江戸時代の街並みを残す東海道の名宿場・関宿の見どころを紹介

画像出典:Haruhiko Okumura

江戸時代の街並みを残す東海道の名宿場・関宿の見どころを紹介

関宿は三重県の北中部、亀山市にある宿場町の名称です。東海道五十三次のうち江戸から数えて47番目の宿場(しゅくば)として多くの旅人を出迎えてきました。関宿は江戸時代の庶民や公用以外での武士の利用がほとんどで、参勤交代やお伊勢参りの道中の宿としてにぎわっていました。現在でも東西の道1.8kmにわたって約200軒の建物が残っており、『日本の道100選』にも選ばれています。ここ数年、インスタ映えとしても人気。今回はそんな三重県の関宿のおすすめ観光スポットを紹介していきます。

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江戸時代の街並みを残す東海道の名宿場・関宿の見どころを紹介

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旅籠について学べる「関宿旅籠玉屋歴史資料館」

旅籠とは昔の旅館やホテルのようなもので、江戸時代に旅人に食事を提供する日本の家のことを旅籠(はたご)と呼んでいました。玉屋は関宿にある宿場の中でも代表する旅籠の一つです。昔旅籠だった場所は現在では資料館として、当時使われていた道具や歴史の資料、歌川広重の浮世絵などを見られます。

また日本初の旅籠資料館として、市の文化財にも指定されている旅籠建築とともに一見の価値ありの資料館です。また玉屋の近隣には関まちなみ資料館などもあり、こちらの旅籠資料館と一緒に訪れることで関宿の魅力を一層深く感じられるでしょう。

関宿で3本の指に入る名旅籠「鶴屋」

関宿の脇本陣として知られた鶴屋の外観

出典: minack

鶴屋は " 関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か " と関宿かるたでも謡われ、玉屋と並ぶほど関宿でも人気の大旅籠でした。この鶴屋は中町四番町の北側に位置し、江戸時代には関宿の脇本陣として指定されていました。

現在では鶴屋脇本陣跡として装飾的な千鳥破風や虫籠窓など、江戸時代の建築様式を当時の面影そのままに見学ができます。玉屋や鶴屋のある関宿は宿場町としては唯一、文化庁が選定した重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。商業施設やお土産店なども少なく観光地化されていないため、江戸時代の情緒を感じるにはぴったりの場所です。

フォトスポットとしても人気の関宿で " 映える " 写真を撮ってみてはいかがでしょうか。

食事が楽しめる大旅籠「会津屋」

関宿の大旅籠、会津屋の外観

出典: commons.wikimedia.org

会津屋は鶴屋や玉屋と並ぶ大旅籠でもありますが、鈴鹿馬子唄に出てくる父の敵打ちをした烈女「関の小万」の生家としても知られています。当時のたたずまいはそのままに、現在は食事処として関宿に立ち寄る観光客の空腹を満たしています。

こちらの会津屋の名物は大正時代から残るかまどに薪をくべ、地下水で作った山菜おこわ。ほかにも街道そばやてんぷら、こんぶ煮付や甘味メニューが楽しめます。店内に展示してある旅籠時代の品々を眺めながら、ぜひ食事をお楽しみください。

また大晦日は深夜まで営業しているので、年越しそばを食べに寄るのもおすすめです。

宿場の栄華を今に伝える「開雲楼と松鶴楼」

関宿が宿場町として栄えていた当時、東側の開雲楼と松鶴楼は二軒ならんだ芸妓置店でした。関宿のような街道沿いの宿場では、遊女を飯盛女や宿場女郎という名で遊郭や旅籠などに派遣していました。店の表には堅繁格子(たてしげこうし)や、べんがら塗りの鴨居、柱などにその面影を残しています。また二階の手すりや格子窓には凝った意匠を見ることができるはず。

