埼玉・嵐山町の観光スポット7選|歴史と自然が織りなす魅力を満喫

埼玉・嵐山町の観光スポット7選|歴史と自然が織りなす魅力を満喫

埼玉県の中西部に位置する嵐山町(らんざんまち)。町名の由来は、槻川の渓谷の美しさが京都の嵐山(あらしやま)に似ていることに由来します。

「武蔵嵐山」とも呼ばれるこの町の魅力は、山間の景色にとどまりません。源氏の内乱をはじめ、鎌倉幕府の有力御家人や室町時代の関東管領、さらには戦国時代の関東の覇者後北条氏などが、この地に拠点となる城館を構えました。いくつかの城跡は、貴重な遺構として今も観光スポットとして親しまれています。

東武東上線を利用すれば、都心や埼玉県随一の観光都市・川越からも電車一本で訪れることができる嵐山町。週末の日帰り観光にもぴったりのスポットです。

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埼玉・嵐山町の観光スポット7選|歴史と自然が織りなす魅力を満喫

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1.嵐山渓谷

嵐山渓谷(埼玉県嵐山町)

まず最初に、町名の由来となった「嵐山渓谷」からご紹介します。嵐山渓谷は、都幾川の支流・槻川(つきかわ)の蛇行部に広がる美しい景勝地で、「武蔵嵐山」とも称されています。この地に「嵐山」という名を付けたのは、日本の「公園の父」と呼ばれる造園家の本多静六。昭和3年(1928年)に訪れた際、その風景が京都の嵐山に似ていると感じ、名付け親となりました。

特におすすめの季節は、やはり秋。大平山や正山を背景に、川面にせり出すように鮮やかに染まる紅葉の美しさは、まさに京の都人をも魅了するほどです。これを生み出す要因の一つが、嵐山町周辺に広がる特有の緑泥石片岩という地質。渓谷沿いに連なる平板状の岩畳が、景色に厳かな印象を与えています。

2.都幾川桜堤

都幾川桜堤(埼玉県嵐山町)

嵐山町を流れる都幾川(ときがわ)の右岸には、江戸時代から堤防が築かれていました。その堤防に、1986年から87年にかけて約250本のソメイヨシノの若木が植えられたことが、桜堤の始まりです。桜の木々は、埼玉県民の憩いの場として地元の寄付により育てられ、今では見事な桜並木が誕生しました。この場所は桜堤として新たな観光スポットとなり、多くの訪問者を魅了しています。

桜並木は、鎌形八幡神社前の八幡橋から始まり、槻川との合流点に架かる二瀬橋を越えて学校橋まで、約2kmにわたって続きます。緩やかなカーブを描きながら続くピンクの樹列は、まさに優美な壮景。春には花見客で賑わいます。

3.千年の苑ラベンダー園

千年の苑ラベンダー園(埼玉県嵐山町)

埼玉県嵐山町に広がる「千年の苑ラベンダー園」は、関東最大級のラベンダー畑として知られています。約5ヘクタールの敷地に20,000株以上のラベンダーが植えられ、6月上旬から下旬にかけて紫色のじゅうたんが一面に広がります。風に揺れるラベンダーと心地よい香りに包まれながら、ゆったりとした時間を過ごせる癒しのスポットです。

この時期に合わせて開催されるのが、「らんざんラベンダーまつり」です。園内ではラベンダーの摘み取り体験や、ラベンダーを使った特産品の販売が行われ、多くの来場者でにぎわいます。フレッシュラベンダーの香りを楽しめるアロマグッズや、おしゃれなラベンダーソフトクリームなど、ここでしか味わえない魅力が満載です。

近くには嵐山渓谷があり、ラベンダー鑑賞とあわせて自然散策を楽しむのもおすすめ。「千年の苑ラベンダー園」で、初夏の美しい風景と癒しの時間を満喫してみませんか?

4.比企城館跡群

比企城館跡群(埼玉県嵐山町)

嵐山町周辺は、平安時代から戦国時代にかけて多くの争いの舞台となりました。平安時代末期には、源頼朝の兄・義平が叔父の源義賢を攻め滅ぼした大蔵合戦が行われ、戦国時代には関東管領上杉氏の内紛や後北条氏の進出があり、その際にいくつもの城砦が構えられました。

これらの城の中で、貴重な遺構をよく残している4つの城址は、平成19年に「比企城館跡群(ひきじょうかんあとぐん)」として国の史跡に指定されています。そのうち、2城が嵐山町内に所在しています。

史跡公園として整備され、いずれも武士の時代を偲ぶには十分な場所です。武蔵嵐山を訪れる際には、これらの城址にもぜひ立ち寄ってみてください。

ここでは、嵐山町内にある2つの城跡の特徴と観光の魅力をご紹介します。

◆菅谷館跡

菅谷館跡(埼玉県嵐山町)

都幾川の河岸にかつて存在した「菅谷館(すがややかた)」は、鎌倉幕府の成立に大きく貢献した武将、畠山重忠によって築かれたと伝えられています。現在に残る深い堀や高い土塁などは、戦国時代に改修されたもので、当時の姿をうかがい知ることができます。

