太平洋戦争が終わって今年で75年を迎えようとしています。現在では戦争当時のことを鮮明に覚えている人は少なくなりました。今の日本は、平和であることが当たり前であるような感じがしますが、75年前は違いました。
「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場」は、太平洋戦争末期に特攻隊員らを送り出した旧熊谷陸軍飛行学校の実技教習場です。特攻隊の隊員は若い命を散らさざるを得なかったのです。
そんな桶川分教場が2020年8月4日に博物館として生まれ変わりました。約8400平方メートルの広大な敷地内にあって奇跡的に今に残った「守衛棟、車庫棟、兵舎棟、便所棟、弾薬庫」の5棟が文化財指定を受け、当時の姿に復原されました。
目次
平和の尊さを次世代へ語り継ぐ…埼玉県桶川市に桶川飛行学校平和祈念館が開館!
特攻隊員の思いの一端がうかがえる
歴史に「もし」は禁物ですが、戦争がなかったら、戦争がもっと早く終わっていたら彼らはどのような人生を歩んだのでしょうか。特攻隊員の声を直接聞くことはできませんが、遺書の言葉には心を締め付けられるものがあります。
ここで生活しながら操縦技術を学ぶ学生たちは常に死を覚悟していて、その苦悩を建物は静かに見守り、また、彼らを何度も戦地に送り出してきたのです。
75年の時を超えて彼らは私たちに何を問いかけてくるのでしょうか。
遺書の複製のほかには、往時の学校生活の様子を表した写真や教科書、装備品などが展示されるほか、18台の木製ベッドで枕を互い違いに配置した狭隘な寄宿室の状況も復原されています。
この建物は戦地へ少年たちを送り出してきた
1937年に建築された建物は、短い工期のなかで造られた機能性重視の建物なのでデザイン性はほとんどありません。しかし、建築学的価値よりも戦地へ少年を送り出してきたという歴史的事実が重要なのだとものつくり大学の横山教授は述べています。
戦後は大陸からの引揚者の住宅として2007年まで使用されていました。
そして、復原工事を行い、世界の恒久平和に向けて様々な障壁を乗り越えて今回の開館にこぎつけました。
少年たちが訓練を行った飛行場はホンダエアポートとして使われている
少年たちが訓練した飛行場は、今はホンダエアポートとして、スカイダイビングのための飛行や、スカイトレックなどのチャーター便の離発着、遊覧飛行に使われています。一見するとのどかな飛行場ですが、75年前は違ったのです。
この地から再び戦地へ向かう若者が出ないためにも私たちの努力が大切なのです。
平和とは何か、改めて問い直す機会を
21世紀になりましたが、戦争はいまだになくなっていません。戦禍に苦しんでいる人々は世界に大勢います。75年前に戦争の犠牲となった若者の命を無駄にしないためにも私たちができることは何かを問い直してみましょう。
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