【新潟県】北方文化博物館の見どころ・観光情報まとめ

【新潟県】北方文化博物館の見どころ・観光情報まとめ

本記事では北方文化博物館の見どころ、観光情報についてご紹介します。

北方文化博物館とは、新潟県に位置する豪農の邸宅を保存した戦後初の私立博物館です。四季折々の景観が囲う館は当時の面影をそのまま残しており、古くから伝わる日本の美を体感できるスポットと言えるでしょう。

北方文化博物館は文化財も豊富なスポットで、江戸時代から残る文化財も保存されています。その魅力と見どころについて、以下から詳細を覗いてみてください。

目次

【新潟県】北方文化博物館の見どころ・観光情報まとめ

北方文化博物館の見どころとは?

北方文化博物館は旧越後国(現・新潟県)一の豪農である「伊藤文吉氏」の邸宅を中心とした、古風の邸宅や日本らしい美を楽しめる観光スポットです。メインとなる屋敷のほか、庭園内は数多くの見どころで溢れています。(※なお初代から八代まで代々伊藤文吉氏を名乗っています)

豪農とは、江戸時代中後期に多くの土地を所有し武士にも勝る財を築き、ある種の身分を超えた名手。伊藤文吉氏は江戸時代も豪農として過ごし、明治時代に大きく栄えることになります。繫栄に伴って、居館も大きく立派なものが建造されました。現在も当時の姿のまま豪壮な雰囲気を持つ建造物が残されています。

庭の景観には日本の美、この園内を彩る四季折々の草花にも注目しましょう。以下では、館内の注目スポットを一つずつご紹介します。

伊藤邸

豪農・伊藤氏が邸宅としていた博物館内のメインスポットです。伊藤邸は「主屋棟」と「大広間棟」の2棟にわかれています。

主屋棟は明治時代、1887年に建てられた近代和風邸宅です。当時の技術を駆使して建てられた重厚さが最大の見どころで、7段に組まれた梁や30メートルもの丸桁などを楽しめます。

最盛期の使用人数はなんと60人ともされ、伊藤家の人々が賑やかに過ごした時代が垣間見える観光スポットと言えるでしょう。

「大広間棟」は主屋から廊下で繋がってはいるものの、切り離されている棟です。総け・やき造りの大玄関がある格式の高い間であり、年に数回しか使われなかったとされています。

庭園との一体感にも伝統美を感じ、近代和風建築らしい開放感あふれる空間です。欄間の飾り彫り、敷居の桜に柱の杉の四方柾……細かいところで職人の意匠を感じることができるでしょう。

旧宅はなれ座敷(常盤荘)

「旧宅はなれ座敷(常盤荘)」は明治20年まで伊藤家の方々が過ごした旧お座敷です。現在も茶会や式典で使用されています。

建築されたのは江戸時代末期の1860年で、派手な装飾も少なく「造形の規範となっているもの」として国登録有形文化財にもなりました。当時の住宅建築の特徴がわかる建造物と言えるでしょう。

移築古民家

博物館内で見れる資料の一部として、刈羽・吉ヶ平から移築された二つの古民家も注目の観光ポイントです。

このうち刈羽から移築されたものは江戸時代初期から残る形で保存されたもので、400年以上前のものになります。伊藤邸や離れでは江戸時代・明治時代の生活様式や特徴が垣間見える一方、こちらの古民家ではさらに古く江戸時代は初期も初期の住居を見学可能です。貴重な資料と言えるでしょう。

北方文化博物館の歴史

以下では北方文化博物館の歴史について解説します。現在は貴重な建造物が資料として残る博物館ですが、豪農である伊藤氏は実際にこの地で過ごしています。

初代伊藤文吉氏は1756年、分家した際に1万3000㎡畑が与えられ、伊藤氏の歴史が始まりました。百姓という身分ながら傍らで藍の商売をし、二代目伊藤文吉の代には名字帯刀を許され雑穀・質屋・倉庫業へと事業を展開。明治へと時代が変わっても地域一の豪商として名を馳せていました。

最盛期には前述にも触れたとおり60人もの使用人がいる賑やかな家でしたが、戦後は一転。これまでのような地主としての生活ができなくなりました。七代目伊藤文吉の代で伊藤家の建造物を博物館として残すことに決め、「北方文化博物館」がスタートしました。

その後も豪邸に相応しい庭の整備もされ、地域の文化、歴史を現在もなお後世に伝え続けています。

国内のエリア一覧

海外のエリア一覧

カテゴリー一覧

skyticketならこんなにおトク!

最新の新潟市行き格安航空券

新潟市でおすすめの記事

新潟市のアクセスランキング