愛媛県には現存天守が2つある!宇和島城の観光の見どころをお教えします

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愛媛県には現存天守が2つある!宇和島城の観光の見どころをお教えします

愛媛県には全国的にも有名な城があり、中でも松山城や宇和島城はいずれも日本に12しか残っていない現存天守を備えています。宇和島城は築城の名手として名高い藤堂高虎が手掛けた城。愛媛観光では外せないスポットといえるでしょう。今回は、愛媛県宇和島市にある宇和島城の歴史と「立ち上がり門」や「天赦園」など観光の見どころをご紹介しましょう。

※記載の情報は2020年2月時点のものです

目次

愛媛県には現存天守が2つある!宇和島城の観光の見どころをお教えします

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宇和島城の歴史

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現在の宇和島城を築いたのは藤堂高虎という人物です。戦国時代の武将で大名である高虎は、伊予今治藩主の後に伊勢津藩の初代藩主となりました。築城技術に長けた大名として知られる高虎の城は、石垣の反りを重視する加藤清正に対し、石垣を高く積み上げる設計に特徴があります。

文禄4年に宇和郡を拝領した高虎は慶長元年に城の建造を開始、6年の歳月をかけて宇和島城を完成させました。関ケ原で戦功をあげ国府(現在の今治市)へ移封する前に、城の完成を見届けています。

江戸時代に入ると伊勢国から富田信高が入城、慶長18年には信高が改易し宇和郡は徳川幕府直轄となります。高虎は代官となり高虎の従弟に当たる良勝を城代としました。元和元年には宇和城に伊達政宗の長男である伊達秀宗が入城しています。

現在の宇和城の姿は、2代藩主となった伊達宗利の改修によるものです。老朽化した城の改修は寛文11年に完成しました。

全国に12基しかない現存天守

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日本には昔、全国に2万以上の城がありました。しかし、江戸時代の「一国一城令」、明治時代の「廃城令」により、多くの城が失われています。さらに、戦時中にはアメリカの空襲によっても多くの城が焼失しました。

一国一城令では、大名の居城以外の城は壊され、新しい築城も禁止されました。全国にあった3,000の城は170にまで激減し、日本の城は一国一城令により約95%失われています。

明治時代に入り廃藩置県をきっかけに、すべての城が陸軍省の財産となり、「存城」と「廃城」に振り分けられました。40の城が「存城」となったものの、文化財として大切にされたわけではありません。建物が壊されたり、石垣や堀が壊されたりしました。

巨大な天守は取り壊しにも再利用にも莫大な費用がかかるため、払い下げられ、国宝の松江城の天守ですら180円程度で取引されたと言われています。こうして現在、日本に残っている天守は12城のみとなりました。宇和島城の天守は波乱の歴史を乗り越えてきた貴重な天守です。

もう1つの現存遺構「立ち上がり門」

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宇和島城の立ち上がり門は現存する国内最大クラスの薬医門で、市指定有形文化財です。薬医門とは、門の柱の後ろ側に控えの柱が設けられた切妻屋根の門で、一説では「矢食い」つまり矢の攻撃を食い止めるためや、強度を高めるための構造と言われています。

元々は公家の屋敷や武家屋敷、神社仏閣などの正門に用いられた薬医門は、患者が出入りしやすいよう、門扉の横に簡易的な扉を設けて医院などに設置されたという説もあります。

宇和島城は丘の上という攻めにくい立地にあり、北側は海に面しているため難攻不落と言われていました。通常の城が四角い形で築城されるのと違い、宇和島城の外郭は5角形です。攻めにくい形の外郭の南側に大きな立ち上がり門が配置されています。

宇和島城を訪れたら、豪壮な立ち上がり門を見逃さずチェックしてみてください。

優雅な大名庭園「天赦園」

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天赦園は宇和島城の七代藩主、伊達宗紀の隠居場所の庭園です。池泉廻遊式で作られた美しい天赦園の名前は、伊達政宗が詠んだ漢詩の一説に由来します。庭園内にある書院式茶庭・潜渕館は、昭和天皇がまだ皇太子だった大正11年、天赦園御成の際に御座所として使われた由緒正しい場所です。

園内には季節の美しい花が咲き乱れ、新緑の季節も秋の紅葉もそれぞれ魅力があります。初夏の花菖蒲の名園としても知れる風雅な天赦園は、その中で特に藤棚が見逃せません。多くの藤棚の中でも、池の上にかかる太鼓橋の形をした藤棚の「上り藤」は圧巻です。

また、伊達家の家紋である「竹に雀」にちなんで、珍しい竹が池の周りに植えられています。様々な竹、美しい白藤、花菖蒲の名園として多くの人が訪れる優雅な庭園です。

藩主家ゆかりの品々を収蔵「伊達博物館」

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伊達博物館は宇和島市の市制50周年を記念して、昭和49年に開館しました。伊達家の屋敷跡に建設され、館内には3つの展示室が設けられています。展示品は約4万点あり、年に2回の展示替えが行われ、特別展の企画は年に1回です。

建物自体は重厚な近代建築で、中に足を踏み入れると歴史絵巻に圧倒されます。歴代藩主の豪華絢爛な調度品が見どころです。豪華な武具や甲冑、美しい調度品や衣装など様々な品が展示されています。

特に充実している展示は婚礼調度品で、ち密な細工が施された美しい調度品からは、奥向きの生活がうかがえます。なお、特別展では狩野派の絵師が描いた秀吉の肖像画が展示されるので、見学したい場合は特別展のスケジュールを確認しておくと安心です。

三の丸に建つ「城山郷土館」

出典: freedom / PIXTA(ピクスタ)

城山郷土館は、八代藩主の伊達宗城の時代に建てられた武器庫を移築した展示館です。三の丸にあった山里倉庫が、昭和41年に伊達家から宇和島市に譲渡されました。間口は29.484m、奥行きは6.097m、建築面積は69坪ほどです。

伊達倉庫株式会社の米倉として使用された時期もあります。昭和42年に城山郷土館として移築されてからは、古い民具や祭りに使用された用具などが展示されています。

まとめ

宇和島城には「立ち上がり門」や「天赦園」など、外せない見どころがたくさんあります。実は伊達家ゆかりの地でもある白亜の宇和島城は、その歴史を知って訪れるとさらに魅力的に感じるでしょう。ぜひ宇和島城をゆっくり見学してみてください。

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