現存天守の高さランキングトップ7|現代最大のお城はどこだ!?

現存天守の高さランキングトップ7|現代最大のお城はどこだ!?

日本国内、現存天守の高さをランキング形式でご紹介します!

主に江戸時代、あたかも現在の県庁のように地方のシンボルや役所として機能したお城の数々。地方を治める大名の権力をより示すがごとく、天守閣が築かれたお城が複数存在しました。明治時代以降に多くのお城が廃城となったり、戦火の中で喪失するなどして数を減らしましたが、現在は合計12天守が現存しています。(以下、現存12天守)

何百年という時を経て、現代にまで当時の姿を残す現存12天守ですが、最も大きい天守を持つのはどのお城なのでしょうか?以下で詳細を記載しているので、全国お城巡りの際はぜひチェックしてみてください。

目次

現存天守の高さランキングトップ7|現代最大のお城はどこだ!?

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現存天守高さランキング⑦位「宇和島城(15.7m)」

宇和島城

現存天守の高さランキング、栄えある7位は四国に残る海城「宇和島城」です。別名を鶴屋城といいます。5つの破風を持ち、高さよりも迫力ある外観が魅力的です。

このお城を拠点としていた宇和島藩は、現在の愛媛県宇和島市を領していた藩です。天守を最初に築いたのは、戦国時代でも3大築城名人として名高い藤堂高虎です。その後、2代目藩主の伊達宗利(伊達政宗の孫)によって改修された天守が現在に残っています。海城とはいいますが海にぽつりと浮かんでいるわけではなく、城の東側は海から引っ張ってきた水堀、西側が海に接していました。ただし現在は埋め立てられており、海に囲まれていません。

天守があるのは標高80mほどの丘陵で、その周りを囲うように施設が建てられています。当時の城郭は五角形であり、四角形だと思って攻めてきた敵から見れば死角となります。この死角を使って攻撃側への奇襲口に、または退路に利用できるなど効果的な仕掛けとなっていました。

ほかにも敷地内に隠し水軍があるなど、藤堂高虎の築城技術がこれでもかというほど隠されているのが特徴です。戦国時代の最前線を戦い抜いた築城名人ならではの仕掛けがつまった名城と言えるでしょう。

現存天守高さランキング⑥位「犬山城(18m)」

犬山城

現存天守の高さランキング、続いてご紹介するのは「犬山城」です。高さは18mで、高さで見ればマンション6階、奈良の大仏などと同じくらいになります。ずいぶん高いように見えますがまだまだ6位です。

犬山城は愛知県と岐阜県の境である「犬山」に位置しています。1537年に織田信長の叔父、織田信康によって築かれました。別名は白帝城です。築城時、信長の年齢はまだ小学生くらいという戦国時代真っ只中に築城されていますが、当時から天守があったわけではありません。江戸時代に度重なる改修が施され、その過程で天守が建造されたとしています。

犬山城の周辺は戦略的に重要な拠点であり、あの関ケ原も近く岐阜城もご近所。東西への通り道であり、戦火に巻き込まれやすい立地となっています。事実、小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いでは重要拠点の一つとして利用され、ドラマや漫画、ゲームでも地味に重要な拠点として登場しています。

江戸時代から城主であった成瀬氏は子孫代々がこの犬山城主を継いでおり、実は法人化する2004年まで成瀬氏の子孫が個人所有している城郭だった、という残存天守ならではのエピソードがあります。また、現存する最古のお城とも言われています。

現存天守高さランキング⑤位「高知城(18.6m)」

高知城

現存天守ランキング続いては、5位の高知城です。犬山城とは数十センチの差となっています。

高知城はその名の通り、高知県高知市に位置し同市のシンボルとなっているお城です。瓦、壁の色が鷹の羽のように見えることから、鷹城という別名もあります。高知城の築城自体は室町時代以前、南北朝時代に遡りますが、天守など近世城郭として完成したのは江戸時代になってからのことです。

高知と言えば長曾我部氏の本拠地ですが、同氏が支配していた時代に高知城への移転計画がありつつも、条件の悪さから築城を断念。長曾我部氏が改易となり、後から入った山内氏が築城しました。天守は一度焼失していますが、その後修復され現在に至ります。天守に限らず本丸の御殿も現存し、この二つが江戸時代から残っているのはこの高知城だけです。

お城ができたのは戦の世が終わってからですが、「忍び返し」や「筋違いの門」「武者窓」など防御力の高い仕掛けが施されています。山内氏は織田から豊臣、徳川に仕え戦乱の世を生き抜いてきた大名で、城を象徴としてだけでなく防衛拠点として重要視していたのかもしれませんね。

現存天守高さランキング④位「伊予松山城(20m)」

現存天守の高さ 松山城

現存天守の高さランキング、僅差が続きましたが4位から少し高くなります。続いては「伊予松山城」です。

伊予松山城は四国、現在の愛媛県松山市に位置するお城です。別名に金亀城、勝山城があります。一般的には単に「松山城」はこのお城を指しますが、現存天守の中には同じく松山城である「備中松山城」があり、混合を避けるためにわけられています。ちなみに備中松山城は現存天守の中でも最も高さが低い(11m)ので、伊予松山城は「大きい方の松山城」と覚えておくと良いでしょう。(標高は備中松山城がトップです)

