【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人舞台巡り!~鎌倉に遺る足跡~

画像出典:TGM / PIXTA(ピクスタ)

【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人舞台巡り!~鎌倉に遺る足跡~

2022年の大河ドラマである「鎌倉殿の13人」は、主人公「北条義時」の視点からこの鎌倉を舞台に巻き起こる激動の鎌倉時代を脚本家・三谷幸喜氏が描く注目のドラマ。時代劇はなかなか取り上げられませんが、陰謀、反乱、権力争い……騙し合いに謀り合いの絶えない時代です。その頃の遺構は複数が鎌倉に残されています。

鎌倉は関東でも有数の観光地で、およそ800年前は関東どころか日本の中心地として栄えた都市でした。現在は多くの仏閣や景勝地が残る観光名所エリアとしての側面が強く、政治の中心地であった事実は薄れつつあります。
 
本記事では、大河ドラマ「鎌倉の13人」のあらすじ、登場人物に所縁のあるスポットや、舞台になると思われるスポットを先んじてご紹介。これを知っておくと大河ドラマが100倍面白くなるかも?ぜひチェックしてみてください!

鎌倉観光はレンタカーが便利。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」巡りの際、レンタカーをご利用の場合はこちらもチェックしてみてください。
 
※本記事の内容は2020年8月現在の最新情報です。

目次

【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人舞台巡り!~鎌倉に遺る足跡~

目次を閉じる

鎌倉殿の13人のあらすじ

前述の通り、鎌倉殿の13人は鎌倉時代を舞台としたドラマです。この時代はそれまで天皇や朝廷、または藤原家などが政治を行っていた時代で、中心地は当時の平安京(現・京都)にありました。しかし内乱が続き、それまでの権力者に代わって戦闘業を専門とした「武士」と呼ばれる人たちが権力を握るようになります。
 
その「武士」もまた権力争いで紆余曲折あり、勝利した「源頼朝」が政治の実権を掌握。武士政治としての拠点を鎌倉に築いたことで、鎌倉時代がスタートします。ただし家来たちの「隙あらば」発生する権力争いは収まることなく、味方にも関わらずあの手この手でライバルを蹴落とす時代が訪れました。ドラマの舞台は、頼朝の勝利からこの権力争いまでがクライマックスとして描かれるのではないかと思われます。
 
鎌倉が政治の中心地だったように、発生した権力争いの舞台もまた鎌倉や鎌倉近辺で発生。そしてその事件の舞台は、現在も鎌倉市内に残されています。どんな遺構があるのか、次の見出しから覗いてみましょう。

【鎌倉殿スポット.1】鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮

出典: Yoshitaka / PIXTA(ピクスタ)

鎌倉と言えばココ!神奈川県内でも有数の巨大神社である「鶴岡八幡宮」です。今も昔も鎌倉のランドマーク的なスポットであり、三大八幡宮に数えられる由緒正しき神社。鎌倉に訪れたら必ず訪れるべきスポットと言えるでしょう。
祭神は応仁天皇・比売神・神功皇后の三柱。鎌倉武士の守護神として、源頼朝やその先祖からも深く信仰されていました。
 
鶴岡八幡宮の特徴として遠くからでも賑やかな雰囲気を感じることができ、大石段を登りきると本殿に到着。振り向けば絶景を望むことができます。度々増築・改築がなされているため古来からある建造物は少なくなっていますが、撮影スポットも多く古風な景勝地としての面もあり。境内を隅々まで回ってみると多くの発見があるでしょう。
 
石段の脇にはかつて巨大な銀杏の木が立っており、2010年に倒壊したものの伝説が残っている地です。頼朝の息子であり、鎌倉幕府3代将軍として後を継いだ源実朝。1219年にこの実朝は、鶴岡八幡宮で自身の甥に討たれてしまいます。そして、この刺客が隠れていたのが大銀杏だったという説が有力です。時の将軍が権力争いの果てに暗殺されるという、未曽有の大事件の舞台でもありました。あくまで巷説ではありますが、鎌倉殿の13人でも再現されるかもしれません。

【鎌倉殿スポット.2】源氏山公園

源氏山公園

出典: TGM / PIXTA(ピクスタ)

写真映えする像もまた史跡観光地の定番。のんびりとした公園にいる、源頼朝公に会いに行きませんか?

