名称:諏訪大社
住所:長野県諏訪市中洲 宮山1
公式・関連サイトURL:https://suwataisha.or.jp/
「逃げ上手の若君(略称:逃げ若)」の聖地についてご紹介します!
逃げ上手の若君は2021年から週刊少年ジャンプにて連載されている漫画で、「南北朝時代」を舞台にしています。史実を基にした時代劇漫画なので、実在するスポットが作中にも登場。聖地となっています。
「逃げ若の聖地」はどこにあるのでしょうか?以下で覗いてみてください。
目次
【逃げ若】逃げ上手の若君の聖地はどこ?|諏訪・鎌倉に残る足跡
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逃げ上手の若君とは?
とちぎテレビ・群馬テレビ
— TVアニメ『逃げ上手の若君』 (@nigewaka_anime) September 30, 2024
第十二回 再放送決定!
━━━━━━━━━━━━
第十二回「がんばれ時行、鎌倉奪還のその日まで」
・群馬テレビ 9月30日(月)25:00~
・とちぎテレビ 9月30日(月)26:00~https://t.co/CuvJ7juNwo#逃げ上手の若君
「逃げ上手の若君」は、2021年より週刊少年ジャンプで連載されている「南北朝時代」を描いた時代劇漫画です。
殆どスポットのあたることのなかった時代、教科書的には全く無名な主人公や敵含む登場人物たち、史実を基にしながら完全フィクションのようにも見える斬新な世界観が魅力です。
注目の漫画として話題になっていましたが、2024年にテレビアニメ化され知名度が上昇。史実を基にしていることから作中には実在するスポットが登場し、聖地巡礼も可能となっています。
南北朝時代とは
南北朝時代とは建武の新政が崩壊した1337年から、分断された朝廷が統一した1392年までの時代区分です。
鎌倉幕府滅亡後、武士政権が終焉し後醍醐天皇による政治が行われましたが、これに足利尊氏が離反。朝廷も二分され、北朝(足利)と南朝(後醍醐天皇)の陣営で争うことになりました。
逃げ若の聖地とは?
タイトルにもなっている逃げ上手の若君こと、主人公の「北条時行」は鎌倉幕府最後の執権だった「北条高時」の遺児です。
2024年9月現在まで、作中では匿われた地として諏訪大社が登場。その後は「中先代の乱」を引き起こし、鎌倉の奪還と大敗を経験しています。
鎌倉を奪還した際、実在し、一部は現存する鎌倉や鎌倉周辺のスポットが描かれました。
聖地は鎌倉が多め?
南北朝時代が舞台ですが、主人公が「北条時行」で室町幕府を相手に鎌倉奪還を目指すという物語の都合、同時代の中心地よりは鎌倉周辺のスポットが多く登場します。
物語上では2024年9月現在の連載分まで、鎌倉、諏訪(一部京都)が主な舞台となっており、それぞれで現存する聖地が存在します。
以下でそれぞれのスポットを見ていきましょう。
【逃げ若の聖地①】諏訪大社(上社前宮)
諏訪大社は長野県の山中、諏訪湖畔にある歴史ある神社です。
信濃(現長野県)は北条氏が国主として治めていた地で、この神社の主とされる諏訪氏は鎌倉幕府に御内人として仕えていたことで、北条の生き残りである時行を匿った地となっています。
諏訪大社は湖を挟んで4つの異なる社があり、それぞれ特徴が異なります。時行が身を寄せたのはそのうち「諏訪大社上社前宮」となります。実際アニメでも鳥居が描かれていますが、現在の鳥居と色彩が違うので少しわかりにくいかもしれません。
諏訪大社についての詳細は以下のリンク先をご覧ください。また、アクセスにはskyticketのレンタカー利用が便利です。
物語序盤の舞台
北条時行(若君)は1話冒頭までは鎌倉で家来や家族と平和に暮らしていましたが、その1話で鎌倉幕府が滅亡。諏訪大社の主こと「諏訪頼重」に助けられ、仲間を集めながら鎌倉奪還のために諏訪で過ごします。
テレビアニメ第1期の大半はこの諏訪を舞台にしており、10歳にも満たない若君がいずれくる再起のために味方を集め、成長していきました。
日本神話の「逃げ若」もこの地に!?
