【長崎/壱岐】原の辻遺跡を現地取材!弥生時代にタイムトリップしよう

【長崎/壱岐】原の辻遺跡を現地取材!弥生時代にタイムトリップしよう

長崎県の離島、壱岐は古くから交通の要衝として栄え、あの弥生時代の日本について書かれた『魏志倭人伝』にも一支国(いきこく)としてその名が記されています。今回ご紹介する「原の辻遺跡」は、魏志倭人伝の時代の一支国の都として断定されました。

現在も発掘が続く原の辻遺跡はその一部が復元され、公園として一般開放されています。また、「原の辻ガイダンス」では原の辻遺跡の発掘の最新状況や復元手法について詳しく解説しています。
そんな原の辻遺跡を今回は現地取材をもとに詳しくご案内いたします。

目次

【長崎/壱岐】原の辻遺跡を現地取材!弥生時代にタイムトリップしよう

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原の辻遺跡とは?

壱岐、原の辻遺跡の景色

原の辻遺跡の発見は、大正時代にさかのぼります。郷土史家の松本友雄氏による報告が最初で、1939年には幡鉾川周辺から大量の弥生・古墳時代の遺物を発見。その後も発掘調査が行われ、中国の貨幣や鉄製の斧などが見つかりました。

これらのことから原の辻遺跡は、陸と日本本土をつなぐ重要な役割を担っていたと考えられます。そして出土物や集落構造を考慮した結果、2000年には原の辻遺跡が一支国の王都であったと結論付けられました。

まずは「原の辻ガイダンス」へ向かおう

原の辻ガイダンスの外観

原の辻遺跡バス停を降りると、印通寺方面(南)に向かって右側に「原の辻ガイダンス」が、左側に「原の辻一支国王都復元公園」が見えます。原の辻遺跡に着いたらまずは「原の辻ガイダンス」に向かいましょう。

こちらは入場料無料で、原の辻遺跡について詳しく学ぶことができる施設です。施設内ではビデオが放映され、原の辻遺跡についての歴史的経緯や発掘の現状、原の辻遺跡の復元手法について学ぶことができます。
また、最新の発掘で見つけられた出土品も展示され、いつ来ても新しい発見があります。

配布されるパンフレットからも、壱岐の歴史の奥深さを知ることができるでしょう。なお、屋外体験広場や体験学習室では、様々な体験イベント等も催されています。

▼カフェ・売店も併設!

原の辻ガイダンスカフェの古代米ハヤシライス

原の辻ガイダンスには、壱岐の麦焼酎やお土産等を扱う売店、古代米カレーや古代米ハヤシライスといった食事・お茶やコーヒーが楽しめるカフェが併設されています。「原の辻一支国王都復元公園」見学後、時間の余裕ができたら寄ってみるのも良いでしょう。

原の辻遺跡(原の辻一支国王都復元公園)を見学しよう

原の辻遺跡の高床倉庫

「原の辻ガイダンス」で原の辻遺跡について学んだら、道路を挟んで反対側の場所にある「原の辻一支国王都復元公園」へ向かいましょう。
国の特別史跡にも指定されている原の辻遺跡の面積は約100ha。その広大な敷地に一支国の王都が復元保存され、日本史ファン垂涎の歴史スポットとなっています。

こちらには物見櫓や穀物を入れる倉、一支国王の家などが再現されています。広い原っぱもあるので、小学生くらいの子どもと歴史を学びながら遊ぶのにもピッタリ。

所要時間は「腹の辻ガイダンス」を合わせた原の辻遺跡遺跡公園全体で60~90分といったところです。

あわせて見学したい「一支国博物館」

上空から見た壱岐市立一支国博物館

原の辻遺跡を見学する際にあわせて訪れたいのが「一支国博物館」です。むしろ、原の辻遺跡を訪れる前の予習として訪問するのがおすすめといえるでしょう。

「一支国博物館」には長崎県や壱岐市の文化財が多数展示してあり、一支国、壱岐国、壱岐市の歴史を知ることができます。また、壱岐が一望できる展望台や充実したミュージアムショップも見どころです。

