ラーメンだけじゃない!伝統を伝える観光名所「喜多方蔵の里」

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ラーメンだけじゃない!伝統を伝える観光名所「喜多方蔵の里」

喜多方には「喜多方蔵の里」と呼ばれる観光スポットがあります。蔵造りの文化を後世に伝えるための施設で、喜多方蔵の里では歴史的な町並みを楽しむことができますよ。また、喜多方の歴史や蔵について学べます。ここでは、蔵の里の見どころについて詳しく紹介。ぜひ観光する際の参考にしてくださいね。

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ラーメンだけじゃない!伝統を伝える観光名所「喜多方蔵の里」

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喜多方は蔵のまち

出典: TAKEZO / PIXTA(ピクスタ)

喜多方蔵の里には、約4500平方メートルの敷地に、店蔵、味噌蔵など、さまざまなタイプの蔵や昔の住宅が建っています。歴史を感じさせてくれる蔵や民家などが建ち並んでいるので、昔にタイムスリップしたような感覚を覚えるでしょう。その町並みを眺めたり、写真を撮影したりと景色を存分に楽しめます。住宅の外観や内部の造りを見ているだけでも、歴史の重みを感じられる空間です。

また、喜多方蔵の里内にある蔵はそれぞれが展示館になっているので、一つひとつの蔵や住宅を訪れて中をじっくりと見学するのもおすすめ。店蔵では地場産品を販売しているので、喜多方の名産品などのお土産を買うこともできます。

喜多方蔵の里を訪れるときは、事前に喜多方の文化や歴史について頭に入れておくと良いでしょう。蔵や町並みを見学しながら、喜多方の歴史をより深く理解できますよ。

旧唐橋家味噌醸造蔵

もともと味噌を醸造するために使われていた蔵です。内部は木造トラスト組の架構で、2階まで吹き抜けになっていてとても広く感じられます。中には蔵の写真を複数展示。時代の流れに伴って、どんどん壊されている蔵を見た写真家金田実氏の、蔵の記録を残すためにとり続けた写真を展示しています。この写真をきっかけに蔵に興味を持ってくれる人が増えて、喜多方蔵の町を訪れる人が増えました。

蔵の歴史や様子を感じられる写真が展示されているので、蔵について理解を深められるスポットです。

旧東海林家酒造蔵

大正12年に建てられ、銘酒「白山」が醸造されていた蔵です。昭和7年に夢心酒造がこの蔵を譲り受けてからは、倉庫として使われるようになりました。

この蔵では、喜多方の歴史について学べる資料が展示されています。蔵は2階建てで、1階部分は、社会教育団体修養団の創設者である蓮沼門三にまつわる資料が展示されています。蓮沼氏は喜多方市の出身で、東京師範学校在学中の明治39年に修養団を創設。日本の青年運動の草分け的存在として、70年以上も日本の社会教育の発展に尽くしたのです。

また、1階には自由民権運動喜多方事件に関する資料も展示されています。喜多方の先人たちが、喜多方事件で何を考え、どのような行動を起こしたのかを資料から伺い知れるでしょう。

蔵の2階には、喜多方地方の郷土資料が展示されています。喜多方地方に属する各地域の資料や押切川の活用計画資料などを見られます。

勝手蔵

喜多方地方の典型的な商家の蔵です。店蔵から座敷蔵、勝手蔵へと続く配置が、商家の特徴をよく表しています。蔵の内部には、考古学者である二瓶清が収集したものが展示されています。二瓶清は会津の郷土史家でもあり、考古学のパイオニア的存在でもありました。

喜多方市で産まれた二瓶清は、福島師範学校卒業後は小学校教師として教壇に立っていましたが、本格的に考古学の資料収集に興味を持ち始めました。教職の傍ら、会津地方の遺跡や文化遺産を訪れて資料の収集に励みます。長年収集したコレクションや資料から、会津の歴史を知ることができます。

座敷蔵

男のロマンを感じられるのが座敷蔵です。当時は男性にとって、蔵を建てることが生涯の夢でした。蔵の中には、居間と書院座敷、前室があります。店蔵から座敷蔵、勝手蔵へと続く造りは、喜多方地方の典型的な商家の配置となっていて、蔵を母屋内に設置する点が特徴的です。

ぜひ見学して、当時の男性の蔵に対する憧れを感じてみましょう。

旧外島家住宅

江戸の初期から幕末まで、豊岡地区で郷頭を務めた外島家の住宅です。外島家は明治3年の郷頭制が廃止されるまで、先祖代々郷頭を務めた家柄でした。昭和63年に解体の意向が決まりましたが、喜多方市教育委員会と外島家の協力によって、建物を解体してから移築することが決まったのです。

そして、平成2年に現在の喜多方蔵の里に復元と組み立てが行われ、福島県の重要文化財に指定されました。昔の住宅の内部や外の様子は大変興味深いものです。また、周りの蔵や住宅とのコントラストも見どころでしょう。

旧手代木家住宅

出典: QUU / PIXTA(ピクスタ)

江戸時代後期の村役上層農民の住宅です。天保の後半に建設されたと言われている住宅は、木造、寄棟造、茅葺き、平屋建て。変形した間取りが、旧手代木住宅の見どころの一つです。

もともとは、別の場所にあった手代木家住宅でしたが、喜多方蔵の里に移築されました。邸宅の座敷棟については、幕末近くに増築されたものですが、これもそのまま移築することとなりました。

また、明治元年に起こった農民一揆による打ち壊しで受けた柱の傷もそのまま残されています。明治元年頃の農村社会の様子を確認できることから、住宅の保存が決定されました。

おみやげは旧冠木家店蔵で

もともとは、呉服商の蔵として使われていましたが、現在はおみやげを販売しています。また、庭や蔵内の造りも見どころ。明治初期頃に建築されたと言われていますが、江戸期の店蔵の形式をとどめているのが特徴です。旧冠木家店蔵では、道の駅「喜多の郷」だけで取り扱っている喜多方ラーメンも販売。喜多方といえばラーメンが有名ですので、お土産として買っていくと喜ばれるでしょう。他にも、喜多方の地場産品を多数販売しています。

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