ローマを恐れさせたフェニキアの都!世界遺産「カルタゴ遺跡」

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ローマを恐れさせたフェニキアの都!世界遺産「カルタゴ遺跡」

カルタゴを建設したフェニキア人は、古代ギリシャ時代から商才に優れた民族として知られていました。彼らは地中海南岸の海洋貿易を通じて急速に発展、もともとの本拠地であった現在のレバノン周辺からカルタゴに移り、アフリカ西岸やイベリア半島東岸にまで植民市を拡大しました。

古代カルタゴで最も有名な人物といえば、アルプスを越えてローマを陥落寸前にまで追い込んだ名将ハンニバルでしょう。彼は今でもイタリア半島では恐怖の象徴であり、カルタゴのあるチュニジアでは英雄として紙幣の肖像に描かれています。ただし、ハンニバル自身は父が建設したイベリア半島の植民市カルタゴ・ノヴァ(現在のカルタヘナ)の生まれ。第二次ポエニ戦争後にカルタゴの復興に尽力しましたが、やがて祖国を追われてシリアに亡命し、その地で生涯を閉じました。

しかし、世界遺産として登録されている今日のカルタゴ遺跡は、フェニキア人の国がローマに滅ぼされて以降のものです。前146年にカルタゴが陥落した際、ローマはその復活を恐れ、草一本生えることのないよう塩を撒いたと伝えられています。さまざまな場面で語り継がれる幻の都カルタゴの遺跡は、1979年に世界遺産に登録されています。

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ローマを恐れさせたフェニキアの都!世界遺産「カルタゴ遺跡」

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カルタゴ遺跡とは?

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フェニキアの植民市カルタゴは、紀元前9世紀後半に建設されたと考えられています。衰退するフェニキア本国に代わって強力な海軍を背景に発展しました。

しかし商圏の拡大とともに、ギリシャやローマなど他の地中海諸都市との間に対立を生むようになりました。紀元前600~紀元前265年の間にはギリシャとの間で3度のシケリア戦争が、そしてローマとの間には紀元前264~紀元前146の間にやはり3度のポエニ戦争が勃発します。このうちハンニバルが活躍したのが、第二次ポエニ戦争です。

名将ハンニバル亡き後の第三次ポエニ戦争でフェニキア国家カルタゴは滅び、都市は徹底的に破壊されます。紀元前1世紀ごろにはかつてのカルタゴの跡に新しいローマの植民市が建設されました。そのため、現在の世界遺産カルタゴ遺跡では、典型的なローマ都市らしい円形劇場や浴場の跡が見られます。

その後、5世紀にはヴァンダル人が築いたヴァンダル王国の首都となりますが、553年にこれも滅亡。7世紀末にはイスラームのウマイヤ朝がカルタゴを占領します。ウマイヤ朝はもともとカルタゴの衛星都市だった内陸のチュニスを発展させたため、カルタゴは人の住まない廃墟と化していきました。

カルタゴ遺跡へのアクセス方法

日本からチュニス・カルタゴ国際空港までの直行便はないので、イスタンブールやドバイ、ドーハなどを経由する必要があります。空港は名前のとおりチュニスとカルタゴの中間付近にあります。空港には鉄道は乗り入れていないので、バスかタクシーで向かうことになります。際空港からカルタゴ遺跡までは15kmほど。車で約20~30分の道のりです。

首都チュニスからは、港回りの鉄度に乗れば、「カルタゴ・ハンニバル」という分かりやすい駅があるので、そこで下りれば歩いて世界遺産の遺跡を巡れます。また、チュニス発の日帰りツアーも数多く出ています。

世界遺産カルタゴ遺跡のすぐ隣には、リゾート観光地として人気のシディ・ブ・サイドがあるので、ここに宿泊するのもおすすめです。

カルタゴ遺跡のおすすめポイント①:アントニヌス浴場

出典: Dasha Petrenko/PIXTA(ピクスタ)

地中海の青い海を目の前に、2本の柱と崩れた石壁が印象的な巨大な建物跡。ここは、ローマが建設したアントニヌス浴場です。総面積は35,000平方メートル、長辺の長さが200mにもなる巨大な公衆浴場で、ここまで海に近いものは珍しいといえるでしょう。

なんとそのころのローマで3番目の大きさだったとか!紀元後2世紀に完成したといわれるアントニヌス浴場は、2階建てで100もの部屋があり、温水風呂や冷水風呂、さらにはサウナまであったそうです。浴場は美しいモザイク画や大理石で飾られ、左右対称の形をしていたといわれています。

当時の浴場から海は見えなかったでしょうが、地中海都市の華やかな暮らしぶりが目に浮かぶようです。

カルタゴ遺跡のおすすめポイント②:トフェ

出典: Dennis Jarvis

世界遺産カルタゴ遺跡の中でカルタゴ港に近い住宅に現存している、数少ないカルタゴ独自の遺跡がトフェです。フェニキアの火の神バール・ハモンと、天と豊穣の神タニトを祀っている神聖な場所で、トフェとはユダヤ語で生贄を表します。現在目にする遺跡の多くは、子供のお墓。中からは幼児の骨の入った骨壺が無数に見つかっているそうです。

ローマの文献によれば、当時フェニキアでは幼児を生贄に捧げる風習があったとされています。しかし、実際のところそれを裏付ける決定的な証拠はないため、まだはっきりしたことはわかっていません。たとえ生贄ではなかったとしても、乳幼児だけがこんなにたくさん眠っているなんて、少し切なくなってしまう世界遺産ですね。

カルタゴ遺跡のおすすめポイント③:その他のローマ都市遺構

出典: >> Sylvain

アントニヌス浴場から線路と幹線道路を挟んだ反対側にも、ローマ時代の都市遺構が広がっています。そのうちもっともローマらしいといえるのが劇場と競技場で、それぞれ史跡として整備され、観光スポットになっています。

その脇にはローマ人の住居跡があり、こちらも見学可能です。壁や土台が残るだけですが、方形の区画がいくつも連なっているようすを見れば、当時カルタゴがいかに大きな都市であったかが実感できるでしょう。

カルタゴ遺跡を訪れる際の注意点

カルタゴ遺跡は3km四方の場所に遺跡が点在しています。カルタゴの共通チケットで10カ所の遺跡を見学することができますが、徒歩だけでは1日かかっても周りきれません。なので短時間で効率よく見学したい場合は、ツアーやタクシーを利用することをおすすめします。

また、アントニヌス浴場の近辺にはチュニジアの大統領官邸などがあり、そのような政治関連場所は撮影禁止です。写真を撮っていると注意されることがあります。

◎まとめ

世界史でもおなじみの世界遺産カルタゴ遺跡についてご紹介しました。歴史の表舞台に登場するのは、たいていハンニバルがローマを脅かした第二次ポエニ戦争でですが、今日の世界遺産カルタゴ遺跡に残っているのは、上述の通りほとんどがローマ時代の遺構です。

とはいえ、地中海世界の交易史において欠かすことのできない存在であるカルタゴ。アフリカ北岸地域を訪ねるなら、まず押さえておきたい世界遺産です。

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