【北海道】稚内公園&稚内市樺太記念館の観光情報|南樺太を知る旅とは?

【北海道】稚内公園&稚内市樺太記念館の観光情報|南樺太を知る旅とは?

日本最北端の碑が建つ北海道稚内市の「宗谷岬」。ここから見えるサハリンは異国の島ですが、ここも1945年までは北緯50度線より南が「南樺太」として日本の領土でした。ここは沖縄と並び第二次世界大戦中に日本の領土内で地上戦が行われた場所で、戦後はソ連が統治、現在はロシアの実行支配下にあります。

南樺太が日本の領土であったことをはっきり知る日本人は年々少なくなっているのが現状ですが、「氷雪の門」がある稚内公園と稚内市樺太記念館にはそんな日本の統治下にあった南樺太の暮らしを知る施設がたくさんあります。

これらの観光施設で宗谷のその先にあった「ニッポン」の姿をぜひ覗いてみてください。

※この記事中の料金・情報等は2023年8月時点のものです。

目次

【北海道】稚内公園&稚内市樺太記念館の観光情報|南樺太を知る旅とは?

稚内市樺太記念館は北の国「南樺太」の様子がわかる観光施設

稚内副港市場に位置する

稚内のさらに北、今はサハリンと呼ばれている樺太は北緯50度以南が日本の領土(南樺太)でした。1945年の終戦時にはおよそ40万人の日本人が暮らしていましたが、1945年、終戦間際にソビエト連邦(ソ連)が侵攻。激しい戦闘が繰り広げられ、一般的に「終戦記念日」とされている8月15日以降も戦闘は続きました。

結果として日本は南樺太を失い、暮らしていた人々のほとんどは北海道などに引きあげてきました。ただし、朝鮮半島から炭鉱での労働力として連れてこられたり、移住してきた朝鮮出身の人々や様々な事情があって引き揚げできなかった日本人など、サハリン(樺太)に残らざるをえなかった方々もいます。

この記念館では樺太からの引揚者の団体「全国樺太連盟」から寄せられた貴重な資料を展示しています。なお、入館料無料です。

樺太のジオラマ地図

南樺太の中心都市は豊原市で、現在のロシアのサハリン州ユジノサハリンスク市の大部分にあたります。その他に真岡(まおか:ホルムスク)、大泊(おおどまり:コルサコフ)、本斗(ほんと:ネべリスク)、敷香(しすか:ポロナイスク)、恵須取(えすとる:ウグレゴルスク)などの町がありました。
※カッコ内は(読み仮名:ロシアでの名前)を記述。

主要な産業は漁業と林業で、パルプ工場はそのまま引き継がれ、ソ連時代も稼働していました。現在でもいくつかの町では、工場の廃墟の跡がそのまま残っています。

◆樺太の暮らしがわかる当時の映像

全国樺太連盟がアップした、樺太の日本統治時代当時の暮らしぶりがわかる貴重なyoutube映像をご紹介いたします。
※戦前の映像のため、現在ではふさわしくない表現が一部あることをお断りしておきます。

稚内のさらに北にこのような楽園がありました。

◆旧国境標石(日本とロシア)のレプリカも

日露国境標石(レプリカ)

北緯50度線には国境線が引かれ、国境では日本からロシア、ロシアから日本への郵便交換業務も行っていました。

当時は50度線上には国境を示す4つの標石が建立されていましたが、ここにあるのはレプリカ。本物はいずれも取り外されました。本物の標石のうち1つはサハリン州立博物館にあり、1つは北海道の「根室市歴史と自然の資料館」にあります。残りの2つはサハリン州内の個人が所有しています。

◆貴重な資料も展示

貴重な資料の現物を展示
南樺太は観光地としても有名だった
樺太の鳥観図

館内には樺太の地図など、興味深い資料の数々も展示しています。戦後、稚内には南樺太からの引揚者が多数住み、稚内が町から市になる大きな要因になりました。

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稚内公園の「開基百年記念塔」と「氷雪の門」

開基百年塔を遠くから眺める

稚内市の市街地から車で約5分、徒歩約20分の山の上にある稚内公園は広い敷地内に高さ「開基百年記念塔」、モニュメント「氷雪の門」といった施設があります。

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◆開基百年記念塔で利尻山の美しい姿を眺めよう

開基百年塔はビル8階分の高さ

稚内の小高い山にある開基百年塔。高さは80m。山の標高と合わせればその高さは250mです。開基は物事の始まりを示す言葉で、稚内のもととなった宗谷戸長役場が置かれてから100年後の1978年に建設されました。

晴れていれば利尻山の美しい姿を眺められます。実は北海道のお菓子「白い恋人」のパッケージの山は利尻山。運が良いと礼文島やモネロン島(日本名は「海馬島」)、サハリン、宗谷岬も眺められるかもしれません。