日本神話に登場する神様「タケミナカタ」。日本神話では建国に携わった神様である「オオクニヌシ」の息子です。
ある時、天から来た使者に「国を譲ってくれ」と言われ、オオクニヌシは争いを避けるためこれを承知。しかし息子のタケミナカタは徹底抗戦を主張し、天の軍団に負けて敗走しました。
逃げて逃げて逃げ延びた先がこの諏訪湖で、「もうこの地から出ないから、命は取らないで欲しい」と懇願。結局命は助かり、諏訪大社に祀られ多くの方から信仰を集めています。
神話時代の「逃げ上手の若君」もこの諏訪大社に逃げ同地からは出ませんでしたが、作中は同地を出て戦いの人生を歩むこととなります。
同地で身分を隠し、タケミナカタのように平和に生きる選択肢もあったのかもしれませんね。
【逃げ若の聖地②】小手指原古戦場碑
続いては「小手指原古戦場碑」をご紹介します。
小手指原古戦場碑は埼玉県の南側、埼玉県所沢市北野に位置します。都市部からは離れ、最寄り駅である西部池袋線の小手指からも少し歩きます。近くには国道463号が通っていることもあり、訪れる場合はレンタカー利用をすることで簡単にアクセス可能です。周辺に他の聖地はないので、別の目的と一緒に訪れるのがおすすめ。ここから鎌倉を目指してみるのも良いですね。
小手指原古戦場は作中、鎌倉奪還のために信濃から出陣し、鎌倉を防衛する敵方と合戦を繰り広げた場所でもあります。時行は諏訪時代までに何度か合戦を経験していますが、仇敵との、しかも歴史に残るほど規模の大きい戦はこれが初めてです。
小手指原の他にも、現在の日高市では関東庇番衆と激突した「女影原の戦い」が、少し南の東京都町田市では「井出の沢の戦い」を繰り広げました。これらはいずれも碑が残る程度ですが、作中でも現実でも時行が足利勢と合戦を繰り広げた場所です。
逃げ若以外でも戦場に
小手指原古戦場は、逃げ若で描かれた「中先代の乱」の他にも、鎌倉幕府滅亡をかけた新田義貞と幕府軍の戦いや、のちに義貞の息子、新田義宗と足利尊氏が争った「武蔵野合戦」の戦場にもなりました。
3たび鎌倉を目指す途上で衝突していることから、鎌倉から見れば防衛線として重要な場所だったようです。なお、北条時行はこの「武蔵野合戦」にも参戦しますが……。
名称:小手指原古戦場碑
住所:埼玉県所沢市北野2‐13‐1
▼女影ヶ原古戦場跡碑
▼井出の沢古戦場
【逃げ若の聖地③】鶴岡八幡宮
逃げ若の聖地2か所目は、「鶴岡八幡宮」です。平安時代末期、関東最大勢力である源氏の棟梁だった「源 頼朝」によって建立されました。後に鎌倉幕府を開いた人ですね。
鎌倉時代の象徴とも言える八幡宮であり、「逃げ若」で描かれた時代も「鎌倉武士の守護神」として信仰を集めています。
ご祭神は「応神天皇」「神功皇后」「比売神」の3柱で、この神々は「八幡神」と呼ばれます。仕事運や安産、勝負事のご利益があるとのこと。
鎌倉時代の間は武士の象徴として絶大な信仰と影響力があったものの、鎌倉幕府滅亡後から江戸時代まで活気は落ち着きました。数百年後の江戸に入ってから復興が進み、現在は鎌倉観光の定番スポットとして整備されています。初詣の際にはとてつもない人の数で賑わうなど、鎌倉を代表する寺社と言って良いでしょう。
アクセスは「JR鎌倉駅」から徒歩圏内です。
逃げ若にももちろん登場
「逃げ若」の作中にも鶴岡八幡宮は登場しますが、一番印象的なのは鎌倉奪還後、復興した街を一望するシーンです。時行にとっては大好きな街である鎌倉を、ついに自身の手で取り戻したことを実感する名場面と言えます。
