名称:足助城跡
住所:愛知県豊田市足助町須沢39‐2
公開時間:午前9時~午後4時30分(入城は午後4時まで)
入場料:おとな 300円
高校生 100円
中学生以下無料
休城日:毎週木曜日(ゴールデンウイーク、11月を除く)
年末年始(12月25日から1月5日)
木曜日が祝日の場合は公開。翌日が休館日。
公式・関連サイトURL:http://asukejo.com/
愛知県豊田市の観光スポット、城跡である「足助(あすけ)城跡」をご紹介します。
足助城跡とは、15世紀ごろに西三河地方で勢力を持っていた鈴木氏が築城したとされているお城です。江戸時代以前に廃城となっていましたが、現代になって高櫓、物見矢倉などが復元。城跡公園足助城跡として整備されています。
本記事では「足助城跡」の観光情報、詳細や注意点などを解説します。愛知県の史跡・城跡巡りの際にぜひご活用ください。
目次
【愛知県】足助城跡の観光情報|全国で初めて復元された山城とは?
足助城跡の観光情報
足助城は愛知県豊田市の東側、標高301mの真弓山にに位置する復元された古城です。別名で「松山城」「足助松山の城」などとも呼ばれています。
現在は「城跡公園足助城」として整備され、巨大なお城ではないものの足助の街並みが眼下に広がる景色の名所という一面もあります。
公園が開城したのは平成5年で、これは足助町制100年を記念してのものでした。なお発掘調査に基づいた山城の復元は、全国でもっとも早い例となっています。
戦国時代のマイナーな古城
足助城が活躍したのは戦国時代です。戦国時代の愛知県といえば織田信長、徳川家康、今川義元とビッグネーム配下の勢力が強く、足助城を築城した鈴木氏もこれらの勢力に従属または敵対していました。鈴木氏は徳川の配下となり、徳川領が関東へと移った際に一緒に廃城となっています。
戦国時代の人気な史跡が多く残る愛知県。近隣の長久手や清州城、岡崎城などと異なり知名度はかなり低めです。知る人ぞ知る、かなり通な史跡と言えるでしょう。
城下の街並みも伝統的保存地区!
足助城の本丸から見下ろせる足助の街並みも、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され観光地化しています。
足助の町は信州(長野県)と三河・尾張(愛知県)を結ぶ、伊勢街道の中継地にあたります。物資運搬や市民通行の要所として栄え、交易品の一つだった塩が足助で詰め替えられたことから「足助塩」と呼ばれていたそうです。
江戸中期の大火災で甚大な被害が出るも、すぐに復興。江戸時代を越えて明治時代までに数多くの建物が建てられ、現在に至るまで町並みの景観が保たれています。静かな足助の街中は至る所に近世の空気を残し、細部にまで癒しが詰まった観光スポットと言えるでしょう。
御城印・クリアファイルなど記念品も販売
足助城では来城記念グッズとして、A4クリアファイルや御城印が販売されています。クリアファイルのデザインは種類があり、城跡や足助の町並み、自然の写真を並べたものから鈴木氏の家系図・家紋を写したものなどがあります。
御城印も同じく、家紋を押したデザインがされています。
足助城観光の注意点
足助城の周辺は道幅が狭く、城下の街中も山中の街。道をふさいでしまう可能性もあり、大型観光バスなどで訪れることはできません。
前述の記載にもある通り、木曜日が定休日ですが祝日が木曜日の場合は開城し、翌日に休館日がスライドします。または近隣交通事情の影響で急遽お休みとなる場合があるので、旅行計画を建てる際はカレンダーやホームページを確認しておきましょう。
足助城へのアクセス情報
足助城へ車で訪れる場合、東海環状自動車道の豊田勘八ICを下車、国道153号飯田方面に13kmの地点にあります。東西どちらから訪れる場合も豊田勘八ICが最寄りとなるので覚えておきましょう。ETC専用ですが、鞍ヶ池スマートICも最寄りとなります。
電車とバスで訪れる場合、名鉄三河線の豊田市駅が最寄り駅です。駅から名鉄バス矢並線に乗車し、約45分で到着します。名鉄名古屋本線の東岡崎駅からもバスが出ていますが、こちらの所要時間は約70分。また東岡崎経由の場合、平日は最終便が19時ごろと早いので注意しましょう。
なお城跡などの公園は50台分の無料駐車場スペースがあり、レンタカーを利用してのアクセスもおすすめです。愛知県のレンタカー利用もご検討ください。
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