埼玉県の歴史スポットおすすめ5選!川越城や古墳など実は歴史の宝庫だった

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埼玉県の歴史スポットおすすめ5選!川越城や古墳など実は歴史の宝庫だった

埼玉は古代遺跡や城、寺社など歴史スポットの多い場所です。関東七名城のひとつである川越城は、埼玉県を代表する歴史観光スポット。また、埼玉の発祥といわれる「さきたま古墳群」や、219個もの穴がある珍しい「吉見百穴」など、古墳や遺跡が点在しています。また、徳川ゆかりの「喜多院」など寺社が多く、山岳信仰が残る霊山もあります。

地理的にも鎌倉や江戸に近いため、戦略的な要所として発展。古い街道や宿場などが整備され、物流の重要な場所として重要視されてきました。そんな埼玉県の歴史スポットを5か所、厳選してご紹介します。

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埼玉県の歴史スポットおすすめ5選!川越城や古墳など実は歴史の宝庫だった

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1.埼玉の王道的な歴史スポット「時の鐘」

出典: Syohei Arai (CC BY-SA 4.0)

「時の鐘」は、埼玉県川越市の有名な歴史観光スポット。川越市は、上杉氏や北条氏(ほうじょうし)の武蔵国支配で最も重要な場所でした。やがて安定した江戸時代に入ると、幕政の重職を預かる譜代大名や、親藩の越前松平家がこの地を治めるほど、幕府にとっても重要な要所であったことがうかがい知れます。江戸からは新河岸川(しんがしがわ)の舟運や川越街道でつながれており、北の守りの要としての位置付け。小江戸と呼ばれていたのも納得がいくところでしょう。

「時の鐘」は、江戸時代末期に小川五郎衛門栄長によって鋳造された鐘でした。1893年、川越の大火で鐘楼もろとも焼失してしまいましたが、市民活動や地元に関係する有力な人物らによって、翌年に再興。今世紀の埼玉を代表する「残したい日本の音風景百選」に選定されています。

2.徳川ゆかりの「喜多院」

埼玉県川越市にある「喜多院」は、別名「川越大師」とも呼ばれる寺院。徳川家と深いつながりのある埼玉でも指折りの歴史スポットです。徳川家との親交が深かったとされる天海大僧正(てんかいだいそうじょう)は、この寺院の第27世住職。徳川家康の絶大な信頼を得ていました。三代将軍家光は、この寺に江戸城紅葉山御殿の一部を移築。現在でも喜多院の客殿や書院に庫裏といった場所が、これらに該当する場所として知られています。

出典: Fg2

境内北、駐車場近くにあるのは「日本三大羅漢」のひとつである五百羅漢。夜中に羅漢の頭を順に撫でていくと1つだけ温かい頭があり、それは無くなった親の顔に似ているという伝説が残っています。喜多院は初詣でも人気があり、毎年多くの初詣客でにぎわっています。埼玉でも重要文化財が多く残されていることで有名な寺院で、すぐ近くの成田山川越別院や川越歴史博物館も合わせて参拝・観光できます。

3.埼玉発祥の地「さきたま古墳群」

埼玉の古代史を知る上でかかせないのが、埼玉県行田市にある「さきたま古墳群」です。「埼玉」と書いて「さきたま」と読み、埼玉の発祥といわれる歴史スポット。さきたま古墳群は、前方後円墳8基と円墳1基からなる大型墳墓。発見時には周辺に36基もの小型古墳群も存在していましたが、残念なことに昭和初期の干拓事業でそのすべてが取り壊されてしまいました。大型の墳墓は残されて整備中です。

古墳群は5世紀末から7世紀に造られたもので、笠原を本拠とした武蔵国国造の墓と推測されています。しかし、本当にそうなのか?解明にはまだまだ手がかりや時間が必要だからこそ、古代史はロマンがありますね。

4.埼玉・ドラマにも出てくる有名な歴史スポット「川越城」

出典: Ocdp (CC BY-SA 3.0)

武蔵野台地の北東端に位置する「川越城」は、「関東七名城」「日本100名城」のひとつに数えられる平城。現在でも本丸御殿の一部が現存する貴重な文化遺産です。現在の埼玉県は「武蔵国(むさしのくに)」と呼ばれていた場所の一部で、武蔵国は扇谷上杉氏の領地でした。上杉持朝(もちとも)は、古河公方と呼ばれた足利氏との紛争に対処するため、家宰の太田道真(どうしん)と道灌(どうかん)父子に川越城の築城を命し、同時に江戸城も築城。川越城城主は上杉持朝、江戸城は家老であった太田道灌が城主となりました。このことからも、当時の格式は川越城が江戸城よりも上だったことがわかります。

ところが群雄割拠の戦国時代に入ると、北条早雲が台頭。川越城は江戸城と共に、北条家の支配下におかれました。川越城は江戸時代に入っても江戸幕府の重要な要所とされ、信頼のおける家臣に治めさせた格式高い重要な拠点の城。城下町として栄え、「小江戸」と呼ばれました。

5.ヘレンケラーが尊崇した塙保己一の生家「塙保己一旧宅」

塙保己一(はなわほきいち)は、江戸後期に活躍した盲目の国学者。1937年(昭和12年)、三重苦で有名なヘレン・ケラーが日本に初めて来日した際、真っ先に渋谷の温故学会へ訪れ、塙保己一の木像に触れて感謝の意を表したとされています。「塙保己一旧宅」はそんな埼玉に残された重要な歴史スポット。

農民の家に生まれた塙保己一は、盲目でありながら、旗本と同位になるほどの出世をした人物。歴史的重要文書を集めた「群書類従」を編纂したことで知られています。後世にこれを伝えるべく、木版で刊行。17242枚もの版木は、現在も国の重要文化財として残されています。20×20字の400字詰の版木が、原稿用紙の由来。また、弟子たちに源氏物語の講義を行っていた際、風で明かりが消えてしまい、弟子が慌ててたところ、塙保己一はすかさず「さてさて、目明きとは不自由なものだなあ」と切り返したという逸話が残っています。

◎まとめ

埼玉は古くから戦乱にまみえた土地で、歴史上重要な戦いが多かった場所。中世以降、江戸幕府終焉まで大変重要な要所として発展してきました。日本初の貨幣である和同開珎は、この地で初めて造幣されたんですよ。歴史スポットが多いことを意外と知られていない埼玉県。古墳や城など、歴史に焦点を当てて観光してみるのも興味深いと思いませんか?

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