【skyticketスタッフの休日宗谷旅/後編】稚内の「稚内市樺太記念館」「氷雪の門」で40万人の故郷「南樺太」を想う

【skyticketスタッフの休日宗谷旅/後編】稚内の「稚内市樺太記念館」「氷雪の門」で40万人の故郷「南樺太」を想う

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この記事は「【skyticketスタッフの休日宗谷旅/前編】ANAプレミアムクラスで稚内!サハリンを臨む宗谷岬で平和を祈る旅…」の続きです。skyticketのスタッフが北宗谷・稚内を巡る旅、後編では「稚内市樺太博物館」、「北防波堤ドーム」、「ノシャップ岬」、「開基百年記念塔・北方博物館」、「氷雪の門」といったスポットを巡ります。日本人約40万人が暮らした北の地、樺太に関するものがたくさんありますよ。

※この記事中の料金・情報等は2020年10月時点のものです。

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【skyticketスタッフの休日宗谷旅/後編】稚内の「稚内市樺太記念館」「氷雪の門」で40万人の故郷「南樺太」を想う

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稚内市樺太記念館では北の国「樺太」へ渡った人たちの暮らしがわかる

稚内副港市場に位置する

稚内のさらに北、今はサハリンと呼ばれている樺太は北緯50度以南が日本の領土(南樺太)でした。1945年の終戦時にはおよそ40万人の日本人が暮らしていましたが、1945年、終戦間際にソビエト連邦(ソ連)が侵攻し、激しい戦闘が繰り広げられ、8月15日以降も戦闘は続きました。

結果として日本は南樺太を失い、暮らしていた人々のほとんどは北海道などに引きあげてきました。ただし、朝鮮半島から炭鉱での労働力として連れてこられたり、移住してきた朝鮮出身の人々や様々な事情があって引き揚げできなかった日本人など、サハリン(樺太)に残らざるをえなかった方々もいます。

この記念館では樺太からの引揚者の団体「全国樺太連盟」から寄せられた貴重な資料を展示しています。なお、入館料無料。

樺太のジオラマ地図

南樺太の中心都市は豊原市で、現在のロシアのサハリン州ユジノサハリンスク市の大部分にあたります。その他に真岡(まおか:ホルムスク)、大泊(おおどまり:コルサコフ)、本斗(ほんと:ネべリスク)、敷香(しすか:ポロナイスク)、恵須取(えすとる:ウグレゴルスク)などの町がありました。

主要な産業は漁業と林業で、パルプ工場はそのまま引き継がれ、ソ連時代も稼働していました。現在でもホルムスク(真岡)などでは、工場の廃墟の跡がそのまま残っています。

樺太の暮らしがわかる当時の映像

全国樺太連盟がアップした、樺太の日本統治時代当時の暮らしぶりがわかる貴重なyoutube映像をご紹介いたします。なお、戦前の映像のため、現在ではふさわしくない表現が一部あることをお断りしておきます。

稚内のさらに北にこのような楽園がありました。

旧国境標石のレプリカも

日露国境標石(レプリカ)

北緯50度線には国境線が引かれ、国境では日本からロシア、ロシアから日本への郵便交換業務も行っていました。当時は50度線上には国境を示す4つの標石が建立されていましたが、ここにあるのはレプリカ。本物はいずれも取り外されました。標石のうち1つはサハリン州立博物館にあり、1つは根室市にあります。残りの2つはサハリン州内の個人が所有。

貴重な資料も展示

貴重な資料の現物を展示 南樺太は観光地としても有名だった 樺太の鳥観図

樺太の地図など、興味深い資料の数々も展示しています。戦後、稚内には樺太からの引揚者が多数住み、稚内が町から市になる大きな要因になりました。

歴史に「もし」は禁物ですが、南樺太が日本のままだったらどうなっていたでしょうね。

北防波堤ドームは稚内から大泊を結ぶ連絡船が発着していた

美しいドーム型のアーチが特徴

出典: tkyszk / PIXTA(ピクスタ)

稚内と大泊を結んでいた

出典: hirame_ex / PIXTA(ピクスタ)

