名称:鬼ノ城
住所:総社市黒尾・奥坂
公式・関連サイトURL:https://bit.ly/2ScGnbZ
鬼ノ城(きのじょう)は、岡山市の隣の総社市(そうじゃし)にある巨大な古代の山城です。古文書にも出てこない謎めいた城跡ですが、なんとあの桃太郎伝説の元になった場所ではないかとも考えられているんですよ。発掘調査や史跡公園整備が進み、城門や角楼、水門など多くの観光の見どころがあります。今回は、岡山で注目の観光スポット鬼ノ城の魅力や便利情報などをご紹介します。
目次
岡山県に残る巨大な古代山城!日本100名城の1つ「鬼ノ城」の観光案内
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1. 桃太郎の鬼ヶ島と関係があるとされる鬼ノ城とは
「鬼ノ城」は、総社市北部にそびえる標高約400mの鬼城山にあります。歴史史料には見られない謎の城ですが、発掘調査の結果から7~8世紀の短期間に存在したと考えられています。
当時、日本は663年の白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れ、唐と新羅が攻めてくるかもしれないという緊張状態にありました。これに備えて、西日本の各地に朝鮮式山城という形式の山城が築かれました。鬼ノ城も、城壁で山や谷を大きく囲む朝鮮式山城の形式に則っているため、これらの城の1つとみられています。
また総社市は、桃太郎のモチーフとされる「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」の本拠地であることから、鬼ノ城も鬼ヶ島のモデルとされています。いわく、鬼ノ城には温羅(うら)と呼ばれる鬼が住んでいて、吉備津彦命がこれを討ったとするものです。
2. 鬼ノ城の4つの城門
鬼ノ城には、東西南北の4つの城門がありました。4つとも、発掘により掘立柱(ほったてばしら)形式だったことが明らかになっています。現在は4つのうち西門が復元され、観光の目玉となっています。間口は3間(12.3メートル)あり、扉は内開き。見慣れた日本のお城とはだいぶ違った雰囲気を漂わせています。
東門は柱の数などが西門などと異なり、南門は西門より門扉の柱が少し小さいのが特徴です。残る北門は規模が小さいものの、床面に敷石が成されています。4つの城門にはそれぞれ役割があり、意図的に違った特徴を持たせているのでしょう。1周約2.8kmあるので4つ全部を見学するのはなかなか難しいですが、ぜひ2つ以上は実際に見て、違いを感じてみてください。
3. 鬼ノ城の西門、北西の角楼跡
「角楼(かくろう)」は防衛のための施設で、西門の北西にあります。城壁から張り出した四角いスペースで、攻めてくる敵を頭上から攻撃するために使われたと考えられています。
西門と同じく復元されている角楼は、今では城内随一の展望スポット!ここからは、西門越しに総社盆地の平野部を望む絶好のショットが撮影できます。
4. 版築土塁でつくられた堅固な城壁
鬼ノ城の城壁は約2.8キロもあり、1周ぐるっと歩いて回ることができます。土を何度も突き固めて作る「版築土塁」と呼ばれる形式で、土という素材からは想像できないほどの強固さを誇ります。
この堅固な城壁が実際に敵が攻められたのかはわかっていませんが、防御力に優れていたのは確かでしょう。今日、城壁沿いをウォーキングすれば、四季折々の草花を見ながら気持ちの良い汗を流せますよ。途中には、温羅伝説の旧跡碑などもあります。
5. 数多くの水門
鬼ノ城には、4つの城門とはべつに6つの水門があり、それぞれ第0水門から第5水門まで名前が付けられています。水門は人間の通行用ではなく、山水を排出して城壁の崩壊を防ぐためのものです。
6つの内2つは、石垣の隙間から水を流すだけの単純なもの。残る4つは、この時代の山城には珍しくわざわざ通水口が設けられています。水門は下側は石垣が積まれ、上側は土が積まれており、通水口が造られています。現在でも石垣の上部あたりから水が出ている水門もあります。これを約1400年前の人々が造ったというのですから驚きですね!
◎注意事項
鬼ノ城は車以外でのアクセスが少々困難です。登山口は、西麓の「鬼城山ビジターセンター」になります。鬼城山ビジターセンターへの公共交通機関はないので、JR総社駅からタクシーに乗りましょう(約20分)。鬼城山ビジターセンターから鬼ノ城までは、約400mのハイキング。山の上の防御施設なので、歩きやすい服装と飲み物を用意しておきましょう。
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