現在は開雲楼の中には入れませんが、松鶴楼は「遊快亭」という名前で青果店に変わりました。また松鶴楼には、かつて太閤検地だったときの小崎村検地帳が保存されています。

狩野派の名画が見られる「地蔵院」

日本で最古の地蔵菩薩が安置されている関地蔵院

出典: ja.m.wikipedia.org

日本で最古の地蔵菩薩が安置されているのがここ関地蔵院です。奈良の東大寺の僧行基が天然痘の流行から人々を救うために、西暦741年に地蔵菩薩を安置したと伝えられていますが、書物によっては西暦806年と記したものも。後者では、最澄の弟子が創建したとされています。「天平13年(741)行基が菩薩の開創をし、その後806年に最澄の弟子が地蔵院を創建した」という説もあります。

地蔵院は、関のお地蔵さんとの愛称でも知られ、古くから東海道を旅する人々の信仰の対象として敬愛されてきました。境内の本堂、鐘楼、愛染堂の三つの建物が国指定重要文化財にも指定されています。本堂にある天井画は狩野永敬が作者とされており、京狩野風の特徴を生かした作品が174枚も。機会があれば、表現豊かな天井画もぜひ見学してください。

現在でもこの世とあの世の苦しみから救ってくれるとして、多くの参拝客でにぎわっています。毎月24日は写経会、不定期で境内にてオーガニックマーケットなどを開催。地蔵院を訪れて日本最古のお地蔵さんに会いに行ってみてはいかがですか?

忍者も実際に通った!?「深川屋」

深川屋は江戸時代の寛永年間より約380年続く菓子店です。忍者の末裔・服部伊予保重によって考案された銘菓・関の戸は、街道を往来する諸国大名の人気を集めたと伝えられています。

2019年には深川屋に残っていた古文書から忍びの記述が発見され、忍者の隠れ蓑の和菓子屋としても有名になりました。創業から変わらない配合や製法で、江戸文化を今に伝えています。店内には漆塗りの菓子器や木製の干菓子型など、江戸時代から明治にかけての歴史的な品物が展示してあります。

また銘菓・関の戸は京都の朝廷にも献上され、御用達菓子司としても名を馳せました。深川屋では、ぜひ建物に注目してください。江戸時代の伝統的な建物で、源氏車には二つの竹を象った家紋の瓦が間口を覆っています。

また看板は京都側から見るのと江戸側から見るのとでは漢字と平仮名で表記が違います。これは東西の道しるべとして重要なものでした。東海道を行き交う人々は、この看板を見て上りと下りを判断していたといわれています。現代でいう道路標識と一緒ですね。当時から道路標識があったとは驚きです。

関宿の栄えた歴史を証明する「伊藤本陣跡」

三重県亀山市、関宿の伊藤本陣跡

出典: minack

本陣とは大名や公家、高僧や幕府の役人などが宿泊や休憩のために使用した旅館のことを指します。関宿にはこちらの「伊藤本陣」と川北本陣の二か所がありました。

このような本陣には格式の高い建築様式が採用され、伊藤本陣跡の間口は11間、建坪は269坪と大変立派なつくりになっています。また歌川広重の東海道五十三次の浮世絵「本陣早立」に描かれている本陣は、伊藤本陣だと伝えられています。

以前は唐破風の表門などがありましたが、現在では本陣の店部分や道具置場だった建物のみが現存。それでも切妻造りや桟瓦葺、格子窓や二階外壁の袖壁などはそのまま残っています。本陣が一つの宿場町に二つもあったとは、関宿がいかに栄えていたのかが分かりますね。

休憩なら足湯「小萬の湯」がおすすめ

江戸時代の宿場町・関宿の観光に疲れたら小萬の湯が休憩におすすめ。足湯を無料で楽しめる施設で、深さ1,300mの地下から源泉をパイプでくみ上げています。海水の7割という塩分濃度が、療養泉として切り傷や慢性皮膚病、筋肉痛や関節痛の効能が期待できます。

また塩分が多く含まれているため足を入れると塩分が付着し、汗の蒸発を防いでくれるため保温効果もあります。「熱の湯」とも呼ばれ、体を温めてくれる温泉です。関宿観光の休憩地点として、ゆっくり足湯に浸かってみてはいかがでしょうか。

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