【愛知県】真清田神社の観光情報|由緒ある尾張一宮の参詣ガイド

【愛知県】真清田神社の観光情報|由緒ある尾張一宮の参詣ガイド

真清田神社(ますみだじんじゃ)の観光情報をお伝えいたします。愛知県一宮市といえば、名古屋市のベッドタウンであるとともに特急列車が停車する尾張一宮駅や名鉄一宮駅がある交通の要衝で知られていますが、ここでいう一宮がこの記事でご紹介する「真清田神社」です。

旧尾張国で最も格式が高い神社「一宮」である真清田神社は、愛知県でも屈指のパワースポットとしても有名です。仕事運や出世運、開運厄除、子孫繁栄といったご利益があるとされ、様々なメディアでもたびたび話題となっています。

この記事では、伊勢神宮ともかかわりの深いとされる真清田神社のいわれ、参詣のポイントや御朱印、さらに女子旅などでぜひ訪れたい服織神社の情報、真清田神社への交通アクセスも解説いたします。

目次

【愛知県】真清田神社の観光情報|由緒ある尾張一宮の参詣ガイド

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真清田神社のいわれ

真清田神社の楼門

真清田神社の御祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)で、この神様は伊勢神宮にお祀りされている天照大御神の孫にあたる神様とされ、天照大御神と同様に太陽の神様とされています。

創建年代についても神社の社伝によれば神武天皇33年3月3日(紀元前628年)とされていますが、その真偽については日本史の研究者間でも未だ議論に決着がついていません。少なくとも平安時代の神社の一覧である『延喜式』には「眞墨田神社」として記述があるので、平安時代にはすでに存在していたことは確かです。

その後真清田神社は、江戸時代には松平氏や徳川氏の加護を受け、336石あまりの領有を認められました。現在の社殿は戦災で焼け落ちた後、1957年(昭和32年)に完成したものです。

今では、日本に350あまりしかない「別表神社」の1つとして宮司の進退を神社本庁が直接決定します。別表神社は愛知県内に8つしかないので、県内でも影響力の大きい神社といえるでしょう。

◆宮司も見ることが許されない秘宝「五鈴鏡」が一宮市のシンボル!?

そんな歴史ある神社の境内には、国指定重要文化財が多数あり、宮司ですら見ることを許されていない「五鈴鏡(ごれいきょう)」という神宝があるとされています。真清田神社の五鈴鏡は誰も見たことがありませんが、一宮市の市章は「真清田神社の五鈴鏡」を他の地域で見つかった同様の五鈴鏡を参考にしながら1910年(明治42年)にデザインされ、市となった翌年の1922年(大正11年)に正式に一宮市の市章になりました。

ちなみに一宮市のマンホールは、この市章を用いてデザインされているので、一宮市の人にとっては真清田神社がとても身近な存在だということができるでしょう。

真清田神社の観光情報

真清田神社楼門(七夕)

それでは、歴史ある真清田神社の境内をご案内いたしましょう!

真清田神社に到着するとまず、鳥居をくぐりますが、その次に現れるのがこの楼門(ろうもん)です。

1961年(昭和36年11月)竣工の楼門の彫刻は人間国宝(当時)の平櫛田中(ひらくしでんちゅう)氏が制作しました。一宮市は七夕が有名です(その理由は後ほどご説明いたします)が、その時期になると楼門は華やかな装飾で彩られます。

◆空襲の被害を免れた手水舎の「吐水龍」

手水舎

真清田神社の名前の通り、清い水がこんこんと湧き出る「手水舎」で手や口を清めましょう。

尾張国には、その昔、弘法大師(空海)が干ばつの時に龍神と交渉して雨を降らせたという言い伝えがあります。龍が尾張国に雨を降らせるための交換条件が「龍が真清田神社に祀られること」だったので、真清田神社では龍は神聖な神様とされています。

その龍神のパワーが通じたのかは不明ですが、この手水舎は本殿などが被害にあった1945年(昭和20年)7月の空襲を奇跡的に逃れた建物で、当時の龍を模した1631年制作の「吐水龍」も難を逃れました。なお現在の手水舎にある「吐水龍」はレプリカで、本物は大切に保管されています。

◆伊勢神宮から下賜された木材も使用!荘厳な「本殿」

真清田神社(七夕の時)

1957年(昭和32年)に復元された本殿は荘厳なつくりの建物です。建物の一部には木曽のヒノキや伊勢神宮より下賜された木材が使われているので、昭和時代に建築されたとは思えないほど風格や伝統を感じられることでしょう。

※画像は七夕のときのものです。

◆社務所・授与所

真清田神社社務所

おみくじ・御朱印・お守りの授与を希望される方はこちらの社務所・授与所に寄りましょう。

◆神池・厳島社

厳島社

広島県宮島の厳島神社をイメージした、神池の中に浮かぶ「厳島社」と「八龍神社」へは開運橋を渡っていくことができます。1989年(平成元年)建立の「八龍神社」には、明治の神仏分離によって名古屋市の日泰寺に渡った「龍神石」が返還され、安置されています。

服織神社は縁結びの神様

服織神社

真清田神社の境内に鎮座している服織神社(はとりじんじゃ)の建立は1965年(昭和40年)とまだ新しい神社です。ここに祀られているのが『萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)』で、真清田神社に祀られている『天火明命』の母に当たる神様です。

この『萬幡豊秋津師比売命』の別名は『棚機姫神』(たなばたひめのかみ)ですが、彼女こそが七夕伝説の『織姫』だとされています。この記事の画像で真清田神社に七夕飾りがされていたように、一宮市で七夕を盛大にお祝いするのは『織姫』を祀る服織神社があるのが理由です。

服織神社は、この地域の主要産業である繊維産業の発展を願って建立されましたが、それがいつの間にか七夕伝説の織姫・彦星のイメージから「縁結び」の神様としても若い女性を中心として信仰を集めています。

真清田神社・服織神社のおみくじ・御朱印は?

真清田神社の短冊

真清田神社を参拝するにあたって気になる、真清田神社および服織神社のおみくじ、御朱印についてご説明いたします。

◆幸せの「黄色いおみくじ」や「恋みくじ」など5種類のおみくじがある

真清田神社のおみくじは5種類ありますが、黄色いおみくじが1番人気です。子どもにピッタリの「こどもみくじ」や恋愛についてのアドバイスが重点的に書いてある「恋みくじ」もあります。

七夕特別バージョンも!

真清田神社の社務所では、真清田神社と服織神社、2種類の御朱印が用意されています。七夕やお正月には期間限定で特別な御朱印が用意される場合があるので要チェックですね!

むすび守りの運命之紅糸とは?

真清田神社には「縁むすび守」という特別なお守りがあることで知られています。このお守りには「運命之紅糸」が2本付属していますが、1本を服織神社に結び、1本は自分で身に着けます。こうすることで運命の人と巡り合えるという言い伝えがあり、縁結びを祈願しに、遠方からはるばる真清田神社を訪れる人もいらっしゃいます。

◎まとめ

真清田神社鳥居

古代から尾張国一宮として、地元の人々から慕われている真清田神社を訪れれば、不思議なオーラやパワーで満たされていることが感じられる人もいらっしゃるでしょう。もし、真清田神社を訪れる機会があれば、神社とともに歩んだ一宮市の町をぜひ観光してみてください。縁結びの神様のパワーをもらえば、いつか何かしらの縁に出会える可能性があるかもしれませんね。

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