名称:Umm ar-Rasas (Arabic: أم الرّصاص)
住所:Amman Governorate, Jordan
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1750年ほど前の遺跡「ウム・アル-ラサス」は、2004年に登録されたヨルダン南部に位置する世界遺産です。600年もの間、都市として様々な変化を経験した「ウム・アル-ラサス」。時代の変化がもたらした城塞都市の遺跡は驚くべき芸術を残しました。この記事では歴史のロマンをたたえたヨルダンの世界遺産、「ウム・エル-ラサス」について紹介していきます。
目次
1750年の歴史!ヨルダンの世界遺産「ウム・エル-ラサス」
ウム・エル-ラサスとは?
「ウム・エル-ラサス」はヨルダンの首都アンマンから南に約48km、マダバからは南東約30kmのところにある城塞都市。2004年に世界文化遺産として登録されました。この都市は廃墟の中にたたずんでいますが、東側にはいくつかの建物が発掘されて復元されています。復元されたものは教会や階段、井戸がある中庭や美しく湾曲した石造りのアーチなどです。この遺跡は3世末から9世紀の都市と推測されています。
教会の遺跡も発掘され、16もの遺跡が見つかりました。その教会の遺跡の一部には保存状態の良いモザイクが残されているので驚きです。中でも聖ステファノス教会で発見されたモザイクは、マダバのモザイク地図に次ぐ大きな発見となりました。発見されたモザイクには、旧約聖書と新約聖書に出てくるヨルダン川周辺の27都市が描かれています。
ウム・エルーラサスへのアクセス
ヨルダンにアクセスするにはまずドバイやアブダビ、イスタンブールなどの都市で乗り継ぎする必要があります。日本からヨルダンまでは直行便が運航していません。「ウム・エルーラサス」まではいずれも車で移動することになります。ヨルダンの首都アンマンからは車で南下。所要時間は1時間です。アンマンの空港から車で移動する場合は、アンマンを通って南下します。所要時間は約1時間15分です。
ウム・エル-ラサスのおすすめポイント3
聖ステファノス教会のモザイク画
「ウム・エル-ラサス」で最も重要な発見は、聖ステファノス教会の床に施されたモザイク画です。このモザイク画は785年に作られたもので、1986年以降に発見されています。このモザイク画は完璧に保存されていて、ヨルダン最大のモザイク画です。モザイク画の中央パネルには狩猟や釣りの場面が描かれ、他のパネルには「ウム・エル-ラサス」の重要な都市でもあるフィラデルフィアやマダバ、エスバンタやエルサレム、ガザなどが描かれています。
「ウム・エル-ラサス」が誇るモザイクのフレームは装飾が美しいです。製作に参加した6人のモザイクマスターの名前がそこに記されています。また、そのモザイク画の下にはそれ以前の壊れたモザイク画があって、それを隠すように施されているのも印象的です。
四角柱の塔
雲に向かってそびえるように立つ四角柱の塔は、祈りの呼びかけのための祭壇として建築されました。スタイリットの塔とも呼ばれ、「ウム・エル-ラサス」の約1.6km北に位置しています。 キリスト教徒が修行しながら生活をしていたことから、キリスト教徒たちの基盤として役立っていました。 四方にキリスト教のシンボルが彫刻で装飾された四角い柱は啓蒙の中心地。ビザンチン時代に確立された栄えあるコミュニティの証拠となっています。世界遺産「ウム・エル-ラサス」のもう一つの顔です。
また、「ウム・エル-ラサス」の建物はとても丈夫です。建築家は岩石を密接に合わせる技術を使用。いくつかの地震に抵抗した強い構造を実現しました。四角柱の塔をはじめ今も残っているアーチは、その優れた建設品質と技術を証明しています。
ウム・エル-ラサスの発展
「ウム・エル-ラサス」はかつてローマ軍の占領地でした。4世紀にディオクレティアヌス皇帝が、ローマ帝国の保有物を侵略者から守りたいという願望のもと、国境の大部分にライムと呼ばれた壁を作りました。「ウム・エル-ラサス」はマダバとカラクの間に位置していたことから軍事キャンプを設立。それは150m×120mの面積を誇るものでした。
ここでは地元から騎兵が集められ、ローマの利益のためにその地域を保護。彼らが提供した安全のおかげで、小さな民間人の町が2世紀にわたって発展しました。町はキャンプに比べて約2倍の大きさでしたが、それには少なくとも15の教会があったのです。おそらく巡礼センターのような役割も持っていたのでしょう。
◎まとめ
「ウム・エル-ラサス」にあるほとんどの遺跡は現在も発掘されていません。地下にはどんな歴史が眠っているのかを考えると、この遺跡への興味がさらに増すことでしょう。静かな観光地なので、ゆっくり西暦300年頃の昔に思いはせることもできますよ。その土地に眠った人々の魂と歴史と文化に思いを巡らせてみませんか?