名称:松陰神社
住所:山口県萩市椿東松本1537
公式・関連サイトURL:https://showin-jinja.or.jp/
山口県は幕末に長州藩として歴史の渦を動かす重要な役目を果たしました。そのため、源氏と平家の最後の戦いとなった壇ノ浦など山口県を代表する観光スポットや、幕末志士や明治政府に関わった偉人に関するスポットが山口県には数多くあります。このページでは特に歴史好きな人たちに訪れてほしい山口県のスポットを厳選して紹介します。
目次
幕末、明治、弥生・・・歴史好きにおすすめする山口県16のスポット
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1.松陰神社
松陰神社は吉田松陰を祀っている神社。御神体は松陰の使用していた硯(すずり)と文となっています。松陰神社には本殿のほかに、世界文化遺産となった松下塾や旧宅を見学ができ、当時の松陰や偉人たちの様子を想像できる歴史スポットです。
吉田松陰は山口を代表する幕末の思想家。黒船に衝撃を受けペリーが率いる艦隊に乗り込もうとしたことを罪に問われ、自宅に幽閉されてしまいます。そのような境遇ながら松下塾を開き、多くの門下生に道を説いたのです。
私塾・松下塾の門下生には伊藤博文や高杉晋作、山県有朋、久坂玄瑞など、幕末の明治の歴史に欠かせない偉人が名を連ねます。彼は30才という若さで死罪となり獄死しますが、その意志は多くの維新志士へと引き継がれ、倒幕や明治維新の歴史をつくる原動力となりました。
2.東行庵
東行庵は山口県下関にあり、奇兵隊で有名な高杉晋作の遺骨が埋葬されています。愛妾(あいしょう)である「おうの」が初代庵主となりこの地で墓を守っていました。
後に伊藤博文たちの手により新たに東行庵が創建され、今では幕末ファンが大勢訪れるスポットとなっています。高杉晋作は幕末の風雲児と呼ばれるほど破天荒な生き方をし、歴史の流れによりあっという間に消えていった偉人です。
長州藩の最後の砦として何度もピンチを救いましたが、体が弱く肺結核のために27歳という若さで亡くなってしまいます。しかし、そんなドラマチックな生き様のおかげで現代でも高杉晋作を愛している歴史ファンは多いです。
名称:東行庵
住所:山口県下関市吉田町1184
公式・関連サイトURL:https://www.tougyouan.jp/
3.防府天満宮
天満宮とは平安時代優れた学者であった菅原道真公を学問の神として祀った神社です。学業をしている人たちから篤い信仰があるため、この神社は日本全国に存在しますが、中でも最も歴史が古いのは山口県にある防府天満宮。
道真は防府の地を訪れたときに気に入り「私が亡くなったときは山口のこの地へ戻ってこよう」と言いました。延喜3年(903年)に道真の遺骸を牛舎に乗せて運んでいたとき、この地で牛が何もないのに立ち往生。きっとここへ帰ってきて埋葬されたかったのだろうと人々は悟り、山口のこの地に防府天満宮が誕生しました。
境内には幕末志士たちが潜んでいた隠れ屋敷があったり、国の重要文化財も展示されている歴史館などがあります。菅原道真公のみならず、多くの歴史ファンにおすすめしたい山口の観光スポットです。
名称:防府天満宮
住所:山口県防府市松崎町14-1
公式・関連サイトURL:https://www.hofutenmangu.com/
4.長府藩侍屋敷長屋
山口県下関市にある長府藩侍屋敷長屋は長府藩家老の分家の本門に付属していた建物を500mほど動かし移築したスポットです。現在は山口県下関市の歴史文化財として指定されています。
規模や建築様式から江戸後期の屋敷であると推測され、ただの長屋とは違い重厚な構造をしており、仲間部屋格子窓(ちゅうげんべやこうしまど)の造りは上級藩士のための住居であったことを示す重要な歴史資料です。
江戸後期の上級藩士がどの様な生活をしていたのかがわかる場所。山口県の下関市内にあり、年中無休で無料で見学できます。下関市内で他の歴史スポットを訪れたときは、長府藩侍屋敷長屋に足を運んでみるといいでしょう。
名称:長府藩侍屋敷長屋
住所:山口県下関市長府侍町1-1
公式・関連サイトURL:https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_18716.html
5.長府毛利邸
長府毛利邸は長府毛利家第14代当主、毛利元敏公が山口県下関市に立てた邸宅です。創建は明治36年(1903年)と比較的新しい歴史スポット。近代の天皇の中でも特に人気の高い明治天皇もご宿泊された由緒ある邸宅となっています。
