名称:開城の歴史的建造物と遺跡群
住所:朝鮮民主主義人民共和国 開城市
公式・関連サイトURL:http://whc.unesco.org/ja/list/1278
世界遺産「開城の歴史的建造物と遺跡群」は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)南部の開城(ケソン)市にある高麗王朝時代の遺跡です。918年の高麗王朝が成立して間もない時期から1392年に李氏朝鮮によって滅ぼされるまで、首都を置いていた高麗王朝の歴史や文化を今に伝えています。高麗が滅ぼされた時にほとんどの建造物が破壊されてしまい、その後再建もされなかったため多くは現在廃墟となっているのだとか。
その中で2013年に「開城の歴史的建造物と遺跡群」として世界遺産に登録された遺跡は計12件。
どれも見どころ満載の素晴らしいものばかりです。
それでは、朝鮮民主主義人民共和国の世界遺産「開城の歴史的建造物と遺跡群」の魅力についてご紹介していきましょう。
目次
高麗王朝の歴史を辿る旅!世界遺産・開城の歴史的建造物と遺跡群
開城の歴史的建造物と遺跡とは?
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の開城(ケソン)市は、高麗時代の都として400年以上にもわたって栄えた地です。特に商業が盛んであったようで、周辺の国々との交流も深かったと言われています。
その開城にある「開城の歴史的建造物と遺跡群」が、2013年に世界遺産に登録されました。
これは2004年に登録された「高句麗古墳群」に次いで2つ目の世界遺産となります。
世界遺産に登録されたのは、政治的にも文化的にも高麗時代の価値を知ることができると認められた遺跡たち合わせて12件。開城のシンボルでもある「開城城壁(ケソンソンビョク)」や「開城南大門(ナムデムン)」をはじめ、王宮跡の「満月台(マンウォルデ)」、かつての王たちが眠る「恭愍王陵(コンミンワンルン)」や「王建王陵(ワンゴンワンルン)」、天文観測を行う「瞻星台(チョムソンデ)」などが含まれています。
実はこの世界遺産の登録までには、13年という長い年月がかかっているんですよ。最初に暫定リスト入りしたのは2000年のこと。その後、2007年1月に最初の推薦を受けるのですが、構成遺産そのものを見直すようにとの理由から登録を見送られてしまいます。結局、推薦書が2011年に再提出され2013年の本登録にこぎつけることが出来たのですが、ここまでにはたくさんの人々の尽力があったのだとか。
これはぜひ訪れてみたいですね。
開城の歴史的建造物と遺跡群へのアクセス
日本と北朝鮮は国交がないため、自由に行き来することができません。入国するには、経由地である中国査証の代理申請が必要になります。中国総領事館で許可申請をし許可を受けてから、旅行代理店のツアーに参加しましょう。基本的にガイド無しで自由に観光することはできません。
開城の歴史的建造物と遺跡群のおすすめポイント
◆開城南大門
日本の東大寺やソウルなど色々なところで名前を聞く南大門ですが、北朝鮮の世界遺産「開城の歴史的建造物と遺跡群」には「開城南大門(ケソンナムデムン)」があります。この開城南大門は1391年から1393年にかけて建てられたの南側の正門で、当時の建築様式がよく分かる遺跡として高く評価されています。
開城南大門の見どころは外観だけではありません。門楼に設置されているのは、国宝にも指定されている「演福寺鐘(ヨンボクサジョン)」。この鐘は1563年に火災に遭った演福寺から移されたもので、かつては開城の人々に時を知らせる時計の役割をしていたそうです。
高さ約3.2m、重さが14トンにもなる演福寺鐘は、大きさもさることながら美しい音色で有名であったのだとか。その音は100里(約390km)先まで聞こえたとも言われています。
朝鮮半島の最古級の城門「開城南大門」と国宝の演福寺鐘を見に、ぜひ足を運んでみてくださいね。
◆高麗成均館
かつて国の最高教育機関であった「高麗成均館(コリョソンギュングァン)」には、文廟や会議室、寮、図書館などが備えられていました。残念ながら1592年の「壬辰祖国戦争(文禄・慶長の役)」で破壊されてしまいますが、その後1602年に再建。朝鮮王朝時代に首都が漢陽(現在のソウル)に移ってからは、地方校として開城の地で教育を続けてきました。
そんな高麗成均館は、1987年から「高麗博物館(コリョパンムルグァン)」としてオープンしています。
約7万平方キロメートルに及ぶ敷地には、12棟の本館や6棟の分館のほか石塔や石碑などがたくさん建っており、高麗時代に関する貴重な遺物が1000点以上も展示されているのだとか。
ちなみに、現在ソウルにある成均館大学はこの「高麗成均館」を継承したものですよ。
世界遺産「開城の歴史的建造物と遺跡群」を巡る前に訪れて、高麗時代の歴史について学んでみるのも良いかもしれませんね。
◆恭愍王陵
世界遺産の「開城の歴史的建造物と遺跡群」には王建王陵(ワンゴンワンルン)、七陵群(チルルングン)、明陵群(ミョンルングン)などの王陵群が登録されています。その中でも代表的な王陵として有名なのがこの「恭愍王陵(コンミンワンルン)」です。
丘陵の南面の中腹に建てられた「恭愍王陵」は、王と王妃のお墓が仲良く並んでいるのが特徴。先に亡くなった王妃を悼んで、王自らが設計し7年もの歳月をかけて造ったと言われています。魂はいつまでも一緒にられるようにと、王陵の中は穴で繋がっておりお互い行き来できるようになっているのだとか。
王と王妃の夫婦愛を感じられる心温まる世界遺産「恭愍王陵」は、まるでインドの「タージ・マハル」のようですね。それぞれにまつわるストーリーを知った上で見学すると、また違った楽しみや発見に気付くことができますよ。
◎まとめ
400年以上にもわたって栄えた高麗王朝時代の遺跡たち。残念ながら戦や侵攻により破壊されてしまったものが多いようですが、僅かながらに残されたこの世界遺産「開城の歴史的建造物と遺跡群」をこれからも守っていきたいですね。なかなか訪れるきっかけが無いかもしれませんが、日本とも深く関わりあってきた国ですのでぜひ一度足を運んでみると良いでしょう。