名称:ミュスタイアのベネディクト会聖ヨハネ修道院(Benedictine Convent of St John at Muestair)
住所:7537mustair switzerland
公式・関連サイトURL:https://whc.unesco.org/en/list/269/
スイスの東部グラウビュンデン州の、人口が1000人にも満たない小さな村「ミュスタイア」。自然の穏やかな山々と緑が素敵なこの小さな村に、ユネスコの世界遺産に登録された修道院「ベネディクト会聖ヨハネ修道院」があります。
20世紀には付属する建物からフレスコ画が発見されたことでも知られ、保存状態も良好で1983年ユネスコの世界遺産に登録されました。ミュスタイル村の風景は素敵でまさにスイスの秘境。その村の景色と共存する聖ヨハネ修道院は別名で「ザンクト・ヨハネ修道院」とも呼ばれています。
目次
【スイス世界遺産】ミュスタイアのベネディクト会ザンクト・ヨハン修道院
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「ミュスタイアのベネディクト会聖ヨハネ修道院」とは?
スイスとイタリアの国境近くの穏やかな村ミュスタイア。この村を象徴するかのよう佇むのが「聖ヨハネの修道院」です。755年フランク王国の時代に、カール大帝の命を受け建造されました。修道院内には壮大な構想で描かれた当時の壁画が残されています。
20世紀に付属教会の改修工事が行われている中、壁画の下からさらに古い壁画が発見され注目を集めました。これは1100年以上も前に描かれたもので、世界的にも貴重な資料となっています。
カロリング朝の建物が現在も完全な保存状態であることや、その中世のフレスコ画の存在が評価され世界遺産となっていますが、驚かされるのは、現在もなお修道女の方々が暮らす修道院であるということ。戒律厳しいベネディクト会の規律に従って今も活動されています。
「ミュスタイアのベネディクト会聖ヨハン修道院」へのアクセス
ミュスタイル村は秘境のような場所にあり、レーティッシュ鉄道ツェルネッツ駅からのポストバスで行くのが一般的です。
日本からは東京成田からスイスのチュ-リッヒ国際空港まで行き、チューリッヒ国際空港からチューリッヒ中央駅へ。チューリッヒ中央駅からツェルネッツ駅までレーティッシュ鉄道に乗ります。ツェルネッツ駅からミュスタイアまでは、バスかタクシ-が便利です。
「ミュスタイアのベネディクト会聖ヨハネ修道院」のおすすめ①:口マネスク様式のフレスコ画
出典: By James Steakley - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5518468 (CC BY-SA 3.0)
ここベネディクト会の聖ヨハネ修道院から発見されたフレスコ画は口マネスク様式のフレスコ画と言われています。口マネスク様式とは、10世紀の終わりから12世紀の間、西ヨ-口ッパへ広まった中世期の美術用語で、彫刻をはじめとする建築などの装飾、文学までに至る中世建築様式のことです。
口マネスクとは「口-マ風の」という意味でもあり、宗教に関わる建築や美術が中心となり、修道院が主な役割を担っていました。口マネスクは修道院の芸術そのものだと言われています。
ここミュスタイアのベネディクト会聖ヨハネ修道院に展示されているフレスコ画は、9世紀から12世紀にかけて描かれたもので、20世紀のはじめこの修道院に付属する建物の改修工事の最中に偶然発見されたフレスコ画。長い間の眠りから醒めた神の力のようにも見えますね。
「ミュスタイアのベネディクト会聖ヨハネ修道院」のおすすめ②:農業のための付属的な施設・設備
世界遺産の構成資産は、外壁に囲まれた修道院エリアの全建造物と農業のための付属的な施設・設備を含んでいます。これらが世界遺産顕著な普遍的価値「登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠」を表現するために必要な要素をカバー。そして、聖ヨハネ修道院は現在もベネディクト会の修道女のための宗教施設として活動を続けています。
聖ヨハネ修道院は、要素と機能的な点で真正性の条件を満たしていることから世界遺産に相応しいと考えられています。
「ミュスタイアのベネディクト会聖ヨハネ修道院」の注意事項
修道院へ入るときには、入り口にある聖なる水で指先をぬらして一礼します。
修道院の中での写真は禁止されていませんが、ミサの祈りの時間などはカメラの撮影は控えるようにしてください。どこの教会でもそうですが、神が祀られてある聖域内ではスマ-トフォンなどの電源は切っておく心掛けが大切です。
◎ベネディクト会とは?
ベネディクト会とは529年ヌルシア人のベネディクトゥスが、口-マとナポリの中間にあるモンテカッシーに始めて創ったものです。ベネディクトゥスは修道院の規範として、従順、清貧、貞潔、定住、祈りの共同生活などの修道院の基盤を立ち上げました。
こうした規範はフランシスコ会やドミニコ会以降も、数々の修道院会のモデルとなって広がっています。また、ベネディクトゥスの実妹であるスコラステイカも兄と同精神であり、この規範を用いて女子修道院を建造しました。こうした修道院の会則を創ったことからベネディクト会と呼ばれるようになったのです。
しかし、910年以降ベネディクト会は宗教改革時代に修道院の解散や廃止などの大きな波にぶつかりましたが、1830年、ベネディクト会のたくさんの聖人たちと神の力によって再び立ち上がりました。
日本では北海道の室蘭に、北アメリカの聖ベネディクト女子修道院連合会に属する「聖ベネディクト女子修道院」があります。