【世界遺産】イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡|古代から中世へ

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【世界遺産】イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡|古代から中世へ

世界遺産、イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡についてご紹介します。

ゲルマン系のロンゴバルド族は、6世紀にイタリアに侵入し、ロンゴバルド王国(ランゴバルド王国とも)を建設しました。彼らは、ローマ帝国の役職を取り入れたりキリスト教に改宗したりするなど、イタリアでの権威の確立を図るようになります。

そのなかの一環として、イタリア各地にはロンゴバルド族による多くの宗教施設などが建設されました。そこには、ローマやゲルマンのほか、ビザンティンの様式も融合され、独特の建築美が生み出されています。

その後、ロンゴバルド王国はカール大帝によって滅ぼされ、大帝は西ヨーロッパ世界を統一します。一般に、ヨーロッパの中世は5世紀末の西ローマ帝国の滅亡に始まるとされていますが、建築史や美術史などにおいては、ロンゴバルド王国の時代は古代から中世への移行期とみられています。

そうした観点から、イタリアのロンゴバルド族の建築は重要な意味をもつものとされ、2011年に世界遺産に登録されました。

目次

【世界遺産】イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡|古代から中世へ

イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)とは?

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ロンゴバルド族は、もともとはスカンジナビア半島南部に住んでいましたが、紀元前2世紀ごろから新天地を求めて南下していったと考えられています。5世紀ごろにはドナウ川中流域にまで移動し、独立した王国を築きました。

6世紀に入って東のアヴァール人の圧迫を受けるようになると、568年に王アルボイーノに率いられたロンゴバルド人はイタリア半島に侵入。北東部ヴェネト地方の大半を制圧し、ロンゴバルド王国を打ち立てます。

その後さらに勢力を拡大し、イタリア中部にスポレート公国を、南部にベネヴェント公国をそれぞれ建設しました。しかし、ビザンツ帝国との戦いのなかでイタリア半島全土を征服するには至りませんでした。598年にローマ教皇と講和すると、ロンゴバルド王はキリスト教に改宗し、国の安定を図ります。

世界遺産に登録された建造物群が建てられたのは、こうした情勢のなかでした。しかし、安定路線は長続きせず、再びビザンツ帝国などと争うようになったほか、内紛を繰り返して国力を削っていきました。

774年、フランク王国のカール大帝によってロンゴバルド王国は滅ぼされます。しかし、その建築様式はカール大帝に受け継がれ、その後の西洋美術史に大きな影響を及ぼしたのです。

イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)へのアクセス

ロンゴバルドの小神殿などのあるガスタルダガ地区へは、トリエステやヴェネツィアから鉄道でウーディネまで行き、私鉄のウーディネ・チヴィダーレ線に乗り換え、終点のチヴィダーレ・デル・フリウーリで下車します。

サン・サルヴァトーレとサンタ・ジュリアの修道院の最寄りのブレシア駅までは、ミラノから電車で約50分。トルバ塔を含む城塞とサンタ・マリア・フォリス・ポルタス教会の最寄駅は、ヴァレーゼまたはガッララーテです。そこからカステルセプリオへは市バスを利用します。

クリトゥンノの小神殿は、ペルージャから列車で約1時間ほどのカンペッロ・スル・クリトゥンノ駅から歩いて20分ほどです。

サン・サルヴァトーレ聖堂は、ペルージャから列車で約50分のスポレートの市内にあります。ベネヴェントにあるサンタ・ソフィアの建造物群へは、ナポリから鉄道に乗り、カゼルタで乗り換えて約1時間40分です。

最後にサン・ミケーレの聖域はローマから約3時間。あるいはナポリから鉄道でフォッジャまで行きます。そこからはバスに乗りましょう。

イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)のおすすめポイント

1. ロンゴバルドの小神殿

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スロベニアとの国境に近い小都市チヴィダーレ・デル・フリウーリのガスタルダーガ地区にあるサンタ・マリーア・イン・ヴァーレ小礼拝堂は、通称「ロンゴバルドの小神殿(テンピエット)」と呼ばれています。

ロンゴバルド王国後期の最も重要な歴史的建造物の1つとされ、写実立体的な漆喰彫刻やフレスコ画、大理石の厚板、円柱、モザイクなど、8世紀の美しい装飾を目にすることができます。

注目すべきは、後陣の壁面に描かれている6体の女性像。大理石などの平面に浅浮彫が施されていて、とても華麗な作品に仕上がっています。また、壁面の装飾芸術も高く評価されているので、礼拝堂の内部は隅々まで注目してみてください。

また、市内のサンタ・マリーア聖堂や洗礼堂遺跡なども、「司教関連建造物群」として世界遺産の構成資産になっています。

2. サン・サルヴァトーレとサンタ・ジュリアの修道院

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ミラノの東にあるブレシアには、「ブレシア市立博物館」になっている世界遺産「サン・サルヴァトーレとサンタ・ジュリアの修道院」があります。サン・サルヴァトーレ教会とサンタ・ジュリア教会という別々の教会が1つになったもの。

サン・サルヴァトーレ教会は753年にロンゴバルド王国最後の王デジデリオの即位前に建てられたもので、サンタ・ジュリア教会は16世紀末の築になります。前者は中世様式なのに対し、後者はルネサンス様式なのが大きな特徴です。

館内には、紀元後1世紀の「翼のある勝利の女神」や「フラビアン一族の女性頭部」のブロンズ像、同2〜3世紀に作られた色鮮やかなモザイクの床、サンタ・マリア・イン・ソラリオ教会のドーム天井に描かれた群青色の星空と壁面一面のフレスコ画など、見どころがたくさんあります。

3. サン・ミケーレの聖域

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世界中のカトリック教徒がお参りに来る巡礼地の1つにもなっている世界遺産が、「サン・ミケーレの聖域」です。長靴の形をしたイタリア半島の、ふくらはぎの辺りに突き出た小さな半島の山の上にあります。

サン・ミケーレとは大天使聖ミカエルのことで、5世紀末に3度その姿を現したとされる洞窟の上に、ロンゴバルド人がさまざまな宗教施設を建造しました。洞窟自体も見学することができ、フランスのモン・サン=ミシェルを出発したミカエル信仰の巡礼者の最終目的地となっています。

洞窟の中には祭壇があり、そこに納められているガラスの箱には、ルネッサンスの彫刻家アンドレア・サンソヴィーゾの聖ミカエルの像が奉られています。

大天使の洞窟のほかにも、世界遺産ではありませんが、サンタ・マリア・マッジョーレ教会やモンテ・サンタンジェロ城、サンジョヴァンニ洗礼所など、いろいろな見どころが集まっている観光地です。

◎まとめ

世界遺産「イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)」の見どころについてご紹介しました。古代から中世へとヨーロッパが大きく動いていた時代に、約200年という限られた期間に彗星のように現れ、輝きを残していったロンゴバルド王国。その時代に生み出された建築美は、後世のルネッサンスへとつながる布石ともなりました。

イタリア国内に散在していて必ずしも訪れやすいとはいいがたいですが、イタリアを漫遊するときにはぜひロンゴバルド族の権勢の足跡にも目を向けてみてください。

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