稚内と大泊(現在のコルサコフ)を結んでいた稚泊連絡船が発着していた北防波堤ドーム。北海道大学を卒業した建築家、土谷実氏が設計。前編で紹介した行き止まりの線路はここまで伸びてきていたんですね。古代ローマ建築物を思わせるデザインが特徴的です。

ここから多くの人々が樺太へと旅立っていったのですね。航路は1995年にハートランドフェリーの航路として稚内とコルサコフを結ぶ形で蘇りました。しかし今ではハートランドフェリーが撤退し、採算悪化で2019年は運休。2020年も新型コロナウイルスの影響で運休が続いています。

2020年現在で航路の再開見込みは立っていません。日本からサハリン(樺太)へ渡るには東京/成田か札幌/新千歳からユジノサハリンスク空港までオーロラ航空の航空便で渡る必要があります。

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ノシャップ岬

夕日が美しい場所である

出典: hearttown / PIXTA(ピクスタ)

宗谷岬とは宗谷湾をはさんで対岸にある岬。納沙布岬は根室市ですが、こちらはノシャップ岬。漢字で書くと野寒布岬となります。日本最北の水族館であるノシャップ寒流水族館があり、動物たちのかわいい姿が見られますよ。

また、夕日と利尻山が美しい場所としても知られています。夕方になったら訪れてみてください。

開基百年記念塔では利尻山の美しい姿を拝められる

開基百年塔を遠くから眺める

出典: NOBU / PIXTA(ピクスタ)

開基百年塔はビル8階分の高さ

稚内の小高い山にある開基百年塔。高さは80m。山の標高と合わせればその高さは250mです。開基は物事の始まりを示す言葉で、稚内のもととなった宗谷戸長役場が置かれてから100年後の1978年に建設されました。

晴れていれば利尻山の美しい姿を眺められますよ。実は北海道のお菓子「白い恋人」のパッケージの山は利尻山。運が良いと礼文島やモネロン島、サハリン、宗谷岬も眺められるかも。

冬季(11月1日~4月28日)は営業していないので注意。料金は大人400円、子ども200円。

開基百年塔1・2階の北方博物館もぜひチェックしておきたい

間宮林蔵の生涯がわかる

絵が展示してあり、なかなか興味深い

前編で紹介した通り、間宮林蔵はサハリンを島だと確認し、アムール川下流まで調査しました。その様子を示した絵や、測量した結果の地図が展示してあります。

アムール川下流では北方民族は中国(清)とも交易をおこなっており、その様子がわかる貴重な資料です。

南樺太に関するコーナーも充実

南樺太の地図 宝台ループ線のジオラマ

北方博物館の2階にも南樺太に関するコーナーがあります。豊原と真岡を結ぶ豊真線にあった宝台ループ線のジオラマが印象的です。

「南樺太の戦い」では終戦後も日本軍とソ連軍の激しい戦闘がこの付近で1945年8月22日まで行われました。

現在の宝台ループ線

出典: 寄稿者 sanexi/シャッターストック

地元の人から「悪魔の橋」と呼ばれる「宝台ループ線」

出典: VladimirE/シャッターストック

現在の宝台ループ線はこのようになっています。ソ連崩壊直後、トンネル内で崩落事故が起きたため一部区間を除き廃線になりました。

真岡郵便局事件「9人の乙女の悲劇」に関するコーナーも

真岡郵便局の悲劇

南樺太での戦いにおいて有名な真岡郵便局の悲劇に関するコーナーも。1945年8月の終戦後、真岡郵便局に勤務していた9人の電話交換手の女性がソ連軍との戦闘のさなか、最後まで任務を全うし、終戦間際に青酸カリを飲んで自決した事件です。「これで最後です。皆さん、さようなら、さようなら」は彼女たちの最後の言葉として知られています。

ホルムスクの郵便局と銀行が同一の建物

出典: 特急東海/wikimedia commons

ちなみにホルムスク(真岡)にある真岡郵便局の跡地は建て替えられ、ロシアになっても郵便局と銀行になっています。日本の郵便局は郵便貯金を行っていたので、銀行と郵便局が同一の建物なのですよ。