菅谷館の三の丸跡には、「埼玉県立嵐山史跡の博物館」が建設されています。館内では、比企城館跡群に関する資料の展示に加え、「坂東武士の鑑」と称される重忠の功績やその時代背景を学ぶことができます。

東武東上線の武蔵嵐山駅から徒歩圏内と、公共交通機関を利用した観光にも便利な立地です。歴史に触れながら、当時の武士たちの足跡を辿ってみてはいかがでしょうか。

◆杉山城跡

杉山城跡(埼玉県嵐山町)

マニアの間で”中世城館の教科書”と称されるほど、その工夫と技巧が際立つ「杉山城」は、関越自動車道「嵐山小川IC」のすぐ近くにあります。この城址の遺構の素晴らしさは、実際に城跡を貫通する予定だった関越道のルートが急遽変更されたほどでした。

杉山城は、15世紀に関東管領の山内上杉氏が、同族である扇谷上杉氏と対立した際に築かれたと考えられています。城跡のある小山は、所有者のご厚意により観光客に開放されており、地元の中学生たちによって整備も進められています。

城跡を訪れると、次々と現れる土塁や空堀の連続に、戦国時代の息吹を感じることができます。お城に詳しくない方でも、その壮大な戦略を思い浮かべながら、当時の光景に想いを馳せることができるでしょう。

5.木曽義仲産湯の清水

木曽義仲産湯の清水(埼玉県嵐山町)

源頼朝に先んじて平家を駆逐し、短期間ながら京都を治めたことで「旭将軍」と称された木曽義仲(きそよしなか)。義仲の父である源義賢(みなもとのよしかた)は、嵐山町の大蔵に館を構えていましたが、甥の源義平に奇襲され、討たれてしまいます。幼少だった義仲は辛うじて命を守り、信州木曽へと匿われました。

義仲の産湯に使われたと伝えられる湧水が、嵐山町鎌形の鎌形八幡神社境内に今も湧き出ています。この湧水は「鎌形の七清水」の1つに数えられており、現在もこんこんと清らかな水が流れています。また、近くには義仲の愛妾である山吹姫の墓所とされる班渓寺(はんけいじ)など、義仲父子に関連する史跡が点在しています。

嵐山で歴史に触れる観光旅行を楽しむなら、ぜひこれらの場所にも足を運んでみてください。

6.班渓寺

班渓寺(埼玉県嵐山町)

班渓寺(はんけいじ)は、木曽義仲の愛妾である山吹姫の墓所があるとされる寺院です。嵐山町内の鎌形に位置し、義仲の歴史に深く関わる場所として、訪れる人々にその歴史的な重要性を感じさせます。山吹姫は義仲の寵愛を受けていた女性で、義仲の死後、その供養のために班渓寺が建立されたと言われています。

寺は静かな雰囲気に包まれており、木々に囲まれた境内には、義仲と山吹姫にまつわる伝説が息づいています。

7.鬼鎮神社

鬼鎮神社(埼玉県嵐山町)

武蔵嵐山駅から北東へ約500mの場所にある「鬼鎮神社(きぢんじんじゃ)」は、関東唯一、鬼を主祭神として祀る神社。鬼を敬い、祀るという日本国内でも数少ない神社のひとつです。

独自の節分の豆まきが特徴で、「福は~内、鬼は~内」、そして「悪魔~外!」と唱える、ユニークな豆まきが行われています。

神社本殿の唐破風(からはふ)の上を見ると、青鬼と赤鬼の額が掲げられており、その存在感は圧倒的。また、絵馬にも鬼の絵が描かれていて、パワーを感じる空間が広がっています。

さらに、鬼鎮神社を訪れたなら、ぜひお守りも手に入れておきましょう。中でも一番人気は、「鬼に金棒守り」というお守りで、金棒が入った御霊代です。いろいろな大きさやデザインがあるので、自分のお気に入りを見つけてみてください。

8.日本赤十字社 埼玉支部旧社屋

監獄の設計で知られる山下啓次郎が手がけたこの建物は、明治38年(1905年)に埼玉県庁(現在のさいたま市浦和区)内に建設された、日赤埼玉支部の旧社屋です。昭和58年に嵐山町立嵐山幼稚園の北に移築されました。

この建物は、19世紀アメリカで流行したシンプルスタイル(またはコロニアルスタイル)の影響を強く受けたデザインで、基壇の煉瓦と赤瓦の屋根が、薄水色の壁面と絶妙に調和しています。牧歌的な平屋建てながら、その洗練されたデザインは非常に魅力的で、時を超えて多くの人々を引き寄せます。

平日の日中であれば、事前申し込みをすることで、内部の見学も可能です。嵐山町の歴史と建築美を堪能できるスポットとして、ぜひ訪れてみてください。

◎埼玉の嵐山町で、絶景と歴史ロマンに出会う旅へ!

嵐山渓谷(埼玉県嵐山町)

嵐山町には、埼玉県でも穴場の絶景&歴史スポットが点在しています。都心からのアクセスも良く、東武東上線や関越自動車道を利用すれば、日帰り観光にも最適。秩父方面への旅の途中に立ち寄るのもおすすめです。

美しい渓谷の風景、戦国時代の城跡、歴史ある神社仏閣など、自然と歴史が融合するこの町で、ゆったりとした時間を過ごしてみませんか?

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