名称:lower valley of the omo
住所:omo ethiopia
公式・関連サイトURL:http://whc.unesco.org/ja/list/17#top
エチオピアの南西部ス-ダンの国境付近の町、オモラテ近郊にあるオモ川下流域。この地域から数百万年もの単位に及ぶ種類の化石人骨がたくさん見つかり1980年にユネスコの世界遺産に登録されました。オモ川下流域のあるエチオピアは、アフリカ大陸の北東部に属しており、初期の人類化石の宝庫でもあります。
オモ川下流域は、エチオピアの川とも呼ばれ、全長760kmにも及ぶ川は流域の全域がエチオピアに属しています。またオモ川下流域の付近には、カ口族やハマル族、ムルシ族が暮らす自然豊かな場所。ここでは、そんなエチオピアの世界遺産オモ川下流域についてご紹介します。
目次
現人類に繋がる偉大なる発見の地!エチオピアの世界遺産・オモ川下流域
オモ川下流域とは?
最初にオモ川下流域の発掘調査が行われたのは、1930年代のこと。フランスからの調査隊によって幾度も発掘を行ったところ、数々の化石人骨や250万年前のホモ・ハビリスが使っていたと推測される最古の打製石器などが見つかりました。
度重なる調査から発見された人骨は、アウストラ口ピテクスに属するアウストラ口ピテクス・エチオビクスや、アウストラ口ピテクス・アファレンシス、他3種やホモに属するホモ・ハビリスやホモ・エレクトウス、などたくさんの人骨が出土しています。これらの人骨から現生人類に繋がるだけでなく絶滅したものもある古い人類学の研究として、貴重な遺跡となっています。
オモ川下流域一帯は、初期人類史の謎が解ける化石探求として1980年ユネスコの世界遺産に登録されました。オモ川下流域の地層は、1000m以上もあり400万年から100万年前の地層のもの。この地層の上部からホモ・ハビリスが発見され、下部からはアウストラ口ピテクス属が発掘されました。
オモ川下流域へのアクセス
日本からエチオピアまでの直行便はないため、アジアの都市などで乗り継ぎ、エチオピアの首都アディスアベバの空港へ行きます。オモ川下流域は、アディスアベバから南西におよそ420kmの所にあり、バスでの長距離移動になります。
オモ川下流域のおすすめポイント2
化石人骨
オモ川下流域から見つかった化石人骨の中で、アウストラ口ピテクス・アファレンシスは約390万年から290万年前に存在していたと思われる化石人類の一つ。同じ時代のアウストラ口ピテクス・アフリカヌスと同じくスリムな体系をしていたとも推測されています。調査結果からアウストラ口ピテクス・アファレンシスは、現代の人に繋がっているとも言われています。
身体の特徴は絶滅した類人猿と比較すると、奥歯などは小さく脳の容量も380mlから430mlと少量で、顔は顎が前に突き出した原始類的なもの。学者の間では、アウストラ口ピテクス・アファレンシスは直立二足歩行していたという説と樹木の上で生活をしていたのではないかという説に分かれており、アウストラ口ピテクス・アファレンスはまだまだ謎が残っています。
打製石器
オモ川下流域から出土した遺跡物は、ホモ・ハビリスが使用していたと推測される打製石器で約250万年前のもの。ホモ・ハビリスらが打ち砕いて造りだした石器類は、磨きなどの技術は一切使ってなかったと思われます。
日本では、旧石器時代から縄文時代にかけて使用されており、弥生時代になると金属製の石器に変わり打製石器は衰退しました。打製石器の元になる材料は、サヌカイトが用いられ、技術も直接打法や間接打法などを取り入れています。磨きをかけない磨製石器とは違ったその時代を象徴する貴重なものです。
オモ川下流域への注意事項
エチオピアへ渡航される場合は、事前に政府から出されている新しい危険情報の確認をして下さい。エチオピアでの路上では現地の子供たちが付きまといお金を要求したり物を売ってきます。また断ってもしつこく付いてきますので手振りで断りその場からすぐ離れるようにしてください。
またエチオピアでは、ATMの機械は運が良ければ動いているという状態のものが多く当てになりません。エチオピアの空港使用料なども随時変わっているので、ビザの高い国の入国には前もってドルかユ-口に変えておくことをおすすめします。
◎まとめ
エチオピアの世界遺産オモ川下流域についてご紹介しました。およそ250万年前もの化石人骨が発見された地は、遺跡としても貴重でミステリアスなもの。またオモ川下流域の近辺には、総代面積4000平方kmにもなる広大なオモ国立公園があり、アフリカならではの野生動物を見ることができますよ。ぜひ世界遺産と併せて観光してみてくださいね。