あのミシュランガイドも太鼓判!歴史で巡る和歌山の観光4選

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あのミシュランガイドも太鼓判!歴史で巡る和歌山の観光4選

海と山に恵まれ多彩なアクティビティが揃う「和歌山県」。その中でも特に注目されているのが、和歌山県内に数多く残る歴史観光名所です。何百年も前に建てられたとは思えないその光景には、ついつい惚れ惚れしてしまいます。

観光名所に来ると何となく「素晴らしいな……」とやり過ごしてしまいがちですが、歴史を知って観るとまた違う感動や発見があります。例えば「若山」という地名を「和歌山」に改めたのは、誰もが知るあの豊臣秀吉。こんな風にその土地の「歴史」を少しでも知ることで、「どうして秀吉は和歌山に改名したんだろう??」という視点が生まれます。すると旅の楽しみが2倍も3倍にもなります。

今回はそんあ経験ができる和歌山県の歴史スポットを、その歴史と一緒に紹介。歴史初心者の方も、ぜひ和歌山県の新たな魅力を発見してみましょう。

目次

あのミシュランガイドも太鼓判!歴史で巡る和歌山の観光4選

1.八代将軍吉宗ゆかりの「和歌山城」と 徳川御三家の歴史

1585年、この地を平定した豊臣秀吉の命により、藤堂高虎(家臣であり築城の名人)らが普請した「和歌山城」。紀州特産の青石が使われた石垣や白亜三層の天守閣が見事で、今や日本百名城の一つです。1619年に家康の十男・頼宣が入城することで尾張・水戸と並ぶ御三家の一つとしての歴史が始まります。

吉宗といえば質素倹約で財政再建を図った事で有名ですが、そのやり方は将軍になる前の、この紀州藩主時代にすでに始まっています。歴代将軍として今も人気の吉宗の礎は、この和歌山城で培われたといっても過言ではありません。

現在に至るまで焼失や改修・増築を繰り返している和歌山城。当時の武家諸法度では天守の再建は禁止だったので、天守が全焼したときはさぞ落ち込んだことでしょう……と思いきや、あっさり再建されました。理由は「徳川御三家だから」。なんかずるい気もしますが「天下の徳川」という言葉の重みが増すエピソード。

現在は「わかやま歴史館」などの歴史を知ることができるスポットやイベントも多数開催され、徳川家と密接な関係にあった忍者が観光のサポートをしてくれます。「和歌山城」が現代の私たちに語り掛けてくれるかつての日本の姿。天守閣で和歌山を一望しながら、ぜひ想像してみてください。周辺には城下町の名残が今も残っているので、併せて巡るのもオススメです。

2.和歌山のシンボル「高野山」。 1200年受け継がれる空海の願い

和歌山の観光で外せないのは、1200年の歴史を誇る世界遺産「高野山」ですよね。あのミシュランが刊行する「ミシュラングリーンガイド」でも3つ星(わざわざ旅行する価値がある)評価を受けています。

高野山開山は、弘法大師・空海が日本で真言密教を広めるに相応しい場所を探すため、唐から帰国した際に投げた「三鈷杵(さんこしょ、法具の一種)」が、高野山の松の枝に引っかかっているのを発見し、この地に根本道場を開くことにしたのです。

なんだかおとぎ話みたいですが、空海は平安時代の実在の人物。元々学問の世界でも超エリートで、哲学者、書家、文人など様々な分野でその才能を発揮しています。この「高野山」の見所は、二大聖地「壇上伽藍(だんじょうがらん)」と「奥の院」。「壇上伽藍」は空海が最初に整備したエリアというこもあり、境内には住まいとして使われた御影堂や、高野山の総本堂である金堂、先ほどの三鈷杵伝説が残る三鈷の松などがあります。

一方「奥の院」には、一の橋から弘法大師御廟まで約2kmの参道がある弘法大師入定の地。途中にある橋やお地蔵様それぞれに、伝説があり祈りが込められています。弘法大師御廟の手前にある御廟橋からは、最も神聖な霊域。写真撮影は禁止!この橋を渡る際は、衣服を正し、礼拝してから足を踏み入れるのがマナー。また奥の院には、戦国の名武将達の墓石群や慰霊碑が数多くあり、宗派を問わない高野山の寛容さを象徴するような場所でもあります。

一日では物足りないという方は、山内52ヵ寺が宿坊としても利用できますよ!精進料理や朝の勤行体験を通して高野山の歴史にもっと近づけます!1200年継承され続けることは、1200年変わらず愛し愛され続けてきたという事。高野山に訪れた際は、弘法大師・空海から受け継がれた人々への愛をしっかり感じてください。

3.いにしえ人と足跡が重なる「熊野古道」。 想いを重ねる「熊野三山」

「熊野古道」はあまりにも有名な世界遺産ですが、どの道を指すのかご存知ですか?実は、紀伊半島にいくつものルートが広がっています。険しい山道ながらも熊野三山を参詣するために最も使われた「中辺路」、高野山から熊野三山を最短距離で突っ切る険しさNo1の「小辺路」、宗教者が多く選んだ海岸沿いすすむ「大辺路」。「伊勢に七度・熊野へ三度」と表現されることからもわかるように、深い結びつきがある伊勢神宮と熊野三山を結ぶルートが「伊勢路」。

昔、伊勢参りと熊野詣は庶民の憧れでした。その歴史は古く、平安時代は皇族や貴族が行う「熊野詣」でしたが、室町時代あたりから武士や庶民の間にも広まり、参道には行列ができたと言われています。

日本三名瀑「那智の滝」や那智原始林に囲まれた参道を歩けば、神々の霊が宿る聖域として語り継がれてきたことにも納得するはず。ちなみに、ここでご紹介した名所のほとんどがミシュランで星を獲得しています。

4.真田幸村が虎視眈々と再起を図った地「九度山 善名称院」

2016年大河ドラマ「真田丸」の主人公・真田幸村。歴史ファンでなくとも、その生涯や人物像に心ひかれた方も少なくないでしょう。1600年の関ケ原の戦いに敗れ、父・昌幸と共に高野山に蟄居を命じられ移り住んだのが、ここ「九度山」。幸村がもっとも長く暮らした場所の跡地には「善名称院」が建てられ「真田庵」の愛称で地元の人々に大切にされています。

彼が愛用した槍先や武具、真田紐などが展示された真田宝物資料館は、これまた歴史ファン必見!境内には昌幸・幸村・幸村の息子の大助の御霊が守護神として祀られ、幸運や知恵の神として人々を見守っています。九度山にいる間は武将らしいことをできずにいた幸村。その期間14年余。空白の時間としてはあまりにも長い歳月。しかし、14年を片田舎で暮らし、再び世の中の第一線に躍り出て歴史にその名を刻む、これは並大抵のことではありません。

九度山での暮らしは、それを成し遂げた幸村にとって果たして空白の時間だったのでしょうか。幸村がここで何を考え続けたか?九度山での生活が彼に与えた影響とは?「真田庵」でそんな幸村の心に触れてみてはいかがでしょうか。

◎まとめ

「歴史」で巡る「和歌山」の旅。いかがでしたか?歴史を少しだけ掘り下げると、なぜその地が高い評価を受けているかがよりわかりますよね!古来より神聖な場所として大切にされてきた「和歌山」の歴史は、とても奥深くリピーターも多い人気スポット。みなさんも、ぜひ観光に訪れてみてください。

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