【原文】
又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。
【現代語訳】
(対馬国を出発して)また南に一海を渡ること千余里で一大国に到着する。この海は瀚海と名付けられている。この国の大官もまた卑狗(ひこ)、次官を卑奴母離(ひなもり)という。広さ三百里平方ばかり、竹木、叢林が多く、三千ばかりの家がある。ここはやや田地があるが、水田を耕しても食料とするには足らず、やはり南や北と交易して暮らしている。
九州と対馬との間の日本海に浮かぶ長崎県の壱岐(いき)は、太古の昔から日本本土と朝鮮半島をはじめとした大陸との架け橋として重要な役割を果たしてきました。壱岐は日本史の教科書にも出てきた『魏志倭人伝』にも一支国(いきこく)という名で記され、特に壱岐の「原の辻(はるのつじ)遺跡」は、魏志倭人伝が書かれた弥生時代の一支国の中心地として断定されました。今でも発掘調査が続けられ、新たな発見が続いています。
そんな壱岐の歴史を知るには「一支国博物館」(いきこくはくぶつかん)がおすすめ。今回は「一支国博物館」の取材レポートをもとに、魏志倭人伝に記された弥生時代のミステリーに迫っていきましょう!
目次
一支国博物館の見どころ!魏志倭人伝に記された壱岐の世界への旅
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魏志倭人伝とは?
魏志倭人伝が書かれたのは、西暦280年~297年ごろ。中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻の一節に「倭」(当時の日本)の地理・風俗が記されており、弥生時代の日本を知る上で超一級の資料となっています。
邪馬台国の位置が不明なのは「不弥国」(ふみこく)に関する記述が曖昧なのと、魏志倭人伝に記された距離の記述通りに行くと海上になってしまうためです。
しかし、途中の対馬国、一支国(いきこく、魏志倭人伝では「一大国」と記載)、末廬国(まつろこく、現在の長崎県松浦付近)、伊都国(いとこく、現在の福岡県糸島市付近)、奴国(なこく、現在の福岡市付近)に関してはおおよその研究者の間で見解が一致しており、なかでも壱岐の「原の辻遺跡」は国の都であることが明らかになった唯一の例です。
魏志倭人伝での一支国の記され方
一支国は魏志倭人伝の2008文字中57文字の記述があり、これは伊都国、対馬国に次ぐ情報量の多さです。
この後、千余里の海路を経て末廬国(まつろこく)へ至ります。ここから先は割愛しますが、興味のある方は岩波文庫から石原道博氏編訳の書籍があるので購入してみてはいかがでしょうか。
いざ一支国博物館へ!
前置きが長くなってしまいましたが、一支国博物館へ入館しましょう。
こちらがエントランスです。古代のミステリーを探るタイムトラベルに出発しましょう。
先ほど紹介した『魏志倭人伝』の原文が表示されています。この奥にあるビューシアターでは弥生時代の壱岐について、大陸からの渡来人と倭人(日本人)の交易シーンや倭人の暮らしについて、CGも多用しながらリアリティある映像で紹介しています。
順路右側の壁面には、現在の壱岐から弥生時代の一支国に至るまで時代を遡るように年表が書かれています。
▼長崎県や壱岐市指定の文化財がたくさん!
一方の順路左手には、仏像や焼き物、書状など長崎県や壱岐市指定の文化財が数多く展示されています。
※一部展示替えをすることもございます。
弥生土器などの貴重な資料を間近でじっくり観察することができます。歴史ファンにはたまらない展示ですよね。
壱岐には古墳時代に造られた古墳も数多く点在し、一支国博物館には数々の出土品も展示されています。
「海の王都・原の辻」の展示
広々とした空間が広がる「海の王都・原の辻」展示室のシンボルといえば、朝鮮半島などの大陸と一支国(壱岐)との交易に使われていたとされる木造古代船の模型です。
この展示室の照明は時間経過によって夜明けから朝・昼・夕そして月夜などに変化し、実際に一支国と大陸との間を航海しているようなイメージができます。
▼リアリティのあるジオラマに注目!
