に歴史の深い大社です。大吉備津彦命は、第7代孝霊天皇の第三皇子とされ、吉備氏の祖先にあたります。日本建築の傑作「吉備津造り」の社殿は勇壮で、日本ではここでしか見られない独特の造り。室町時代3代将軍の足利義満が1405年に再建したものです。
また、大吉備津彦命は桃太郎伝説のモデルとしても知られています。地域を荒らしていた鬼ノ城に住む温羅という鬼を、大吉備津彦命が3人の家来とともに討ったという神話です。その温羅の祟りを鎮めるために、首を吉備津神社の釜の下に置きました。鳴釜の神事は、釜の鳴る音の大小長短で吉凶を占います。
日本の1000年の歴史を感じる旅にピッタリな岡山へ訪れてみてください。
2.岡山県の歴史があふれる日本の三名園のひとつ「後楽園」
岡山市にある日本三名園のひとつである後楽園は、江戸時代の初めに造営された池泉回遊式の庭園。岡山藩主・池田綱政の命により1687年に御後園(のちの後楽園)造園がはじまり、4年後の1691年には、家臣らの労をねぎらう宴が開かれました。その後も造園は続けられ、1700年に完成。当時は、岡山城の後ろにあることから「後園」または「御後園」と呼ばれていたようです。1771年には岡山藩の財政難で芝生を多くして、今の景観に改められました。
明治以降は、日を限定して一般公開がはじまりました。そのときに、中国の古書『岳陽楼記』にある「先憂後楽」から「後楽園」と改名。今では信じられませんが、第二次世界大戦中は食糧難で芋が栽培されていたそうです。また1945年の岡山空襲で、江戸時代から残っていた建造物が焼失。しかし戦後、公園として一般公開され、1967年にはすべての建造物が復元されました。
三名園それぞれを掛け合わせた表現として「雪月花の雪に兼六園」「月に後楽園」「花に偕楽園」と唄われています。そんな後楽園へ、日本の歴史にふれに行きませんか。
名称:後楽園
所在地: 岡山県岡山市北区後楽園1-5
公式・関連URL: http://www.okayama-korakuen.jp/
3.市民の憩いの場である烏城公園に歴史あり
岡山城は黒漆塗の板が特徴で、別名「烏城(うじょう)」。兵庫県の姫路城が「白鷺城(しらさぎじょう)」と呼ばれるのと引き合いに出される黒い城です。
岡山城は戦国時代に、宇喜多氏が近世城郭の基礎を旭川のデルタ地帯に築いたのがはじまり。その後、小早川氏、池田氏によって少しずつ拡大、補修されていきました。明治時代に建造物の多くは取り壊され、第二次大戦中の空襲で天守も焼失。本丸付近の石垣と内堀が江戸時代の名残をとどめ、空襲に耐えて残った櫓は国の重要文化財となっています。
岡山城(烏城)の城跡を整備した公園が烏城公園です。公園では春のお花見、夏の夜は園内ライトアップが美しい「烏城灯源郷」、秋の「菊花大会」など数多くのイベントを開催。博物館や図書館、後楽園にも近い場所で、観光客にも市民にも非常に親しまれている公園です。
名称:烏城公園
所在地: 岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
公式・関連URL: http://www.okayama-kanko.net/ujo/index.html
4.幕府天領だった歴史ある「倉敷美観地区」
岡山県倉敷市の倉敷美観地区は、江戸時代の初期から幕府の直轄地(天領)でした。瀬戸内海への物資輸送の集積地として栄えた歴史があり、倉敷川を利用した水路の周りには、白壁土蔵造りや塗屋造りの町家を中心にした町並みが趣深く残されています。美観地区のシンボル的な場所である倉敷川畔と、江戸時代の風景に出会える本町、歴史を現代に受け継ぐ東町などから成り立つ美観地区。明治時代になって天領ではなくなりましたが、1888年に代官所跡に倉敷紡績工場が建てられ、繊維の街として復興しました。
1969年に倉敷市の条例により美観地区として定められ、1979年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれました。倉敷駅からは、南口を出て正面の「倉敷中央通り」を15分ほど歩くと美観地区西側に到着。アクセスが便利で、気軽に立ち寄れます。
名称: 倉敷美観地区
所在地: 岡山県倉敷市中央・本町・東町・阿知
公式・関連URL: http://www.kurashiki-tabi.jp/
5.倉敷紡績の工場だった「倉敷アイビースクエア」
倉敷アイビースクエアは、倉敷美観地区の中にあるホテルを兼ねた複合商業施設。倉敷紡績が創業した工場を大改装した産業の歴史を伝える観光スポットです。
当時、天領として栄えた倉敷は、明治維新により繁栄から取り残されることになります。明治21年(1888年)にはその暗い状況から抜け出そうと工夫を凝らし、代官所跡に倉敷紡績(クラボウ)を創業。倉敷紡績で生産された繊維は倉敷川から出荷されました。戦後、役目を終えた創業当時の工場は、倉庫に利用されるだけでした。
しかし、高度成長時代に観光が盛んになり、昭和49年、レンガ造りを再活用してアイビースクエアに生まれ変わりました。アイビーとはレンガ造りの建物に絡まるツタのこと。情緒ある建物は明治からの産業の歴史が感じられます。国の「近代化産業遺産」にも認定された倉敷アイビースクエア を、ぜひご覧ください。
名称:倉敷アイビースクエア
所在地: 岡山県倉敷市本町7-2
公式・関連URL: http://www.ivysquare.co.jp/
6.鎌倉時代からの長い歴史を持つ史跡 備中松山城
備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)は、たいへん歴史が古い山城。標高430mの臥牛山(がぎゅうざん)の山上にあり、秀吉の水攻めでも有名です。江戸時代に建てられた天守や二重櫓などが国の重要文化財、城跡が国の史跡に認定されています。
備中松山城は1240年の鎌倉時代に、秋庭三郎重信がこの地域の御頭となり城を築いたのが起源。江戸時代もこの地で天守閣は守られ続けましたが、明治になると廃城令が出され、不便な場所にあった山頂の天守は放置されて廃れていきます。昭和初期になって、地元の高校教師の働きかけで復元の機運が高まり、修復工事を開始。1994年には本丸が復興されました。
今は岡山の歴史観光名所として、多くの観光客でにぎわっています。
名称: 備中松山城
所在地: 岡山県高梁市内山下1
公式・関連URL: http://www.city.takahashi.okayama.jp/site/bichu-matsuyama/
◎まとめ
ぜひ観光してみたい歴史スポットが数多くある岡山。その中からオススメを6選にまとめました。岡山の歴史は非常に古く、日本の神話の時代にも登場する街です。大吉備津彦命は古代大和朝廷とも関係が深く、吉備津神社という大社にまつられています。日本の三名園のひとつに数えられる後楽園へも訪れたいですね。その隣には岡山城があり黒い外観から別名を烏城といいました。烏城公園と一緒に、日本の三名園のひとつに数えられる後楽園を歴史散策してみましょう。
江戸幕府の直轄地(天領)だった倉敷美観地区も、川沿いの白壁が美しい岡山観光のベストスポットのひとつ。その倉敷美観地区のアイビースクエアは、産業の歴史を感じられるスポットです。岡山県高梁市の備中松山城は鎌倉時代からの歴史を持っています。この歴史スポット6選を、ぜひ岡山の歴史スポット巡りの役に立ててくださいね。
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