【大河への道】佐原の観光スポット特集◎伊能忠敬の秘密を探る旅

【大河への道】佐原の観光スポット特集◎伊能忠敬の秘密を探る旅

佐原の観光スポット、伊能忠敬ゆかりの地やドラマ「大河への道」がより楽しくなる情報を掲載しています。

2022年5月よりドラマ「大河への道」が上映され、「伊能忠敬」という教科書では特におなじみの人物が大きな話題になっています。
伊能忠敬と言えば、江戸時代後期に正確な日本地図を作ったことで知られる人物です。ドラマでは「伊能忠敬にはある秘密が隠されている」とされ、大河ドラマにしたいのにできない事情があるとのこと。その隠された秘密を辿っていくドラマとなっています。

2022年話題の伊能忠敬ゆかりの地、佐原。そこにはドラマをより楽しめる資料や観光スポットが満載です。どんな観光スポットがあるのか実際に覗いてみてください。

なお佐原近辺、霞ヶ浦や水戸・つくば方面など千葉・茨城県内を観光するならレンタカーが便利です。用途に合わせてご利用ください。


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好きな料理はもつ鍋。生まれも育ちも九州ではなく、加藤清正と熊本城を愛し、ホークスの試合を楽しみに日々生きてるライターです。


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佐原ってどんなところ?

【大河への道】佐原の観光スポット特集◎伊能忠敬の秘密を探る旅

佐原は江戸時代より以前から水郷として栄えており、利根川水運の中継地としても利用された水運の町でした。2006年までは「佐原市」でしたが、現在は合併して千葉県香取市の一部となっています。県内の我孫子と成田を結ぶJR成田線が通っており、都内から電車で向かう場合は2時間ほどでアクセスできます。

50年間は「佐原市」だったこともあって、面積は決して狭くありません。中央部には利根川が通り、北側には水郷の町らしく木舟で園内の花を遊覧するスポットや、利根川の遊覧船、道の駅である「水の豪さわら」など観光名所が各地に位置します。佐原より東側を見ると格式高い神社である「香取神宮」もあり、寺社巡りにも訪れたい土地です。

佐原には「小江戸」と呼ばれる古くからある町並みが一部残っており、江戸時代が蘇ったような街並みの中を舟で巡る「小江戸さわら舟めぐり」などが有名です。これらのことから、千葉県内でも人気観光地の一つとして知られています。

佐原と伊能忠敬の関係とは?

実は伊能忠敬は元々伊能家の人物ではなく、跡取りのない伊能家のために婿養子として伊能家に入ったという経緯があります。婿入り後に住んだのが、現在の千葉県香取市佐原です。その後測量を始めるまでの30年余り、人生の殆どをこの佐原で過ごします。

佐原には現在も伊能忠敬の旧宅や記念館など、伊能忠敬のことを知るのにピッタリの観光スポットが点在しています。

伊能忠敬記念館

伊能忠敬記念館

佐原の観光スポット一つ目は、「伊能忠敬記念館」です。

伊能忠敬という人物は衛星もない時代に半生をかけて正確な測量を行い、日本地図を作ったことで有名です。もちろんこの測量は徒歩で、日本各地の沿岸部を回るもの。その距離は3万5千キロ(地球一周!)と、とてつもなく時間がかかる大業でした。

測量を始めたのは人生の後半50代になってからで、それ以前の30年間は佐原の名主として過ごしていました。伊能忠敬の測量技術や偉大さがわかるのはもちろんのこと、伊能忠敬の半生についても伺うことができるスポットです。実はただの百姓だった伊能忠敬が如何にして歴史的な事業を成功させたのか、ぜひ訪れて理解を深めてみてください。

地図の完成は間に合わなかった?

伊能忠敬が測量を始めたのは当時としてはかなり高齢な時期で、教科書に残る足跡は死去するまでの20年間です。ドラマ「大河への道」では物語で「伊能忠敬は地図を完成させていない」と語られていますが、実は伊能忠敬は日本地図の完成を前に没しており、弟子や関係者が代わりに地図を作成しました。
 
高齢ではありますが志半ばでの病没。しかしその測量技術は確かなもので、あと少しの時間さえあれば完成に至っていたことから、関係者はあくまで「伊能忠敬の功績」として後世に残したものと考えられます。

伊能忠敬旧宅

伊能忠敬旧宅

伊能忠敬記念館から豊橋を挟んで川の向かい側に、「伊能忠敬旧宅」があります。前述にもあった通り、測量で名を馳せる以前の忠敬は佐原の百姓として生きていました。その人生の大半を過ごしたのがこの伊能忠敬旧宅です。

伊能忠敬旧宅は無料で見学可能な観光スポットです。中では百姓時代の伊能忠敬を学ぶことができます。伊能家はただの村人ではなく、酒造りや商取引、水郷・佐原の舟運なども経営していた佐原を代表する名家です。佐原は村人の権限が強い町であり、支配階級である武士が住んでいないことからかなりの権力者であったことがわかります。その際の伊能忠敬の暮らしを覗くのは、当時の村人たちの生活の一端を覗くことに繋がります。

