【2022年世界遺産】彦根城は今年も世界遺産候補!?注目スポットを徹底解説

【2022年世界遺産】彦根城は今年も世界遺産候補!?注目スポットを徹底解説

2022年に国内世界遺産は増えるのか?候補となっている彦根城にスポットを当てて、その魅力や観光情報をご紹介します。

彦根城は長年の間、世界遺産候補として指定されるその時を期待されている重要文化財です。城址史跡には復元された天守や櫓などが多いものの、それぞれ江戸時代から現存する建物として国宝・重要文化財として指定されています。当時から現存する天守は数少なく、日本国内において貴重な史跡の一つとなっています。

目次

【2022年世界遺産】彦根城は今年も世界遺産候補!?注目スポットを徹底解説

世界遺産候補「彦根城」とは?

彦根城は、滋賀県に位置し古く江戸時代から残る、天守閣が現存する大変貴重なお城です。

一般的にお城というと天守があるイメージが強いですが、戦国時代まで地域の防衛拠点という役割が強く天守のあるお城はそれほど多くありませんでした。戦国時代後半から現代のお城のイメージである「天守」が複数作られはじめ、江戸時代前期に建築が事実上禁止されるまで多くの天守が作られます。その内の1つが彦根城ということになります。

江戸時代から姿が現存する天守は西暦1606年に建築され、当時はまだ徳川家康が活躍していた時代でした。実に400年、現在に至るまで保存されていることになります。現在現存する天守はすべてで12城あり、その中でも彦根城は創建当時の姿を残した2城のうちの1城となります。

世界遺産に指定される可能性は?

彦根城は世界遺産として、30年の間次回登録される候補として名が挙がってきました。

彦根城は上述の通り、創建当時の姿を残す希少な文化財です。現存する天守12城のうち、このうち創建当時の姿で改修・保存され続けているのは2城のみ。もう1城は「姫路城」であり、こちらは世界遺産となっています。文化財としての重要度では既に世界遺産に指定された史跡と並ぶものとなっており、30年以上指定を見送られているとはいえ、依然世界遺産として指定される可能性はあります。

なお、沖縄の城(グスク)群や奈良時代の遺跡、萩の明治維新遺構など複数の遺跡群をまとめて世界遺産に登録されるケースも多く、彦根城に限らず彦根城周辺の史跡や施設を含めて世界遺産として登録される可能性もゼロではありません。2022年以降も30年以上越しの悲願達成があるかもしれません。

世界遺産登録への課題は?

彦根城の世界遺産登録について、文化財としての価値や重要度は十分にクリアしているものの、それでも登録が見送られているのには世界遺産登録に及ぶのが難しい課題があるのも事実です。

30年間世界遺産登録が見送られた背景として、同じ条件ながらも既に姫路城が世界遺産登録されていることが考えられます。もちろん希少価値の高さは彦根城も変わりませんが、同じく城郭として世界遺産登録されている姫路城との差別化が明確ではない点が評価の対象とされているようです。

ただし彦根城側も整った庭園などアピールポイントを増やし、より差別化が進み再評価されるかもしれません。

彦根城の見どころ

世界遺産候補の彦根城3

彦根城は彦根山に建てられた平山城であり、創建時の姿をそのまま映した外観はもちろん魅力的ですが城下の敷地内もしっかり整備されており、散策ポイントは豊富です。

城内には国宝指定の天守を中心に、同じく国宝指定の附櫓及び多聞櫓、重要文化財の太鼓門及び続櫓など複数の貴重な櫓が保存されています。

以下では国宝指定されている史跡や文化財などを含め彦根城の見どころについて記載しています。彦根城の詳細観光情報はこちらの記事でも記載されているので、合わせてチェックしてみてください。

国宝とされた彦根城天守

彦根城の天守は世界遺産登録はされていないものの、国宝指定されている事実に変わりはありません。

天守内に入城することもでき、城内では防衛用に用いられた鉄砲狭間や矢狭間などが複数個所にあり。上階では彦根の景色を一望可能で、かつてこの地を収めた大名と同じ景色を眺められるのが大きな魅力となっています。