冬季(11月1日~4月28日)は営業していないので注意しましょう。料金は大人400円、子ども200円(2023年8月現在)です。

◆1・2階の北方博物館では、間宮林蔵の生涯がわかる

絵が展示してあり、なかなか興味深い

前編で紹介した通り、間宮林蔵はサハリンを島だと確認し、アムール川下流まで調査しました。その様子を示した絵や、測量した結果の地図が展示してあります。

アムール川下流では北方民族は中国(当時は「清」)とも交易をおこなっており、その様子がわかる貴重な資料です。

◆北方博物館では南樺太に関するコーナーも充実

南樺太の地図
宝台ループ線のジオラマ

北方博物館の2階にも南樺太に関するコーナーがあります。豊原と真岡を結ぶ豊真線にあった宝台ループ線のジオラマが印象的です。

「南樺太の戦い」では終戦後も日本軍とソ連軍の激しい戦闘がこの付近で1945年8月22日まで行われました。

現在の宝台ループ線

出典: www.shutterstock.com

地元の人から「悪魔の橋」と呼ばれる「宝台ループ線」

出典: www.shutterstock.com

現在の宝台ループ線はこのようになっています。ソ連崩壊直後、トンネル内で崩落事故が起きたため一部区間を除き廃線になりました。

◆真岡郵便局事件「9人の乙女の悲劇」に関するコーナーも

真岡郵便局の悲劇

南樺太での戦いにおいて有名な真岡郵便局の悲劇に関するコーナーも。1945年8月の終戦後、真岡郵便局に勤務していた9人の電話交換手の女性がソ連軍との戦闘のさなか、最後まで任務を全うし、終戦間際に青酸カリを飲んで自決した事件です。

「これで最後です。皆さん、さようなら、さようなら」は彼女たちの最後の言葉として知られています。

◆現在の眞岡郵便局の姿

眞岡郵便局跡(ホルムスク)

ちなみにホルムスク(真岡)にある真岡郵便局の跡地は建て替えられ、ロシアになっても郵便局と銀行になっています。日本の郵便局は郵便貯金を行っていたので、その名残で銀行と郵便局が同一の建物というロシアでは珍しいスタイルです。

1989年に廃線になった天北線のコーナーもある

天北線の資料

こちらは音威子府(おといねっぷ)と南稚内、稚内を浜頓別経由で結んでいた国鉄(JR)天北線のサボ(行き先表示板)が展示されています。今の宗谷本線より天北線が先に開通しました。当時は天北線が宗谷本線を名乗り、旭川と稚内を結んでいましたが、のちに短絡ルートである幌延経由が宗谷本線になり、浜頓別経由は天北線と改称しました。

その後、国鉄分割民営化を経てJR天北線は1989年5月に惜しまれつつ廃止になりました。今は新旭川から北は接続路線のないJR宗谷本線も天北線をはじめ、名寄本線など様々な路線と接続していた時期があり、それを思うとJR宗谷本線の現状は寂しいですね。

稚内公園の「氷雪の門」とは?

氷雪の門(晴天時)

氷雪の門は樺太で亡くなったすべての日本人の慰霊を目的として1963年に樺太島民慰霊碑として建設されたモニュメントです。稚内の象徴です。顔は戦争で受けた苦しみ、手のひらを見せているのは樺太も家族も失ったこと、足はその悲しみや苦しさから早く立ち上がることを表現しているとされています。

1947年にほとんどの日本人が引き揚げてからはごく一部の墓参を除き、サハリン(樺太)島内に外国人が入ることはほぼ不可能でした。戦後しばらく、人々にとって樺太は遠い存在になってしまったのです。

しかし、ペレストロイカ後の1989年にツアーでサハリンを訪れることが可能になり、1994年には函館便が就航。現在ではユジノサハリンスク(旧:豊原市)に日本国総領事館も設置されました。

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9人の乙女の碑も

九人の乙女の碑も

先ほどご紹介した「9人の乙女」の石碑もたっています。彼女らにとっては南樺太が自分の故郷だったのです。

約40万人の日本人が住んでいた南樺太はソビエト連邦が実効支配するサハリンとなり、固く門戸を閉ざしました。1945年から1989年まではごく少数の墓参を除いておよそ40万人の故郷である稚内からすぐ目の前の島に行くことができなかったのです。南樺太の方々が故郷を失った悲しみは想像を絶するものがありますよね。

昭和天皇行幸啓記念碑

昭和天皇も来訪された

昭和天皇行幸啓記念碑は、昭和天皇・皇后が1968年、稚内に行幸されたときに詠まれた歌が刻んである碑。九人の乙女の悲劇の話を聞いたときに涙を浮かべられたそうです。

ちなみに昭和天皇は皇太子時代に南樺太を訪問されたことがあります。

売店でソフトクリームを食べよう

稚内公園で販売されているソフトクリーム

稚内公園には2軒の売店があり、稚内ならではのお土産を買うことができます。

異国となったサハリンの面影を求めて

宗谷岬と間宮林蔵の銅像

稚内市樺太記念館と稚内公園の「開基百年記念塔」、「氷雪の門」をご紹介いたしました。沖縄と並び日本国内で地上戦が8月15日以降も続いた南樺太の史実を後世に伝える意味でもこれらの施設は重要な役割を担っています。

日本最北端の町に来たらぜひ宗谷海峡の向こう側にも思いをはせてみてください。

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