名称:Luther Memorials in Eisleben and Wittenberg
住所:Lutherstadt Eisleben, Sachsen-Anhalt / Lutherstadt Wittenberg, Sachsen-Anhalt
公式・関連サイトURL:https://whc.unesco.org/en/list/783/
マルティン・ルターといえば、16世紀に始まった宗教改革の先駆者として世界史でもおなじみですね。ルターの足跡は、ドイツ国内などさまざまな町に残されています。
なかでも今回ご紹介するアイスレーベンとヴィッテンベルクは、それぞれルターの故郷であり、活動の原点となった町。そのため、この2つの町にあるルターの記念建造物群がひとまとめとなって世界遺産に登録されています。
そもそもこの両市は世界遺産登録以前からルターにまつわる都市という自負が強く、市の正式名称にはどちらも「ルターシュタット(ルター都市)」の一語を冠しています。宗教改革以前には庶民が読む必要は無いと、ラテン語でのみ書かれていた聖書を平易なドイツ語に訳し、プロテスタント運動の創始者となったルター。彼の生涯とキリスト教の一大転機に大きく関わった世界遺産です。
目次
【世界遺産】アイスレーベンとルターの記念建造物群とは?|中世宗教改革の足跡!
アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルターの記念建造物群とは
マルティン・ルターは、1483年にアイスレーベンに生まれました。父は農夫から身を興し、鉱山業で成功していたことから、息子にも上昇志向をもつよう厳格に接していたといわれています。マルティンは父の期待に応えて勉学に励み、大学にまで進みましたが、ひょんなことからエリートコースを捨て、修道院に入りました。
神学の道でも頭角を現したルターは、当時まだ新設されたばかりのヴィッテンベルク大学の教授に就任します。しかし、ルターは教壇に立って教鞭を取りながらも、神の前に立つ不確かな自分の存在に常に不安を感じていました。あるとき、正しい人間とはその行いではなく、その信仰によってのみ神から認められるという考え(信仰義認)に思い至りました。
そんなルターにとって見過ごすことができなかったのが、有名な贖宥状(免罪符)の販売問題でした。1517年10月31日の夜中、ルターはヴィッテンベルクの教会の門扉に『95ヶ条の論題』を掲示します。論題はドイツ国内に広まり、後のプロテスタント運動へと発展していったのです。
ヴィッテンベルクの統治者であるザクセン選帝侯フリードリヒ3世がルターを支持したため、ルターはその後もヴィッテンベルク大学の教授職を長く務めました。そして1546年、最期は故郷アイスレーベンでその生涯を閉じたのです。
アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルターの記念建造物群へのアクセス
アイスレーベンもヴィッテンベルクも、ともに最寄りの大都市はライプツィヒです。ヴィッテンベルクまでは特急ICEで30分、アイスレーベンまでは、途中ハレで乗り換えて在来線の快速で1時間20分ほど。ライプツィヒへは、ドレスデンからICEで1時間で着きます。
また、ヴィッテンベルクについては、ドイツの首都ベルリンからICEに乗れば40分で行くことができます。
ルターの記念建造物群のオススメポイント①:アイスレーベン
出典: Andreas Thum (CC BY-SA 3.0)
ルターが生まれ、そして亡くなった町アイスレーベン。人口2万5千人程度の小さな地方都市です。ここで世界遺産に登録されているのは、ルターの生家と晩年の家。ただし、どちらも実際にルターが住んでいたのは1年未満です。
ルターの生家は1693年に彼と宗教改革を顕彰する施設となり、ドイツでも最も古い歴史博物館の1つといわれています。また、ルターが息を引き取った家も博物館になっています。生家の方は開館時に再建されたものですが、ルター最期の家の方は、当時のまま残っている貴重な建物です。
ルターシュタット・アイスレーベンには、ほかにもルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会やマルクト広場のマルティン・ルター記念碑など、ルターにまつわる見どころがあります。町並み自体もルターの時代の面影を残しているので、旧市街をじっくり時間をかけて散策すると良いでしょう。
ルターの記念建造物群のオススメポイント②:ヴィッテンベルク
一方のヴィッテンベルクでは、ルターが修道士として住んでいた修道院(ルター・ホール)や、それに関連する建物が世界遺産に登録されています。
一番の見どころは、なんといってもルターが95ヶ条の論題を掲げた城付属聖堂でしょう。実際には、多くの人が前を通る教会の扉は街の掲示板のような役割を果たしていて、ルターの行為はそこまでアグレッシブなものではなかったといわれています。とはいえ、この扉が世界を動かすきっかけになったのは間違いありません。
その他、ルターが説教を行っていた「町の教会」や、人文主義者フィリップ・メランヒトンの住居が構成資産となっています。
◎まとめ
アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルターの記念建造物群をご紹介しました。キリスト教が政治や社会の隅々にまで行わたっているヨーロッパでは、ルターの存在は日本人が思っているより大きなもの。
「ルターシュタット」と公式に名乗るアイスレーベンとヴィッテンベルクには、至るところにルターへの尊敬と親しみを感じることができるでしょう。