なお城内で戦闘が発生した場合の備えがなされており、こちらも当時から変化がありません。敵兵を突き落とすための急な階段が用意されているので、城内散策は注意が必要です。

複数の櫓も文化財として注目

彦根城が作られた江戸時代初期は、城を防衛拠点として利用していた時代です。もちろん天守だけが防衛拠点として機能していたわけではなく、城全体が防衛陣地として利用されています。城を守るための設備、それが城内に複数ある櫓群です。

彦根城にある複数の櫓もそれぞれ、当時の面影を残すものとして綺麗に保存されています。

玄宮園

玄宮園は、彦根城の北東部に位置する庭園です。こちらの庭園は延宝5年、4代目の藩主である井伊直興によって造園されました。

この庭園は「近江八景」を模して造られた名庭園として、2015年には日本遺産として指定されています。日本国内でも有数の大名庭園、全体コンパクトなサイズながらも凝縮された美しさと魅力は必見ものです。彦根城を訪れた際は必ず立ち寄ってみましょう。

彦根城博物館

彦根を治めた大名は戦国時代、徳川家康の家臣として活躍した井伊氏です。井伊氏は徳川家の重臣として高い評価を受け、徳川幕府の中でもナンバーツーの役職だった「大老」クラスにも就任しています。徳川幕府末期、アメリカや西欧諸国に対して開国を進めた井伊直弼が知られています。

初代となった井伊直政公は、大河ドラマでも取り上げられる人気の武将。彦根博物館には直政公の纏っていた甲冑はじめ、国宝となった「彦根屏風」や井伊氏ゆかりの収蔵品や文化財など3万5千点が展示されています。見応えはもちろん、彦根城をよりよく知れる博物館。見学を終えるころにはより彦根城が好きになっているかもしれませんね。

彦根城・彦根の詳細関連情報

彦根市街

彦根城のほか、彦根のより詳細な観光情報をご紹介します。彦根に関係のある人物や、彦根城を訪れたい際には一緒に寄っておきたい彦根市内の名所などにも触れています。ぜひ参考にしてみてください。

彦根を聖地とする武将・偉人は?

彦根は戦国時代、交通の要衝として重要視される土地でした。従って、時の権力者から信頼の厚い重臣が配置されています。

彦根は前述の通り、徳川の重臣である井伊氏が治めた地です。井伊氏の初代藩主となった井伊直政は戦国武将の中でも人気があり、武田家旧臣を従えて武田家の伝統だった赤一色の部隊、「赤備え」を継承したことでも知られています。ほか、井伊氏では開国を進め「桜田門外の変」で倒れた井伊直弼も著名です。

徳川家康の時代から少し遡り、豊臣秀吉の重臣であった石田三成公もこの彦根の地に配置され、彦根城から近い佐和山城を拠点としています。近年では石田三成公の評価も高く、彦根もまた石田三成公の聖地として知られるようになりました。

市内には佐和山城跡も

前述の石田三成が拠点とした佐和山城も彦根市内にあり、現在は城址として残っています。佐和山城は石田三成本人が「この三成には過ぎたる城」と評価する名城であり、琵琶湖周辺の重要拠点である彦根を守っていました。

佐和山城は石田三成が関ケ原で敗れたのち、井伊氏が入城する際に「敵方が使っていた名城をそのままにするのは良くない」、として彦根城に移築され廃城となります。

廃城の際に徹底的に城を崩された結果ほとんど城の面影は残っておらず、ハイキングコースとしても難関。ただし石田三成の再評価や、名城と名高い史跡のため現在も訪れる方がいます。急な坂が多いため、訪れる際は十分に注意しましょう。

世界遺産候補「彦根城」まとめ

2022年の世界遺産候補、彦根城についてまとめました。300年前の面影を残し、令和のこの年まで残る国宝・彦根城。近年では世界遺産登録へのハードルが高くなっているものの、整備された庭園や貴重な文化財があることを鑑みれば世界遺産登録されてもおかしくない史跡と言えます。

すでに世界遺産となっている姫路城と並んで、日本が誇る古城として世界に紹介される日を楽しみに待ちましょう。

国内のエリア一覧

海外のエリア一覧

カテゴリー一覧

彦根でおすすめの記事

彦根のアクセスランキング