弥生時代の一支国(壱岐)の暮らしを再現したジオラマも注目です。こちらには漁労・船着き場・交易・農耕・日常生活・祭祀・弔いといったシーンが再現されています。ジオラマの人形たちも精巧に作られており、当時の生活ぶりを垣間見ることができますよ。
▼祭祀等に使用されていた土器や出土品
こちらにも祭祀等に使われていた土器や出土品の展示がされています。最近の大きなトピックスとしては、弥生時代の土器から「周」という文字が刻まれた出土品が発見され、弥生時代に既に文字が使われていた可能性が高くなったことなどが挙げられます。
※一部展示替えする場合があります。
▼でるかも展示
「でるかも展示」では、今後の発掘調査で発見が期待できるものを解説しています。銀印・封泥(魏から贈られた特別な品物を入れた箱)・筆と硯・王墓・大陸と一支国と往復した船などが、もし壱岐から発見されたら、日本史の教科書を書き換えなければならないかもしれません。それだけに期待も大きいですね。
常設展示はこちらでおしまいですが、期間限定の企画展示も随時催されています。時間があれば併せて鑑賞してみましょう。
一支国博物館4階の展望室からは壱岐島内を一望できる
一支国博物館に行くなら、4階の展望室にもぜひ立ち寄ってみてください。天気の良い日には原の辻遺跡をはじめとして、雄大な水平線を一望できて視覚的に島旅を体感できるはずです。
また、3階にはもっと壱岐の歴史を知りたい人のための資料閲覧コーナーや小休憩のためのコーナーとして、喫茶室もあります。
ミュージアムショップも見逃せない!
一支国博物館のミュージアムショップには島の歴史や自然、生き物、人物、美術・文学などをまとめた多彩な図録や、一支国博物館のオリジナルグッズ、壱岐市内にある酒蔵7社のおすすめ焼酎など、壱岐ならではのお土産がそろっています。
名称:一支国博物館
住所:長崎県壱岐市芦辺町深江鶴亀触515−1
公式・関連サイトURL:http://www.iki-haku.jp/
営業時間:8:45~17:30(最終入館17:00)
※月曜休館(祝日の場合は翌日休館、GW・夏休み・年末年始など例外日あり)
入館料(2022年5月現在):
大人410円
高校生310円
小中学生は210円
※障がい者と介助者1名の割引、団体割引あり
一支国博物館へのアクセス
九州本土から壱岐への玄関口は4つあります。
①郷ノ浦港(島南西側)・・・博多・対馬厳原からのフェリー・高速船が発着
②芦辺港(島東側)・・・博多・対馬厳原からのフェリー・高速船が発着
③印通寺港(島南東部)・・・佐賀県唐津東港からのフェリーが発着
④壱岐空港(島南東部)・・・長崎空港からの航空便が発着
博多・対馬厳原からのフェリー・高速船(ジェットフォイル)は、便によって郷ノ浦発着・芦辺港発着のどちらもあるのでご注意ください。
▼レンタカーでのアクセス
▼路線バスでのアクセス
一支国博物館玄関前のバス停に、壱岐交通の路線バスが昼間時間帯のみ乗り入れています。
所要時間の目安は、印通寺から約15分、郷ノ浦から約41分、芦辺から約15分(芦辺港から約26分)。壱岐空港からは、印通寺バス停で芦辺方面に乗り換えてください。
なお、原の辻遺跡へは、印通寺方向へ2つ先の「原の辻遺跡」バス停で降車すると便利です。
▼こちらもおすすめ!
太古の昔から明日の命へ…一支国博物館を楽しもう
『魏志倭人伝』に記された弥生時代から現代までの歴史が分かる「一支国博物館」。ここに来たらぜひ「原の辻遺跡」にも足を伸ばしてみてください。
また、壱岐には神社が多数あり、パワースポットとしても注目されています。機会があれば本物が「壱岐づく」島、壱岐を是非旅してみてはいかがでしょうか。
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