白壁に囲まれた武家作りの重厚な母屋は、時代劇に登場しても違和感がない歴史を感じさせる作り。歴史講座が開かれていたり、本格的な甲冑や官女の衣装をまとうことができるサービスや、カップル限定で「高杉晋作と、おうの」や「坂本竜馬とお龍」に扮することができるサービスもあります。
また敷地内には書院庭園、枯山水庭園、池泉回遊式庭園と趣の異なる3つの庭園があり、庭を眺めながらお抹茶とお菓子を楽しめるおもてなしも受けられます。歴史散策に疲れたら、長府毛利邸でホッと一息つくのもいいでしょう。
名称:長府毛利邸
住所:山口県下関市長府惣社町4-10
公式・関連サイトURL:https://s-kanrikousha.com/mouriteitop.html
6.桂太郎旧宅
桂 太郎は幕府側から執拗に命を狙われていましたが辛くも逃れ、ついに明治維新の後に内閣総理大臣を3回も務めた偉人です。山口県の萩市には桂 太郎がかつて住んでいた家を見学できる歴史スポットがあります。旧宅は動乱の幕末を追って、明治政府が磐石となった明治42年(1909年)に萩市へ移築されました。
小さい和室が4室あるだけの屋敷ですが移築に際し、庭にはこだわりがあり、わざわざ近くの藍場川から水を引き込み流水式池泉庭園が造りました。縁側には水音を反響させて楽しむ水琴窟があり、ぜひ訪れた際は音色を楽しんでみてください。
常駐しているガイドから、桂太郎に関する話や旧宅の歴史などを説明してもらえます。
名称:桂太郎旧宅
住所:山口県萩市川島73-2
公式・関連サイトURL:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100086
7.伊藤博文旧宅&別邸
吉田松陰に師事し、ついには初代内閣総理大臣に上り詰めた伊藤博文の育った家が「伊藤博文旧宅・別邸」です。桂太郎旧宅と同じく山口県萩市内に存在します。
伊藤博文が明治維新後に東京に建てた別邸もわざわざ移築されました。子供の頃から13年間、実際に山口で過ごしてきた頃の建物です。偉人がどのような環境で育ったのかを生で見られる数少ない歴史スポットとして人気を博しています。
日本の歴史的偉人である伊藤博文ですが、子供時代は母親に叱られ、旧宅の庭に立たされたという記録も残っています。そのときに立たされた石は、出世岩として歴史ファンならずとも観光客に人気。伊藤博文のパワーにあやかれます。ぜひ見学してみてください。
名称:伊藤博文旧宅・別邸
住所:山口県萩市椿東1511-1
公式・関連サイトURL:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100012
8.花江茶亭
花江茶亭は山口県萩市にある萩城跡の指月公園(しづきこうえん)内にある小さな茶室。幕末の時期は花江茶亭は萩城の三の丸にあり、当時の十三代藩主、毛利敬親は、ここで茶事をしながら家臣達と国事を企んだと言われています。幕末に長州がきっかけで起こった事件は茶室からはじまったのかもしれません。
明治22年(1889年)に旧三の丸から現在の位置へと移築されましたが、歴史的に重要なスポットだとして市指定の有形文化財として指定を受けています。2016年11月現在は諸事情により公開が休止されています。花江茶亭を見学したいときは事前に見学可能か確認してから訪れるようにしてください。
名称:花江茶亭
住所:山口県萩市堀内1-1 萩城跡 指月公園内
公式・関連サイトURL:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100051
9.堀内鍵曲
山口県萩市堀内地区は、萩城があった頃は城内の三の丸として機能していた歴史スポットです。周辺には藩の役所があり、家老や寄組の武家屋敷が立ち並んでいた城内でも重要なスポットでした。
そのため左右を高い壁で囲み、道を直角に曲げる独特の地形を作り出しました。道をこのような構造にすることで侵入してきた敵がばらけるのを防ぎ、視界を悪くして自陣が攻撃を仕掛けやすくしたり、追い詰めやすくしているのです。
山口へ訪れた際は、ぜひ堀内鍵曲を実際に自分の足で歩いてみてください。石垣と白壁にはさまれた道を歩けば来たかのような、気分を味わえます。江戸時代に自分の足で一歩一歩体験すれば、緻密に計算されて作られたことがわかり、当時の人たちの城に対する思い入れや備えを肌で理解できるでしょう。
名称:堀内鍵曲
