二重の城壁に守られたパルティア王国の要塞都市!イラクの世界遺産ハトラ

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二重の城壁に守られたパルティア王国の要塞都市!イラクの世界遺産ハトラ

ハトラはイラク共和国の北部の二ーナワー県モースルの南西約100kmの砂漠地帯に残る遺跡です。2重の城壁に囲まれた直径2kmもの都市で、中心に大きな神殿エリアをもつことから「神の家」とも呼ばれています。古代パルティア王国の交易拠点として栄えただけでなく、口-マ帝国に何度も攻撃され、ついに落ちることのなかった要塞都市でもありました。

悲しいことに2015年にISILによって破壊され、ハトラは危機遺産リストに登録されています。早期の治安回復と修復を願いつつ、ハトラの魅力をご紹介しましょう。

目次

二重の城壁に守られたパルティア王国の要塞都市!イラクの世界遺産ハトラ

ハトラとは

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ハトラを建設したパルティア人は、もともとカスピ海東部に暮らしていた遊牧騎馬民族でした。紀元前3世紀ごろにセレウコス朝シリアから独立すると、砂漠交易のルート上の都市を次々に制圧し、ハトラのあるメソポタミアへと進出しました。ハトラが都市として整備されたのは、紀元前1世紀ごろと考えられています。

紀元後117年、ハトラはローマ帝国から最初の攻撃を受けます。しかし、砂漠に囲まれたハトラを前に、ローマ軍はすぐに食料と水に飢えて撤退しました。その後216年まで、ハトラは3度のローマの遠征軍に囲まれます。しかし2重の城壁や、騎乗や弓術に長けた騎馬民族パルティア人の抵抗に阻まれ、その都度撃退に成功しました。

難攻不落を誇ったハトラですが、やがてパルティア王国自体が諸侯の反乱により衰退します。紀元後224年、パルティア王国は新たに興ったササン朝ペルシアによって滅ぼされ、ハトラの栄光の歴史も幕を閉じました。

ハトラへのアクセス

ハトラの最寄りの都市はモスルですが、ここは2017年7月にISILからの奪還が宣言されたばかりで、インフラはほとんど機能していません。モスル空港に就航している便も2018年現在ではありません。

利用できる空港で最も近いのは、アルビール国際空港です。アルビールへは、イスタンブールやドバイ、アブダビなどを経由して行きます。アルビールからハトラへ向かう公共交通機関はありません。

ハトラのおすすめポイント①:2重の城壁

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城塞都市ハトラの堅固さは、かのローマ軍の攻撃を3度も耐えていることからも実証済みです。その防衛の要となったのが、2重の城壁と163もの防御塔です。外壁と内壁の間は幅100mにも及ぶ堀が巡っていて、正攻法ではとても城内にたどり着くことはできません。

城壁に一定間隔ごとに設けられた防御塔は、お互いに35m以上離れることはないようになっています。ハトラでの出入り口は4つの城門のみ。まさに、守るに易く攻めるに難い難攻不落の城砦です。

ハトラのおすすめポイント②:イーワーン

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ハトラの中心部には、440m×320mの壁で囲まれた方形の聖域(テメノス)があります。そのなかにある宗教施設のなかで、最も大きなものがシャマシュ神殿。パルティアの太陽神シャマシュを祀ったもので、ここには大小2つのイーワーンがあります。

イーワーンとは、イスラーム建築によくみられる区画ないし空間。とはいえハトラの存在していた時代にはまだイスラム教は誕生していないので、ここでは中心となる御殿建築を指します。

2つのうち1つは、神官長を兼ねたハトラの統治者の宮殿と考えられています。そしてもう1つは、シャマシュ神殿の前殿の役割を果たしていたと推測されています。現在のイスラム建築の前身ともされるイーワーンに対し、聖域にはギリシャのパルテノン神殿によく似た建物もあります。ギリシャとオリエントが共存するハトラは、当時のパルティア帝国の権勢を如実に示しているといえるでしょう。

◎まとめ

世界遺産ハトラの遺跡は、2015年にISILによって破壊されてしまいました。ハトラの北にあるモスルが2017年7月に解放されたばかりで、ハトラの復興も容易ではありません。

2018年現在、ハトラ周辺には外務省による海外危険情報レベル4(退避勧告)が出されています。いかなる理由であれ、渡航は容認される状況にはありません。1日も早い治安の回復と、世界遺産の遺跡の復興が望まれます。

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