源頼朝と言えば鎌倉幕府初代将軍、鎌倉殿の13人の重要人物であり、そもそも日本の歴史を見ても重大人物。弟である義経と並んで抜群の知名度を持ち、まずその名を聞いたことがない人はほぼいないでしょう。そんな頼朝公の立派な像が置かれているのが「源氏山公園」になります。
 
源氏山公園は鶴岡八幡宮からやや西側に位置。源氏山という名の通り源氏にゆかりのある山で、頼朝の先祖が合戦に及ぶ際戦勝祈願をした山と伝わっています。その縁から源氏の政権では聖地となり、現在では自然公園として整備され、地元の方にも愛される名所になりました。桜の名所でもあり、シーズンになるとより賑やかになるスポット。春になったらカメラを持って足を運んでみるのも良いでしょう。

【鎌倉殿スポット.3】3か所の幕府跡

鎌倉殿の13人の舞台である鎌倉時代。不慣れながらも権力を持った武士による政治が行われることとなりますが、この政務を行った場所を幕府と呼びます。国の政治リーダーは「将軍」となりますが、この将軍の事務所的な存在です。
 
さて教科書でも必ず目にする「鎌倉幕府」という言葉の事務所。鎌倉には幕府跡とされている場所が3か所あります。一つは最初の幕府である「大倉幕府跡」。鶴岡八幡宮の東側、現在清泉小学校のある付近にあったとされています。後述で紹介する、法華堂跡から南に一直線の道を進んだ場所です。こちらは鎌倉幕府成立から30年ほど使われましたが、正確な位置は不明であり付近の場所に碑が置かれています。

続いては宇都宮辻子幕府。鶴岡八幡宮前の大通りである若宮大路の途中、若宮大路バス停の近くに位置しています。こちらは2代目の幕府であり、短い期間ながら法の制定など重要な政務が成されました。大河ドラマで主に描かれる幕府は大倉幕府とこの宇都宮辻子幕府になると思われます。
 
最後、鎌倉幕府滅亡まで活躍した幕府は宇都宮辻子から若宮大路を鶴岡八幡宮側に進み、交差する横大路を東に。2つ目を右に曲がりましょう。狭い道をまっすぐ歩いていくと石碑に辿り着きます。700年前、確かにここに幕府があって日本全体を動かしていた。教科書でしか知らない人が生きていた。嘘のような話でなかなか実感が湧きませんが、現地を訪れてみると確かに事実であることがわかります。違った感覚で思いを馳せることができるのも、史跡探索の楽しみ方の一つです。

【鎌倉殿スポット.4】和田塚

鎌倉駅から由比ガ浜へ向かう途中、江ノ電の停車駅で「和田塚」という駅があります。この近辺では反乱を起こして討伐された和田氏の一族が眠っているとされ、和田一族の墓として建立されています。

鎌倉殿の13人の「13人」とは、頼朝の死後に幕府を任された13人の重臣。和田氏は鎌倉幕府の重要ポジションにいた人物で、ドラマでも重要な「13人」の1人に数えられます。そして彼もまた権力争いに敗れ散った武士の一人です。徒歩の観光ルート途上でも寄れる、彼の所縁の地。ぜひ足を運んでみてください。

※和田義盛役は俳優・横田栄司さんが演じられる予定です。

【鎌倉殿スポット.5】比企能員邸址の碑

鎌倉殿の13人に登場する13重臣の一人、比企能員(演:佐藤二郎さん)とゆかりのある地です。比企能員は頼朝の側近として長く仕え、二代将軍の源頼家とも親しい立場にいました。頼朝死後に頼家の側近として活躍するかと思われましたが、頼家の立場が危うくなると対立していた北条時政によって暗殺されてしまいます。一族も抵抗しましたが敗れてついに滅亡しました。栄光を確信しつつ不運で失墜した悲劇の人物と言えるでしょう。

この比企能員がかつて居を構えていた場所は現在「妙本寺」となり、その入り口には「比企能員邸址の碑」が佇んでいます。妙本寺は四季ごと景観を楽しめる場所でもあり、季節ごとさまざまな色を楽しめるのも注目のポイントです。幕府によって滅ぼされてしまった比企一族もこの地に眠っています。

ドラマ中、頼朝が活躍する前半のストーリーではもっとも親しい側近として活躍すると思われる比企能員。悲運に見舞われつつも魅力もある人物が眠る地、是非訪れてみてください。

【鎌倉殿スポット.6】法華堂跡

初期の鎌倉幕府を支えた武士たち。多くの人が政争の中で対立し、あるものは勝利して生き残る中あるものは志半ばにして倒れ、あるものは反逆者として滅ぼされる運命を辿りました。
 