また、伊能忠敬が生きた時代は度々大飢饉や自然災害が村民を襲った時代。それらに苦しむ村人のために尽力した過去があり、その功績も抜群です。測量とはまた別のドラマがありそうですね。なかなか知れない情報が満載の観光スポットです。ぜひ伊能忠敬記念館とセットで訪れてみましょう。

現在は伊能忠敬が生きていた時代から250年ほど経過しています。それ故に歴史を感じる旧宅ですが、村の誇りとしてたいへん綺麗に保存されています。江戸時代の商家、というマニアックな内観にも注目です。

小江戸さわら舟めぐり

小江戸さわら舟めぐり

佐原観光で外せないのが「小江戸さわら舟めぐり」です。利根川や小野川の流域にあり江戸時代には水郷として栄えた佐原ですが、水運の中継地として重要な拠点となっていた背景があります。

この佐原には「小江戸」と呼ばれる、江戸情緒溢れる町並みが今も小野川沿いに残っています。流れる川を挟む古い建物は地上から見てもタイムスリップしたかのような景色を望むことができますが、なんと舟で川を進みながらこの町並みを楽しめる体験が可能。これが「小江戸さわら舟めぐり」です。

およそ30分ほどの爽快な舟観光。この瞬間は令和の現在においても、250年前に伊能忠敬が見たであろう景色を望むことができるでしょう。

水郷佐原あやめパーク

水郷佐原あやめパーク

佐原の北側に位置する「水郷佐原あやめパーク」は、佐原観光でたくさんの花を観賞したい方におすすめの観光スポットです。水郷佐原あやめパークは全体的に綺麗に整備された公園で、水面に橋、島など水郷らしい情景を楽しめるスポットです。ハスや菖蒲の名所でもあり、藤の花で彩られた水路を舟でめぐることも可能となっています。

また、季節ごとで印象も変わるスポットです。6月には「あやめ祭り」が開催され、地元に近い江戸系だけでなく肥後・伊勢系のハナショウブが園内いっぱいに咲きます。その数は400品種・150万本ほどと壮大で、自然の生んだ鮮やかな色に囲まれながら目で楽しむことができるでしょう。

夏場は300品種のハスが楽しめる「はす祭り」、冬場にはイルミネーションが展示されています。初夏はもちろん、冬場に訪れる場合でも楽しめる市内の一大スポットです。

香取神宮

香取神宮

佐原の位置する香取市には、全国的にも由緒ある神社が存在します。佐原の隣駅「香取駅」を最寄りとする「香取神宮」は、古くから三社しかなかった神宮の一社です。香取神社は全国に400以上がありますが、この香取神宮は香取神社全体の総本社となります。

香取神宮の創建は紀元前、初代天皇である神武天皇の時代にまで遡ると言われています。神代・神話レベルの昔から尊敬を集める神宮であり、古くから土地の守護や軍神というイメージの強い神宮でもあります。剣道などの武術道場には「香取大明神」「鹿島大明神」が掛け軸の定番として掲げられており、そのうちの香取大明神がこの香取神宮のことを指すというわけです。
 
境内は「香取の森」と称される広大な土地です。樹齢1,000年の御神木や何年前からあるのかも想像できない杉林がスピリチュアルな空気を漂わせ、春ごろには桜の名所としての一面も持ち合わせます。2000年を超えて地元で信仰され続けたが故の壮厳な景観。あたかも神域に足を踏み入れたかのような、不思議な感覚を楽しめるでしょう。

文化財も豊富な香取神宮

由緒正しき神宮なだけあって、収蔵されている文化財や宝物もまた歴史あるものや、神秘性の高いものばかりです。

境内にある霊石、「要石」は地中深くまで埋まっており、地震の原因と考えられていた竜や鯰を抑えていると伝わっています。水戸黄門で有名な徳川光圀公がかつて要石の深さを知りたいがために深く掘らせたところ、7日間掘っても底が見えなかったばかりか、掘るのを中断して朝に再開しようとすると元通りに埋まっていたなどというスなんとも不思議な話が残ります。

また国宝である『海獣葡萄鏡』もこの香取神宮に収蔵されており、『日本三銘鏡』の一つと称されます。

佐原の観光スポット特集まとめ

佐原には江戸時代の町並みが残り、古代から続く伝統的な神宮も近くにあるなど歴史的スポットが満載です。地味に見えますが千葉、または茨城県内でも有数の観光名所揃いであり、ドラマ「大河への道」の聖地を巡る観光旅行では必ず訪れたい町となっています。

日本地図の父、測量士として活躍した伊能忠敬が人生の大半を過ごした佐原。水郷という名で栄えた商人の町は、現代も抜群の管理体制の下で確かな足跡と町並みを残し、後世に伝え続けています。

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