武田に真田!名将渦巻く松代城跡で観光おすすめプラン

武田に真田!名将渦巻く松代城跡で観光おすすめプラン

松代城跡は長野県長野市にある城跡。かつての太鼓門・堀・石垣・土塁などが復元されている長野市の人気スポットです。また、周辺には武田や真田といった名将にまつわる観光スポットがたくさん。

本記事では、松代城跡とその周辺をめぐるおすすめ観光プランをご紹介します。長野旅行、松代観光を考えている方は、ぜひ参考にしてみてくださいね。

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武田に真田!名将渦巻く松代城跡で観光おすすめプラン

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松代城の歴史

松代城は、永禄3年(1560年)頃に武田信玄により築城されたと言われています。当時は上杉謙信を相手にした「川中島の合戦」の真っ只中。川中島地域の拠点城郭として「海津城」の名で築城されたことが始まりです。現在の「松代城」に改名されたのは、元和8年(1622年)のことでした。

現存している建物が少ない松代城ですが、背景にはかつてより洪水や火災の被害を被ってきた歴史があります。背後を流れる千曲川はたびたび洪水を起し、本丸・二の丸・三の丸・花の丸は火災によって焼失。やがて明治5年(1872年)に廃城となると桑畑として開墾されたため、建物はほとんど取り壊されました。

現在確認できるものはほとんどが復元されたもので、当時のまま残っているものは真田邸などごくわずか。昭和56年(1981)には国の史跡に指定されています。

整備・復元された本丸跡

出典: ふるさと探訪倶楽部 / PIXTA(ピクスタ)

松代城の本丸は享保2年(1717)に火災によって焼失。幕府から1万両を借財し再建するも、弘化4年(1847)に起きた善光寺地震によって再び崩壊しました。

跡地となった本丸はその後、明治37年(1904)に真田家に買取られ、遊園地として一般向けに開放されました。昭和39年(1964)には県の史跡に、昭和56年(1981)には国の史跡に指定。平成7年から平成16年までの間に本丸周辺の修復や再建がなされ、現在の松代城の姿になりました。

現在の本丸はきれいに整備されており、観光客で賑わう人気スポットとなっています。春になるとソメイヨシノが咲き誇るため、桜のスポットとしても話題です。太鼓橋に面している内堀は明治以降埋め立てられていたため、復元する際に古絵図を参考に発掘調査を行われました。

藩主真田家が維新後も暮らした「真田邸」

真田邸は、9代藩主幸教が義母・貞松院のための御殿として元治元年(1864)に建築した城外御殿です。松代城のすぐそばにあり、「新御殿」とも呼ばれています。

江戸時代、大名の妻子は江戸を出ることが禁じられていましたが、文久の改革による参勤交代制度の緩和によって妻子の帰国も許されるようになりました。それに伴い御殿が必要となった貞松院のために建てられ、幸教も隠居後はここで暮らしました。明治以降は真田氏の私宅となりましたが、昭和41年(1966)幸治氏によって真田家の家宝とともに松代町に譲渡されました。

現在では、江戸末期の建築や暮らしの様子を知ることのできる施設として人気のスポット。実際に中に入って見学もでき、縁側からは美しい日本庭園を望むこともできますよ。

水戸の弘道館にならった「文武学校」

文武学校は、藩士の子弟が学問と武術を学ぶために開校された藩校。文武の奨励を行っていた8代藩主幸貫によって計画され、9代藩主幸教の時代に開校しました。

他の藩校とは異なり儒教の教えをせず、東洋・西洋の医学や西洋の軍学など先進的な教育を取り入れていたといいます。その他にも漢学や躾方、槍術・柔術・弓術・剣術などの授業が行われました。

創建当時のままの姿を残している建物は、全国的に見てもまれ。そのため時代劇などのロケに使われたことも。昭和28年(1953)に国の史跡に指定されています。

※文武学校は2020年3月(予定)まで保存整備工事を行っており、工事期間は入館できません。

武家屋敷の格式を伝える「旧白井家表門」

旧白井家表門は、松代中級藩士であった白井家の表門。もともとは松代城より少し離れた場所に弘化3年(1846)に建築されましたが、平成12年に現在の位置に移築復元されました。

表門は三間一戸門形式の長屋門で、槻でつくられた門部は間口が約20mとかなりの大きさ。門には白井家の陪臣武士が住んでいたとみられる三つの居室部が続いており、門に住宅が続いている珍しい設計としても有名です。

白井家はかつて藩の御金奉行や御宮奉行などを勤めていた中級藩主で、佐久間象山との親交も深かったといいます。

門の内側には無料休憩所があり、文化財ボランティアの方々が湯茶接待のサービスを行っています。建物についての説明を聞くこともできますよ。

真田家ゆかりの品々を収蔵「真田宝物館」

真田宝物館には、12代当主・幸治氏より譲渡された真田家の武具や調度品、書物などの家宝を展示する博物館です。実際の大名道具を見ながら、真田家の歴史を知ることができます。2016年にNHK大河ドラマ『真田丸』が放送されると、多くの人々が訪れました。

「真田家の歴史展示室」では、真田家が大軍を退けた歴史や、父子が敵味方となり戦った歴史など真田家にまつわる歴史について知ることができます。「企画展示室」「大名道具展示室」では、真田家や松代藩にまつわる展示品を公開。他にも、着物や甲冑を体験できる「わくわくルーム」や、オリジナルグッツを販売しているコーナーもあります。

もしロビーに文化財ボランティアの方が待機していたら、説明をしながら館内を案内してもらえるかもしれませんよ。

太平洋戦争末期の遺構「象山地下壕」

象山地下壕は、松代大本営跡と呼ばれる地下坑道跡のうちの一つ。舞鶴山、皆神山、象山の三か所に掘られましたが、現在この象山地下壕のみが一般公開されています。

本土空爆が始まった太平洋戦争の末期、国が本土決戦最後の拠点として極秘のうちに建設していた象山地下壕。完成すれば政府機関や皇居などを移転させる計画でした。建設は昭和19年11月11日から進められ、全体の75%の段階まで進んだところで終戦。結局、象山地下壕が利用されることはありませんでした。

壕内は約1kmの見学コースが整備され、当時の作業の様子を見ることができます。また、戦争の無意味さを物語る遺構としての役割も果たしています。

◎足を延ばせば川中島の古戦場

松代城からタクシーで約10分のところに、川中島の古戦場があります。ここは川中島の合戦の際に、武田信玄が本陣を構えた場所であるとされています。川中島の合戦とは、武田信玄と上杉謙信が北信濃の支配権を巡って戦った合戦。川中島が主な戦地となったことより川中島の合戦と呼ばれています。

現在は史跡公園となっており、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをする銅像が設置されています。他にも首塚や武田軍本陣の土塁が残っており、当時の戦の激しさを伺えます。

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