大英帝国の流刑と迫害の歴史を語る世界遺産!オーストラリアの囚人遺跡群

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大英帝国の流刑と迫害の歴史を語る世界遺産!オーストラリアの囚人遺跡群

18世紀後半にアメリカが独立すると、イギリスはオーストラリアの開拓を本格的に進めるようになりました。その担い手となったのは、イギリス本国から送られてきた囚人たち。彼らを収容するために、オーストラリアやタスマニア島およびノーフォーク島などに、多くの刑務所や囚人バラックが建設されたのです。

こうした収容施設には、流刑になった囚人だけでなく、先住民族アボリジニの人たちも強制的に移住させられました。世界遺産の登録名は「囚人遺跡群(Convict Sites)」となっていますが、実際には刑務所だけでなく、旧総督官邸や工場・炭鉱跡など開拓にまつわるさまざまな施設跡から成っています。今回は、それらのなかでとくに観光の価値の高いものをご紹介します。

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大英帝国の流刑と迫害の歴史を語る世界遺産!オーストラリアの囚人遺跡群

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オーストラリアの囚人遺跡群とは?

18世紀に始まった産業革命により、イギリスの都市部には労働者や失業者が集中し、犯罪が多発するようになりました。本土の刑務所が常に満杯状態となってしまったことから、イギリスは囚人を国外流刑にする政策をとるようになり、当初その受け皿となったのがアメリカでした。

しかし、1776年にアメリカが独立すると、イギリスは新たな流刑地を探さなければならないことに。そこで白羽の矢が立ったのが、オーストラリアです。1787~1868年までの80年間にわたり、イギリス本国からオーストラリアに送られた囚人は16万6000人にのぼるといわれています。女性や子供も少なくなく、強制的に送られて苛酷な植民地労働を強いられました。

また、オーストラリアの先住民アボリジニも、数多くこれらの収容所に強制移住させられました。イギリス人による迫害や伝染病の蔓延などにより、アボリジニの人口は白人来航前の1割以下にまで減少したといわれています。「オーストラリアの囚人遺跡群」は、イギリスの帝国主義とオーストラリアの白豪主義の遺産として、2010年に世界遺産に登録されました。

オーストラリアの囚人遺跡群へのアクセス

世界遺産「オーストラリアの囚人遺跡群」はオーストラリア大陸のみならず、タスマニア島やノーフォーク島など11のエリアに点在しています。そのなかの1つ「ハイドパーク・バラックス博物館」は、シドニー市内にあります。羽田や成田からシドニー空港までは、直行便で約9時間半。空港シティ・レールに乗ってタウンホール駅まで行けば、そこから徒歩15分ほどで到着します。また、セントジェームス駅からは徒歩約3分です。

タスマニア島の「ポート・アーサー史跡」や、ノーフォーク島の「キングストンとアーサーズ・ヴェールの歴史地区」へは、シドニーなどからのツアーを利用して訪れるのがおすすめです。

囚人遺跡群のおすすめポイント①:ポート・アーサー史跡

出典: SOH / PIXTA(ピクスタ)

タスマニア島の南東に細く突き出たタスマン半島のさらに先端近くに位置する小さな町ポート・アーサー。ここはかつて、「監獄の中の監獄」と恐れられていた脱出不可能の流刑植民地でした。半島と本島を繋いでいるのは細長い砂洲だけ。周りの海にはサメがうようよいるので、海に入ることは死を意味していました。

ポート・アーサーの刑務所では、拷問や理不尽な重労働が日常的に行われていました。大英帝国はこうした非道を隠そうとしましたが、皮肉なことに悲惨な歴史こそがポート・アーサーを世界遺産の構成資産たらしめています。

現在は、「ポート・アーサー歴史史跡(Port Arthur Historic Site)」として一般に公開されています。ただし、脱出不能の監獄なので、アクセスは容易とはいえません。ツアーに参加して訪ねるのが良いでしょう。

囚人遺跡群のおすすめポイント②:ハイドパーク・バラックス

出典: ja.wikipedia.org

オーストラリア最大の都市シドニーの中心部にも、世界遺産の囚人遺跡群の1つがあります。それが、ハイドパークとロイヤル植物園の間にある「ハイドパーク・バラックス」です。

1819年に男性囚人の収容施設として建設されました。面白いことに、この建物の設計をしたのは、囚人としてオーストラリアに流された建築家フランシス・グリーンウェイでした。彼は契約書を改竄した罪で流刑となったものの、ハイドパーク・バラックスの設計が評価されて、晴れて特赦を得ることができたのです。

1848年からは女性のための施設となり、さらにその後は法廷や行政施設としても利用されました。現在では博物館として公開されていて、シドニーの観光スポットの1つとなっています。

囚人遺跡群のおすすめポイント③:ノーフォーク島

オーストラリア大陸とニュージーランド、そしてニューカレドニアの間に浮かぶ小さな島ノーフォーク。この島への入植が始まったのは、1788年のことでした。最初に上陸したのは、9人の男性囚人と6人の女性囚人、そして8人の非囚人。1790年代から本格的な開拓が進展し、19世紀前半には数百人の囚人が暮らすようになりました。

とはいえ、ノーフォーク島は自給自足も困難な小さな島だったため、囚人の入植は徐々に縮小し、19世紀後半には途絶えました。70年ほどの期間に囚人たちが築いた街の痕跡は保存・復興され、「キングストンとアーサーズ・ヴェールの歴史地区」として世界遺産の構成資産となっています。

刑務所複合施設や新旧のミリタリー・バラックのほか、「総督官邸の保護地区」も登録されているのが特徴。これは、ほとんど孤島のノーフォークで囚人を統括するために、総督の権威を誇示する必要があったためです。エリアAからNまでの13の地区に分けられる広大な世界遺産ですが、訪れるにはシドニーやブリスベンからツアーに参加するのが無難です。

◎まとめ

世界遺産「オーストラリアの囚人遺跡群」をご紹介しました。かなり厳しい現実を垣間見ることになる負の遺産ですが、オーストラリアを語るうえで欠かすことのできない歴史の生き証人でもあります。ハイドパーク・バラックスのような街中のスポットもありますが、囚人遺跡群の多くはアクセスが容易とはいえません。オーストラリアの囚人遺跡群を刊行するなら、ツアーを利用して効率よく見学するのが得策ですよ。

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