詳しくは下記のスカイチケット観光ガイド記事をご覧ください。

原の辻遺跡へのアクセス

印通寺港の画像

九州本土および対馬から壱岐への玄関口は4つあります。

①郷ノ浦港(島南西側)・・・博多・対馬厳原からのフェリー・高速船が発着
②芦辺港(島東側)・・・博多・対馬厳原からのフェリー・高速船が発着
③印通寺(いんどうじ)港(島南東部)・・・佐賀県唐津東港からのフェリーが発着
④壱岐空港(島南東部)・・・長崎空港からの航空便が発着

博多・対馬厳原からのフェリー・高速船(ジェットフォイル)は、便によって郷ノ浦発着・芦辺港発着のどちらもあるのでご注意ください。

原の辻ガイダンスには無料の駐車場があります。

▼印通寺港・壱岐空港からのアクセス

レンタカーの場合、印通寺港から県道勝本石田線経由で約10分ほど。路線バスの場合は、印通寺港バス停より壱岐交通バスで約14分。壱岐空港からの場合は、印通寺バス停で勝本方面へ乗り換えてください。

▼芦辺港・一支国博物館からのアクセス

芦辺港からレンタカーを利用すると、県道23号勝本石田線経由で約20分ほど。
路線バスの場合、芦辺港から印通寺方面のバスに乗り(場合によっては芦辺バス停で乗り換え)、約30分ほどで到着します。

一支国博物館からは路線バスで印通寺方面へ2つ先ですが、博物館から原の辻ガイダンスまでは徒歩でも約30分程度で行けます。

▼郷ノ浦港からのアクセス

レンタカーなら、国道382号経由が最速です。

路線バスの場合、本町バスセンター(郷ノ浦)から印通寺を経由して約26分で到着します。
その他にも少し遠回りにはなりますが、原の辻遺跡を経由するバスもあります。ただし山崎行き、壱岐空港行き等は原の辻遺跡を経由しないのでご注意ください。

こちらもおすすめ!「電力の鬼・松永安左エ門記念館」

松永安左エ門記念館の玄関

印通寺港近くに、壱岐の石田町出身の経済人「松永安左エ門」(まつながやすざえもん)の生家を利用した記念館があります。松永は1875年(明治8年)に壱岐の石田で生を受け、幼少期は「亀之助」と名乗っていましたが、父のあとを継いで3代目「安左エ門」と名乗りました。

松永安左エ門は戦前のほとんどの電気事業を牛耳り、電気料金の7割増を断行するなど「電力の鬼」、「日本の電気王」とも呼ばれた偉人です。

彼は太平洋戦争下の電気事業国営化に断固反対し(松永自身は戦争自体にも反対でした)隠居の身となりますが、戦後は再び日本の経済を牽引。1971年に95歳で亡くなるまで日本の電力界・経済界の第一線で活躍しました。

彼は、当時の池田勇人首相より「勲一等瑞宝章」を授かりますが、松永自身は「人間の値打ちを人間が決めるとは何ごとか!」と断固拒否し、授賞式も欠席したという逸話が残っています。

そんな松永安左エ門記念館には、松永の写真や遺言状といった数々の彼の生涯を物語る貴重な資料が多数あります。
その中には「東京湾横断道路の建設」、「専売公社の廃止」、「新東京国際空港の建設」を提言した資料もあり、松永の先見の明の高さに関するヒントを得たいと、会社の社長や重役が松永の信念を学びにお忍びで訪れることもあるとか。

また、茶人の一面もあった松永安左エ門の人間性を物語る展示もあるなど、「日本の電気王」たる由縁を感じることができるでしょう。

▼西鉄の懐かしの車両が展示

西鉄で走っていた電車

ちなみに、庭に展示されている電車は、松永が西鉄(西日本鉄道)の前身「福博電気軌道」の設立に携わったことから、実際に走っていた車両を西鉄から寄贈されたものです。

▼壱岐の関連スカイチケット観光ガイド

日本のあけぼのを壱岐で探そう

壱岐の猿岩から見る夕焼け

日本と大陸の架け橋となった一支国の都、原の辻遺跡。人面石をはじめとしたさまざまな出土品から、だんだんと当時の姿が明らかになりつつあります。
また、日本の戦後復興を支えた松永松永安左エ門の記念館もご紹介いたしました。今日の日本があるのは壱岐の里で育った先人のおかげかもしれませんね。日本の礎ともいえる「壱岐」をぜひご堪能ください。

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