東山慈照寺「銀閣寺」の特徴・魅力・歴史をわかりやすく解説

東山慈照寺「銀閣寺」の特徴・魅力・歴史をわかりやすく解説

観光名所の多い京都の中でも、落ち着いた佇まいの「銀閣寺」は、雅やかな金閣寺と並んで外せないスポットのひとつ。銀閣寺には深い歴史とストーリーがあり、その背景と特徴、魅力を知った上で観光すると、きっと違った印象と見方になるはずです。

今や世界的に知られるようになった「わび」「さび」の世界観を色濃く表現している慈照寺銀閣。今回は世界遺産にも選ばれている銀閣寺の魅力について、特徴や見どころ、アクセス、耳より情報などをご紹介します。京都観光を予定している方は必見です!

目次

東山慈照寺「銀閣寺」の特徴・魅力・歴史をわかりやすく解説

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1.足利義政と東山慈照寺「銀閣寺」

東山慈照寺「銀閣寺」

室町幕府第6代将軍だった足利義教と日野重子のもとに生まれたのが、足利義政です。父の暗殺と兄の早世により、1449年(文安6年)4月29日、元服を迎えた義政は正式に第8代将軍として就任しました。

しかし、細川勝元と山名宗全による東西に分かれた勢力争い、義政の後継者争いを巡って、有名な「応仁の乱」が起こります。この大乱によって京の都は、約11年もの長い間、混乱状態が続きました。

義政は、焼けてしまった浄土寺の跡地に金閣にならって「東山殿(東山山荘)」を造営。隠やかに生活したいと願う義政の気持ちを反映するかのように、東山殿は都に背を向けて建てられています。しかし残念ながら義政は、この東山殿の完成を見ることなくこの世を去ってしまいました。

東山殿は後に銀閣寺と呼ばれますが、義政公の法号である慈照院から名付けられた「東山慈照寺(じしょうじ)」が正式名です。そんな背景を鑑みながら、銀閣寺の見どころ、文化人として知られる義政にも焦点を当てて拝観してみましょう。

2.「銀閣」なのに、なぜ銀じゃない?

東山慈照寺銀閣寺

金閣寺は派手できらびやかな金箔でおおわれています。それに対して銀色を全く感じさせない銀閣寺。「銀色じゃないのに、なぜ銀閣寺って言うんだろう・・・?」そう思っている方も多いのではないでしょうか。

いくつか諸説はありますが、そのひとつとして有力なのは、北山文化の中心をなした北山殿、通称「金閣寺」に対比させて、東山文化の中心をなした東山殿を「銀閣寺」と呼ぶようになったという説です。

木造2階建ての楼閣建築、いわゆる銀閣は「慈照寺(じしょうじ)」の観音殿。ちなみに金閣は「鹿苑寺(ろくおんじ)」の舎利殿ですが、寺院全体を金閣寺とわかりやすく呼んでいます。

3.銀閣が京都市街地に背を向けている理由

銀閣寺垣

銀閣寺の総門をくぐってから中門までの参道は、大刈込の竹垣が特徴。「銀閣寺垣」と呼ばれるクランク状の参道を歩くにつれ、少しずつ俗世から銀閣寺の世界へいざなわれていくような気がする不思議な空間です。

東山慈照寺銀閣寺

銀閣を注意深く見てみると、1階の縁側は東を向いています。西側にある京都市街地に背を向けるかのように、反対方向を向いているんです。なぜ東向きに銀閣は建っているのでしょうか。実はそこに、義政の苦悩を垣間見ることができます。

室町幕府第8代将軍だった義政には後継ぎがなかったため、弟の義視(よしみ)を養子とし、将軍職を譲ることになっていました。しかし、息子の義尚(よしひさ)が生まれたことにより、跡継ぎ問題が急浮上!この将軍職を巡る争いが、戦国時代の幕開けとも言われている「応仁の乱」です。

京都を戦場に約11年も続いた応仁の乱により、京の都はほとんど焼けてしまいました。さらに正室である日野富子の実家まで介入。すでに将軍としての力が弱かった義政の政治力はますます低下し、乱を止めることができませんでした。

京の都が焼け、政治も上手くいかない義政は、現実逃避するように隠居先として東山山荘を建てました。都に背を向けた銀閣の姿は、義政の「もう京の都を見たくない」という気持ちの表れではないでしょうか。

4.国宝「銀閣/観音殿」

慈照寺銀閣寺 国宝「銀閣/観音殿」

杮葺(こけらぶき)屋根の「観音殿」は、金閣寺の舎利殿や西芳寺の瑠璃殿を模して造られた2階建ての楼閣建築。北山殿の金閣に呼応して「銀閣」と呼ばれる観音殿は、東に広がる錦鏡池(きんきょうち)や東山方面が正面になるよう建てられています。

下層の「心空殿(しんくうでん)」は書院造。銀閣の中へに入ることはできませんが、錦鏡池に面した広縁に座り、義政公が眺めたであろう景色を想像してみてはいかがでしょう。