1989年に廃線になった天北線のコーナーもある

天北線の資料

こちらは音威子府(おといねっぷ)と南稚内、稚内を浜頓別経由で結んでいた国鉄(JR)天北線のサボ(行き先表示板)が展示されています。今の宗谷本線より天北線が先に開通しました。当時は天北線が宗谷本線を名乗り、旭川と稚内を結んでいましたが、のちに短絡ルートである幌延経由が宗谷本線になり、浜頓別経由は天北線と改称。

その後、国鉄分割民営化を経てJR天北線は1989年5月に惜しまれつつ廃止になりました。今は新旭川から北は接続路線のない宗谷本線も天北線をはじめ、名寄本線など様々な路線と接続していた時期があり、それを思うと現状は寂しいですね。

異国となった樺太で亡くなったすべての人を想う…稚内公園の「氷雪の門」へ

氷雪の門(晴天時)

氷雪の門は樺太で亡くなったすべての日本人の慰霊を目的として1963年に樺太島民慰霊碑として建設されたモニュメント。稚内の象徴です。顔は戦争で受けた苦しみ、手のひらを見せているのは樺太も家族も失ったこと、足はその悲しみや苦しさから早く立ち上がることを表現しているとされています。

1947年にほとんどの日本人が引き揚げてからはごく一部の墓参を除き、サハリン(樺太)島内に外国人が入ることはほぼ不可能でした。人々にとって樺太は遠い存在になってしまったのです。

しかし、ペレストロイカ後の1989年にツアーでサハリンを訪れることが可能になり、1994年には函館便が就航。現在ではユジノサハリンスク(旧:豊原市)に日本国総領事館も設置。ロシアのビザを取得すればサハリンを旅行することができます。

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9人の乙女の碑も

九人の乙女の碑も

先ほどご紹介した「9人の乙女」の石碑もたっています。彼女らにとっては樺太が自分の故郷だったのです。

約40万人の日本人が住んでいた南樺太。1945年から1989年まではおよそ40万人の故郷である目の前にある島に行くことができなかったのです。故郷を失った悲しみは想像を絶するものがありますよね。

昭和天皇行幸啓記念碑

昭和天皇も来訪された

昭和天皇行幸啓記念碑は、昭和天皇・皇后が1968年、稚内に行幸されたときに詠まれた歌が刻んである碑。九人の乙女の悲劇の話を聞いたときに涙を浮かべられたそうです。ちなみに昭和天皇は皇太子時代に樺太を訪問されたことがあります。

気になる稚内空港のお土産は?レストランもおすすめ!

稚内空港のANAFESTA

稚内空港にはANAFESTAがあり、お土産を購入することができます。また、レストランが1か所あります。ちなみにラウンジはありません。

稚内でしか味わえないノンホモ牛乳の「稚内牛乳」は、コクがありおいしかったです。そして、稚内では蒸しケーキにホワイトチョコをかけた「流氷まんじゅう」が人気です。また、利尻島が近いこともあり、利尻昆布も売られていますよ。

ANAFESTA稚内空港店では、「GoToトラベル」の地域共通クーポンも利用可能です。

稚内空港レストランで腹ごしらえ

味わい深い稚内空港のラーメン

帰りは普通クラスなので、稚内空港レストランの塩帆立ラーメンを食べます。塩帆立ラーメンは宗谷岬の「間宮堂」でも食べましたが、それに比べるとこちらの方がコクがありました。

食べ終えたらいよいよ東京に帰ります。また来ることを願って稚内を後にします。

旅を終えて感じたこと…

稚内から帰路へ

稚内を旅して感じたことは、「故郷を思う気持ち」の大切さ。コロナ禍で海外旅行はもとより、ふるさとに帰れない人々がたくさんいますが、故郷があること、帰る家がそこにあることのありがたみを感じることができました。また、宗谷岬のモニュメントたちを見て、平和の大切さも学べたことも大きな収穫です。

観光産業は平和な環境下でしか育ちません。戦争がない世界を願うとともに、コロナ禍の一刻も早い収束を祈るばかりです。

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