鶴岡八幡宮からやや東側、法華堂には源頼朝の墓と、頼朝に付き従って波乱万丈な時代を生き抜いた13人の一人でもある「大江広元の墓」があります。大江広元は鎌倉幕府初期のナンバー2として長年君臨し、数多く発生する政争の中でも幕府方を貫き通して執権である北条氏を支えた人物です。頼朝の死後も変わらず幕府のナンバー2権力者として、ドラマでも要所で活躍が期待されています。死後も広元は頼朝の側で眠っている点からも、幕府への権威が垣間見えますね。
 
ほかにも、頼朝に重用されて鹿児島国主として有名な島津氏の元となった島津忠久や、広元の子で後に中国地方の覇者となる毛利家のルーツである毛利季光の墓があります。大河ドラマ「鎌倉殿」とはまた時代が異なりますが、幕府政治始まりの地に後に幕府政治を終わらせ、明治時代を築く毛利・島津両氏のルーツが眠っているという、日本史という壮大なドラマを感じる場所でもあります。少し歩くのが大変な場所もあるので、前述した源氏山公園と並んでハイキング感覚で訪れるのが良いでしょう。

【鎌倉殿スポット.7】まんだら堂やぐら群

古風な街並みが見えつつも賑やかな古都鎌倉の街。そんな町から少し離れますが、まるで過去にタイムスリップしたような世界を楽しめるスポットがあります。

鎌倉はそもそも、海と丘陵に囲まれた地でした。山の中の集落というイメージが強く、首都でありながら交通面は適切とは言えず当時の方はかなり苦慮していたことでしょう。幕府がこの問題解決のために行った事業が、丘陵を切り開いて道を作る「切通し」の工事です。これによって新たな道が複数作られましたが、そのうちの一つ名越切通し周辺には防衛施設と思われる遺構が多く残されています。そのうちの一つが「まんだら堂やぐら群」なのです。
 
名越切通し周辺がドラマで語られるかはともかく、このやぐら郡の魅力は当時そのままの姿で遺跡として残されている点です。また面白いのはこのやぐら郡が何の目的で作られたのか、ある程度の予測はできても詳細は一切が不明。しかしながら現地には現代離れしたまさしく遺構という圧巻の景観が広がっており、想像力を膨らませてくれます。喧騒を忘れ、まるで自分が当時に迷い込んだ登場人物になったかのような錯覚も楽しめることでしょう。
 
名越切通しは指定遺跡にもなっている造られた山道。ぜひ鎌倉観光の際は散策に訪れてみてください。ただし、やぐら群は史跡保全の観点から期間限定公開となっており、年度によって公開日が変化します。名越切通もまた散策できる日が変わってくるので、都度チェックしましょう。

限定公開日などの詳細はこちらでチェック。

【鎌倉殿スポット.8】甘縄神明宮

甘縄神明宮

出典: denkei / PIXTA(ピクスタ)

甘縄神明宮は鎌倉駅から徒歩20分ほどの場所に位置する長谷エリアにある神社で、最寄り駅である江ノ島電鉄由比ガ浜駅から徒歩5分と比較的訪れやすいスポットです。この甘縄神明宮は鎌倉最古の神社として伝わっていて、その創建は奈良時代(710年頃)にまで遡ります。

この神社は「13人」の一人である安達盛長と縁が深く、その人の館があったとされている場所です。そのことから入り口近くには石碑が置かれており、鎌倉時代を駆け抜けた人物との繋がりを感じられることでしょう。また時代はかなり先の話になりますが、8代執権である北条時宗の産湯として使われた井戸も残されています。神社自体周辺は緑が多くひっそりとしていますが、何百年も前に実在した物語でしか知らない人物が生きていた証を間近で見ることができるロマン溢れるスポットです。

この長谷エリアはアジサイや弁天窟で有名な長谷寺や鎌倉大仏など、鎌倉の名所と呼べるスポットが豊富。大河ドラマの聖地巡りと合わせて巡ってみると、より充実した鎌倉観光が楽しめるでしょう。

【鎌倉殿スポット】まとめ

2022年大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」ゆかりの地について記載しました。観光地・鎌倉市内はドラマにとっても聖地、時代にとっても最大重要拠点になります。ドラマに登場した土地や施設の多くは碑として残り、今でもなお観光スポットとして訪れることが可能です。ぜひドラマの予習やドラマの聖地巡りの参考にしてみてください。

国内のエリア一覧

海外のエリア一覧

カテゴリー一覧

鎌倉でおすすめの記事

鎌倉のアクセスランキング