住所:山口県萩市堀内
公式・関連サイトURL:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100016
10.野山獄跡&岩倉獄跡
野山獄跡と岩倉獄跡は牢屋として使用されていた山口県の史跡スポットです。吉田松陰や高杉晋作も収監されています。当時は藩内の論争も紛糾していたため、維新志士たちだけでなく保守派の人間も何人も収監されました。
野山獄は士分用の牢屋で、岩倉獄は庶民用の牢屋とわけて使用されていました。ですから、ペリーの黒船に乗船しようとして捕まった吉田松陰は野山獄へ入れられ、その従者だった金子重之助は岩倉獄へ入れられたそうです。
さらに吉田松陰の凄いところは、野山獄へ収監されても囚人たちへ孟子の講義を行っていたところ。獄吏までもが松陰の講義を聴きたくて、中の様子をうかがっていたという話もあります。
松陰自身も獄中で書や俳諧を学んでいたそうです。吉田松陰の不屈の精神を感じられる歴史スポットです。
名称:野山獄跡・岩倉獄跡
住所:山口県萩市古今萩町35-6
公式・関連サイトURL:
【野山獄跡】https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100003
【岩倉獄跡】https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100004
11.土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム
山口県の土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムは、弥生時代の人々の生活を知られる歴史スポット。土井ヶ浜遺跡は弥生時代の埋葬地であり、300体もの当時の人骨が出土しました。
土井ヶ浜遺跡の歴史は、昭和5年(1930年)に偶然、山口県下関市の小学校の先生が人骨の入った石棺を発見したことからはじまります。石棺に入った人骨は全部で6体だけでしたが、本格的な調査が開始されると9,500平方メートルもある巨大な埋葬跡であることがわかったのです。
遺跡のすぐ近くにある人類学ミュージアムへ足を運べば、遺跡から出土した人骨や弥生時代の宝飾品や生活用品を見学ができます。縄文人と弥生人の骨格の違いなども目にできます。
幕末だけではない山口県の歴史散策をしたい人にはおすすめの観光スポットです。
名称:土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム
住所:山口県下関市豊北町神田上891-8
公式・関連サイトURL:https://www.doigahama.jp/index.html
12.岩国城
山口県の岩国市にある岩国城は初代岩国藩主である吉川広家が、慶長13年(1608年)に蛇行した錦川を利用して自然の要塞を作ろうと山の上に築城した城です。
ところが幕府が一国一城令を発令したことで、たった7年で取り壊しとなってしまいます。廃城により出た廃材はこの領の陣屋として明治まで活用されましたが、岩国がやっと藩として認められた慶応4年(1868年)の3年後には、今度は明治政府が廃藩置県を発令し、この藩は即廃藩となってしまいました。
2度に渡る歴史の悲劇を直撃した岩国城。昭和37年(1962年)、山の上に天守が復元されました。城内には歴史資料や甲冑なども展示されています。
山の麓の吉香公園から山頂まではロープウェイが出ていて、ゴンドラの中で歴史のアナウンスを聞くこともできます。天守閣からは山口県岩国市内が一望できるだけでなく、四国や瀬戸内海の島々まで眺められますよ。
名称:岩国城
住所:山口県岩国市横山3
公式・関連サイトURL:https://kankou.iwakuni-city.net/iwakunijyo.html
13.萩城下町
1604年に毛利輝元が萩城を建設した場所、山口県萩市。その後、萩城城下町は260年も栄えました。山口県萩市の一部の地域は、現在でもその面影を見られる歴史スポットとなっています。
特にオススメなのは菊屋横丁です。藩の豪商だった菊屋の住宅や土塀は当時とほとんど変わることなくきちんと保存されているため、江戸時代に実際に人々が生活していた風景を現代でも目にすることができます。
また菊屋横丁のすぐ側には高杉晋作誕生の地や、木戸孝允の旧宅などの歴史スポットも現存しているため、江戸時代全般よりも幕末のほうが好みだという人でも楽しく散策できる歴史スポットとなっています。ゆっくり史跡を見て歩き、当時の偉人の生き方について思いをはせてみるのも楽しいでしょう。