伊予松山の築城は1602年。豊臣家の猛将で、後に徳川に仕えた加藤義明によって築かれました。現存する天守の中でも貴重な「連立天守」であり、巨大で知られる姫路城と同じです。この豪壮さから、日本三大平山城にも数えられます。市街地から天守のある山頂へはロープウェイで登る必要があり、天守とロープウェイの営業時間がそれぞれ異なる点には注意です。

なお天守江戸時代の後半に再建されており、現存の中で最も新しい天守となっています。

現存天守高さランキング③位「松江城(22.4m)」

松江城

現存天守の高さランキング、3位は「松江城」です。松江城は島根県の中心地、松江市に位置するお城になります。山陽地方と比べ、神話に出てくるスピリチュアルなスポットであったり、明治維新の聖地などが集まる山陰地方。実は現存天守を持つお城も残っています。

松江城が築城されたのは1611年。関ヶ原の合戦から10年が経過し、豊臣と徳川がなんとか和平を保とうとしている頃ですね。お城が建つ亀田山は標高29mで、天守からは宍道湖を一望することができます。40kmの距離がありますが、この湖の対岸には出雲大社が鎮座。松江城に行った際、一緒に訪れる定番のスポットです。

お城の特徴として、天守を支える柱に「通し柱」が多用されています。これには築城当時、日本のあちこちで築城が開始されていたことで木材が不足していた背景があります。城内には2階部分を貫いて天守を支える通し柱が実際に見れるポイントもあり、国宝としての価値を高めています。

現存天守高さランキング②位「松本城(25m)」

松本城

続いて、2位の高さ誇るのは長野県松本市に位置するお城、「松本城」です。現存天守2位という高さもあって、松本市のみに留まらず長野県有数のシンボルとして多くの観光客を集めています。

松本城は元々「深志城」と呼ばれ、1504年に築城されました。天守が作られたのは安土・桃山時代の後半、改修は江戸時代前期です。戦国時代には小笠原氏が支配していましたが、お隣の甲州(山梨県)から武田信玄が侵攻して以降、武田の滅亡まで馬場氏が支配。その後は徳川家康に仕えていた小笠原氏が再びこの地に戻り、松本城と改名します。その後はごたごたと城主が代わり替わり……歴代城主を追うと大変忙しそうな城です。

五重六層の天守の中では最古ものである松本城。巨大さはもちろんのこと、遠くに見えるアルプス山脈と空の色に映える、美しい景観が魅力的。城内にも古きより現在に残る文化財の数々が残されています。

現存天守高さランキング①位「姫路城(31.5m)」

姫路城

現存天守ランキング堂々の1位!トップの座にあるのは兵庫県にあり世界遺産登録も指定された、「姫路城」です。城郭も大きく、街のシンボルになるには十分な高さである姫路城。写真から見てもその巨大さが伺えますが、マンションで例えると10階~12階くらいの高さとなっています。現存しませんが、復元天守の中でも巨大と知られる熊本城も同じ高さです。なお、現存しないお城で例えると豊臣大阪城よりも高く、安土城に匹敵する高さとなっています。(天守もないので推定です)

別名は「白鷺城」。これまた連立式望楼型で、複数の天守群が特徴的です。お城自体ができたのは1346年ごろという説があり、これが正しければ室町将軍の足利尊氏が南朝と戦っていたころまで遡ります。時は流れて戦国時代、黒田氏が城を守った際に本格的な城郭へと進化しました。その後は池田氏などの手により近代城郭が完成します。

この姫路城は幸運な城として知られています。幕末時代、姫路の藩主は徳川恩顧の譜代・親藩が務めており、戊辰戦争が始まった際も姫路は幕府側に味方しました。その結果あわや姫路城が戦場になるところでしが、寸でのところで回避されました。その後、第二次大戦も空襲を受け爆弾が落下しましたが、これも不発弾に終わっています。数々の文化財が空襲で破壊されている中、運が良いとかの騒ぎではありませんね。

天守の高さランキング番外編「???城(44.8m?)」

現存天守ではありませんが、番外編として過去に存在した中で最大級の天守を持つお城をご紹介します。

そのお城こそ、江戸時代に江戸幕府の中心だった「江戸城」です。江戸城は室町時代に築城された後、徳川家康が入るまでは普通のお城でした。その後、徳川家康が入城して大幅に改修。城郭もとてつもなく巨大な城になり、建てられた天守は44.8mという圧倒的な高さでした。石垣が約14mあるので、合計で60m近い高さです。姫路城の天守で計算すると倍の高さということになります。日本史上最高層クラスの木造建築であることは間違いありません。

ただしその寿命は決して長くなく、江戸時代前半に発生した明暦の大火で焼失。再建を検討されますが、「平和になったので天守は不要」という意見が出てついに天守はなくなったようです。現在、この江戸城は皇居という形で残っています。

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