銀閣寺潮音閣の花頭窓

上層の「潮音閣」は禅宗様仏殿で、花頭窓(かとうまど)が特徴的です。

金箔が贅沢に貼られている派手な金閣に対して、銀閣は豪華さという点では欠けているように思えるかもしれません。室町時代後期に栄え、東山文化を代表する建造物である銀閣の魅力は、子供にはなかな理解しがたいのですが、齢を重ねるにつれ実感できるといわれています。

5.向月台と銀沙灘

銀閣寺の向月台

庭園の中央に、つい目を奪われる富士山のような砂盛りがあります。「向月台(こうげつだい)」と呼ばれるこの富士山形の砂盛りは、座って月を眺めるために造られたという説がありますが、現在のような形になったのは江戸時代後期と考えられています。

銀閣寺の銀沙灘

月の光を反射させるように白砂で波紋や灘を表現したといわれる平面的でシャープな砂盛りは「銀沙灘(ぎんしゃだん)」。歴史ある寺院でありながら、一般的な枯山水とは一線を画した現代アートのような向月台や銀沙灘があるのも、銀閣寺の魅力のひとつですね。

6.国宝「東求堂」

慈照寺 国宝「東求堂」

「東求堂(とうぐどう)」は、その後の日本文化に大きな影響を及ぼした持仏堂。檜皮葺(ひわだぶき)屋根、入母屋造りの建物です。東求堂は持仏堂でありながら、義政公の住居として使用されていました。

慈照寺 国宝「東求堂」同仁斎

4部屋あるうち北東側に位置する「同仁斎(どうじんさい)」は、義政が最も愛した書院です。床の間や掛け軸、そして4畳半の始まりの場所とされる同仁斎は、後世の日本文化に大きな影響を及ぼした場所。草庵茶室の起源でもあり、ここから「わび」「さび」の世界観が生まれました。銀閣と東求堂は1558年の兵火からも免れた歴史ある建築物で、国宝に指定されています。

通常非公開のため外からしか観ることができませんが、年に2回、春と秋の約2か月ずつ特別公開を実施。内部を拝観できるチャンスを逃さないよう前もって予定を確認し、京都旅行の計画を立てるのがオススメです。

7.本堂(方丈)

慈照寺 本堂(方丈)

本堂(方丈)には与謝蕪村(よさぶそん)、日本南画の大成者として知られる池大雅(いけのたいが)による風格ある襖絵があります。見どころが多いものの、こちらも通常非公開になっています。

8.展望台からの眺望も必見!

慈照寺 展望台

東山という立地にある銀閣寺ですから、ぜひ境内東側の山へ上がってみてください。展望台への道は綺麗に整備されています。

慈照寺 展望台からの京都市内眺望

散歩がてら少し上るだけで、銀閣や庭園など慈照寺全体を見渡せます。京都市街地も一部は見えますが、手前の吉田山が屏風のように都の景観を遮る役目を買っているのも興味深いところ。ロケーションにこだわって銀閣寺を造営した義政の思いを、ここでも伺い知ることができますね。

秋の紅葉シーズンには周りの山々が色づき、冬なら雪化粧して心が洗われるような凛とした景色を見ることができます。どの季節でも眺望がとても素晴らしいので、銀閣寺を訪れるならぜひ足を延ばしてみてください。

9.「五山送り火」点火のトップを飾る大文字山、東山如意ヶ嶽

五山送り火 大文字山(東山如意ヶ嶽)

毎年8月16日は「五山送り火」。20時から、大文字、妙法、舟形、左大文字、鳥居、と送り火の炎が順に上がります。これはお精霊(しょらい)さんと呼ばれる魂をあの世へ送り届ける京都の伝統行事。五山送り火のトップを飾って点火されるのが、大文字山「東山如意ヶ嶽(にょいがたけ)」です。

如意ヶ嶽の麓に位置する銀閣寺では、送り火当日に護摩木を志納することができます。自分の名前と持病を書いた護摩木を火床で焚いてもらうとその病が治癒する、と言い伝えられています。地元の方だけでなく、もちろん観光者の方もOK!ぜひ奉納してみてはいかがでしょうか。

◎慈照寺(銀閣寺)へのアクセス ~哲学の道も散策しよう~

哲学の道

銀閣寺へのアクセスは、バスが便利です。京都駅からの場合、市バスの17系統か5系統に乗車し「銀閣寺道」で下車すると乗り換えなしでアクセスできます。直通バスでなくても1日券などを利用すれば、乗り継ぎながら「銀閣寺前」や「銀閣寺道」まで行けるので、移動時間が短縮できますよ。

電車の最寄り駅は、京阪電鉄の「出町柳(でまちやなぎ)」駅。ここから銀閣寺まで2kmあまり距離があるため、歩くと30分程かかります。京都大学を両側に見ながら今出川通を東へのんびり歩いても良いのですが、観光の前に移動で疲れてしまってはもったいないので、ここはタクシーを利用するのも選択肢です。京都は観光都市なので、流しのタクシーがたくさん走っています。

四季折々で素敵な風景を魅せてくれる銀閣寺。銀閣寺から南へ疏水沿いに続く「哲学の道」も絶好の散策スポットなので、ぜひ併せて観光してくださいね。

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