「逃げ若」の北条時行は北条一族の血縁者であるので、辿っていくと鶴岡八幡宮を建立した頼朝の一家(頼朝の妻・北条政子)にも繋がります。
幕府滅亡後も影響力は絶大
鎌倉幕府は滅び、政権が天皇に戻ったことで再び京都が歴史の中心地となりました。京都から離れた関東を治めるため、鎌倉に将軍家の分家を派遣。これが後に「鎌倉公方」となり、関東一円を支配していくことになります。幕府は滅亡しましたが、関東の重要拠点として扱われました。
「逃げ若」の主人公、北条時行もこの鎌倉奪還を目指して戦いの中に身を投じていきますが、そうでなくとも鎌倉の影響力は未だに高く無視できない存在となっていたのは間違いありません。
名称:鶴岡八幡宮
住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下2‐1−31
公式・関連サイトURL:https://www.hachimangu.or.jp/
【逃げ若の聖地④】鎌倉大仏
続いては、逃げ若の聖地として有名なスポットである「鎌倉大仏」をご紹介しましょう。鎌倉大仏は鶴岡八幡宮と並んで定番観光名所として知られるスポットで、鎌倉奪還後に時行たち一行が訪れたこともあります。
大仏は鎌倉時代に建立されたもので、大きさは13.35メートル。内部は空洞となっています。ところで有名な奈良の大仏は「大仏殿」の内部にあるのに、鎌倉の大仏はなぜ野外に出ていているのでしょうか。これは幾度か台風や強風で大仏殿が倒れてしまい、しまいには1498年に海潮によって流出したのが理由です。当時は屋内にあったんですね。
「逃げ若」の作中では、この大仏殿に多数の兵士と、時行よりも主人公に見える少年武将「名越高邦」などが詰めていました。しかし、大仏殿がとある者の仕業で倒壊し大打撃を負うことになります。
名称:鎌倉大仏殿高徳院
住所:神奈川県鎌倉市長谷4-2-28
公式・関連サイトURL:https://www.kotoku-in.jp/
【逃げ若の聖地⑤】銭洗弁財天
続いても、鎌倉観光の定番スポットの一つ、「銭洗弁財天」をご紹介します。こちらは源氏山公園近くに位置する神社です。
銭洗弁財天。「ぜにあらい」という名前の如く、境内にある洞窟で洗ったお金は浄化され、増えているという言い伝えから金運のパワースポットとして知られています。
創建者はこちらも「源 頼朝」で、夢に宇賀神が出てきて「ここの湧水で神仏を供養すれば天下泰平の世が訪れる」とお告げを受けたからです。実際に湧水を見つけ、霊水として社を建てて宇賀神を祀りました。その後、時行の高祖父である5代執権「北条時頼」が最初に銭洗いをしたとも言われています。
作中では鎌倉奪還後、時行一行の鎌倉観光で登場しました。
【逃げ若の聖地⑥】報国寺
古くからの寺社が覚えられないほど残る鎌倉。その中でも「逃げ若の聖地」のひとつとして「報国寺」をご紹介します。
こちらは「逃げ若」の物語が始まった1333年時点では開山されておらず、諏訪にいたころである1334年に開山されたと伝わるお寺です。逃げ若においては強大なラスボスとして立ち塞がる「足利尊氏」の祖父、足利家時を弔っています。
作中では、家時が自刃する際に「三代後の子が天下を取るように」と念じ、強大な力を持つ「足利尊氏」が誕生したように描かれていました。作中の尊氏はどうみても人間離れしており、何か常人とは違う別の力が働いているように描写されています。この報国寺での願いと関係があるんでしょうか?