萩町下町はその歴史的価値が認められ、世界遺産に登録されました。中でも堀内地区は国の重要伝統的建築物群保存地区に認定されています。
名称:萩城下町
住所:山口県萩市南古萩町
公式・関連サイトURL:https://www.hagishi.com/recommended-routes/jyokamachi/
14.功山寺
山口県下関市の功山寺は鎌倉時代を代表する唐様建築を用いて作られていて、長府毛利家の菩提寺としても有名な歴史スポットです。後醍醐天皇の勅願寺とされていたり、足利氏から寄進があったりと、山口県にある寺の中では屈指の名刹とされています。
また、功山寺は高杉晋作が騎兵隊を挙兵したことにより歴史ファンから愛されている寺。この挙兵事件が起こらなければ明治維新は数年遅れていたとまで言われるほど、日本国を揺るがす時代のうねりがこのスポットでは起こっていたのです。
寺の境内には馬に騎乗している高杉晋作の像が設置されているので、幕末の歴史が好きな人はぜひ山口県の功山寺へ足を運んでみてください。また功山寺は桜、紅葉の名所でもあります。中には樹齢が数百年という樹木も少なくありません。
境内に生えている樹木は歴史の転換点を静かに見守ってきました。あなたもそんな歴史スポットへ立てば、また違った感慨深さが湧いてくるかもしれませんよ。
名称:功山寺
住所:山口県下関市長府川端1-2-3
公式・関連サイトURL:http://kouzanji.org/
15.壇之浦古戦場跡(みもすそ川公園)
みもすそ川公園は山口県下関市にある開門海峡に面した公園。寿永4年(1185年)にそれまで栄えていた平家を源氏が討ち負かし、鎌倉幕府ができる切っ掛けとなった壇ノ浦の戦いが起こった場所です。源氏に追い詰められた安徳天皇は、二位の局とともにここで入水自殺をして平家の栄華は幕を閉じました。しかし、勝利した源義経も壇ノ浦の戦いを最後に兄頼朝に追いやられ、ついには岩手の平泉で炎の中、自らの体に刃を向けるのです。
また幕末には長州藩が外国船を砲撃した場所。下関市は逆に連合艦隊に占領されてしまい、これを切っ掛けに長州藩は開国を願うようになった歴史スポット。
日本国の重大な歴史が2つも山口県の同じスポットから始まったのです。公園内には源義経像と平知盛像、壇ノ浦古戦場石碑や安徳帝御入水之処碑、幕末に使用した大砲の複製などがあり、行くだけでたくさんの歴史を堪能できます。
名称:みもすそ川公園
住所:山口県下関市みもすそ川町1
公式・関連サイトURL:https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_15266.html
16.錦帯橋
山口県屈指の観光スポットである錦帯橋。5連に繋がるアーチ上の木製の橋はテレビや雑誌で目にした人も多いはず。
錦帯橋の歴史は古く、慶長5年(1600年)には岩国藩主吉川広家により城と城下町が建設され、それらを隔てる錦川は橋のかけられない暴れ川だとして当時から多くの人の頭を悩ませる存在でした。本格的に橋に着手したのは三代藩主吉川広嘉でしたが、失敗や構想の練り直しを経て、延宝元年(1673年)にやっと錦帯橋が完成したのです。
残念ながら錦帯橋は昭和28年(1953年)に発生したキジア台風により流出してしまいましたが、現在の4代目になる橋も職人の手による昔ながらの木組み工法によって復元しました。
山口県民の熱い意志と高い技術力で完成した、もはや芸術作品のような橋なのです。錦帯橋まで足を運んだ際は、ぜひ歴史と人々の思いを感じながら観光しましょう。
名称:錦帯橋
住所:山口県岩国市岩国
公式・関連サイトURL:https://kintaikyo.iwakuni-city.net/
◎山口県のおすすめ歴史スポットまとめ
山口県は幕末の維新志士に関する史跡を中心に、さまざまな年代のスポットが点在しています。山口県は重要な歴史の転換点に深く関わりやすい県です。歴史に興味がない人でも知ってるような名前や場所があるのが山口県の特徴。
ぜひ山口県へ遊びに行く際には、歴史スポットへ訪れてみてください。教科書や時代劇でしか知らなかった偉人たちが実際に生きていた場所を観光するのは、普通の観光とひとあじ違った思いを感じられるでしょう。
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