漫画内には横穴式の墳墓も登場していましたが、実際にあります。この中には足利家時のお墓もあるそうです。
鎌倉駅から徒歩30分と、歩いていこうとするとアクセスに時間がかかります。バスを使うのがおすすめです。
鎌倉駅の東口より、京急バス4番乗り場「金沢八景行き」「鎌倉霊園正門前太刀洗行き」「ハイランド循環」いずれかに乗車。「浄明寺バス停」で下車し、そこから徒歩約2分で到着しします。
鎌倉公方足利家最期の地
逃げ若のストーリーからだいぶ未来の話(およそ100年後)になりますが、後に鎌倉には足利尊氏の息子が派遣され「鎌倉公方」を名乗ることになります。この鎌倉公方はしばらく関東の一大勢力となりましたが、後に幕府方に攻め滅ぼされることになりました。
この時に鎌倉公方だった足利持氏の嫡男、足利義久はこの報国寺で命を落としています。代はかなり先ですが、足利尊氏もまさかそんな場所になるとは思わなかったことでしょう。
名称:報国寺
住所:神奈川県鎌倉市浄明寺2‐7‐4
公式・関連サイトURL:https://houkokuji.or.jp/
【逃げ若の聖地⑦】杉本城跡(杉本寺)
杉本城跡とは、現在鎌倉に位置する寺社、杉本寺の裏山にあったと伝わる城跡です。逃げ若の時代にも鎌倉近くの要塞として存在し、防御性を高めていました。逃げ若より遥か昔、源平合戦の「治承・寿永の乱」では軍事拠点の一つとして活躍した経歴があります。
「逃げ若」には、北畠顕家と時行による2回目の鎌倉奪還戦で登場しました。一直線の長い長い階段がありますが、これは作中にも登場していますね。この時、敵方のボスキャラクターとして10代の少年大将であり名門出身の「斯波家長」の対峙します。時行にとっては鎌倉をかけた2度目の戦いですが、作中でもターニングポイントにもなるような戦いとなっています。
杉本寺へのアクセスは、前述した報国寺と同じく、京急バス4番乗り場から「杉本観音」で下車し、徒歩1分です。
「学生対決」の舞台
南北朝時代は10代の少年大将が特に活躍した時代です。「昔は当たり前だったんじゃないのか」と聞かれれば、決してそんなことはありません。
作中でもこのことに度々触れられていましたが、杉本城の合戦に至ってはあまりに大将陣が若すぎます。時行はこの時小学生の年代、上司の北畠顕家が高校生くらい、敵の大将も高校生くらいです。この高校生と小学生が命がけで重要都市の奪い合いをしています。
漫画内ではサブタイトル「学生対決」として表現されていました。
この他にも、足利尊氏の息子で足利側名目上総大将、後の2代将軍である足利義詮も当時7歳ながら戦場へ。新田義貞の三男で、時行と共闘する「新田義興」は恐らく10歳以下。後醍醐天皇の世継ぎだった、義良親王(のちの後村上天皇)はこの頃9歳です。
実際にどんな指揮を取ったかはともかく、偉すぎる小学生~高校生が戦場に多すぎます。
名称:杉本城跡
住所:神奈川県鎌倉市二階堂
【逃げ若の聖地⑧】龍ノ口刑場跡
逃げ若の聖地として最後にご紹介するのは、「龍ノ口刑場跡」です。これも鎌倉近くにありますが、住所は藤沢市。江ノ島電鉄は江ノ島駅が最寄りです。
龍ノ口刑場跡は日蓮宗のお寺、「瀧口寺」の境内にあります。この刑場は平安時代から鎌倉時代、そして南北朝時代までいわゆる罪人の処刑場として利用されました。
中には不確定なものもありますが、複数人がこの地で命を落としたという記録や、鎌倉時代の僧侶、「日蓮」がこの地で処刑されそうになった直前で、助命されたというエピソードがあります。
北条得宗家終焉の地?
この地は「逃げ若」の作中にも登場し、時行が兄と抜け出して遊んだ思い出の地であると同時に、後のラスボスである足利尊氏と対面した場所です。
そして後、北条時行が足利尊氏によって処刑されたとされる場所でもあります。
「瀧口で処刑された」とありますが、それがこの瀧ノ口処刑場かどうかは定かではありません。
記録に残っているものとして、源平合戦時に源氏と敵対した大庭景親、元寇時に元から派遣された使い5人などがいます。源氏と北条、鎌倉を舞台とするそれぞれの歴史に携わってきたスポットです。
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