壮麗な宮殿跡が残るペルシャ帝国の都!イランの世界遺産ペルセポリス

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壮麗な宮殿跡が残るペルシャ帝国の都!イランの世界遺産ペルセポリス

紀元前6世紀から紀元前4世紀にかけて栄えたアケメネス朝ペルシャの首都とされるペルセポリス。最盛期のアケメネス朝は、東は中央アジア、西はエチオピアに及ぶ広大な領土をもっていました。第3代ペルシャ王ダレイオス1世が建てたペルセポリスは、ペルシャの繁栄と権威を示すに足る巨大な都市でした。ペルセポリスに建ち並んでいた宮殿は、いずれも華やかなレリーフや彫刻で飾られていました。

現在は基部とわずかに石柱を残すのみとなっていますが、それでも圧倒的な存在感が感じられる遺跡です。栄華を極めた大都市ペルセポリスは、ペルシャの後裔たるイランを代表する世界遺産の1つ。イラン最大の遺跡で、シリアの「パルミラの遺跡」やヨルダンの「ペトラ遺跡」とともに、中東の3P遺跡とも呼ばれています。

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壮麗な宮殿跡が残るペルシャ帝国の都!イランの世界遺産ペルセポリス

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ペルセポリスとは

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ペルセポリスとは、ギリシャ語でペルシャの都という意味。王座をめぐる内乱を制したダレイオス1世が、紀元前520年に建設を開始したとされています。ダレイオス1世の孫のアルタクセルクセス1世の代にようやく完成したといわれていますが、他方で都とはいうものの、ダレイオス1世以下歴代の王はペルセポリスよりもスサやバビロンに滞在していることが多かったといわれています。

紀元前331年、マケドニア王国のアレクサンドロス大王によってペルセポリスは破壊され、アケメネス朝も翌年に滅びます。ペルセポリスは名目上の都だったと考えられていますが、それでもこのときアレクサンドロス大王はペルセポリスで莫大な黄金を獲得したとされています。

総面積約13万平方mという巨大なペルセポリスの神殿からは、有名な「ペルセポリスの碑文」が発見されています。そこには、「(余は)偉大なる王、諸王の王、諸邦の王」という文章が刻まれています。

ペルセポリスへのアクセス

世界遺産ペルセポリスへ行くには、最寄りの大都市シーラーズを拠点とするとよいでしょう。シーラーズ国際空港へは、テヘランやドーハ、ドバイなどからの飛行機が就航しています。また、バスでテヘランからからエスファファーン経由で行く方法もあります。

シーラーズからはミニバスでマルヴダシュト行きのバスで終点まで。そこから乗り合いタクシーでペルセポリス遺跡前まで行くのが一般的です。タクシーやミニバスに乗る際には、料金交渉が必要です。

ペルセポリス遺跡の目の前にはリゾートホテルもあるので、ゆっくり数日滞在してじっくりペルセポリス観光とバカンスを楽しむこともできますよ。

ペルセポリスのおすすめポイント① : クセルクセス門

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世界遺産ペルセポリスは、紀元前6世紀にダレイオス1世が作ったといわれています。神殿では帝国の戴冠式や朝貢、祭典などさまざまな儀式が行われていました。その世界遺産の神殿の入口には、巨大な門があります。正式には「万国の門」というものなのですが、ダレイオス1世の息子クセルクセス1世が建造したことから「クセルクセス門」と呼ばれています。

世界遺産ペルセポリスのクセルクセス門には、人間の顔と翼をもった牡牛「人面有翼獣神」の巨像が建っています。この像は偶像崇拝を禁止するイスラム教徒によって頭が落とされていますが、迫力があり訪れる人を圧倒します。世界遺産のクセルクセス門には碑文が刻まれていて、「(余は)クセルクセス、偉大なる王、諸王の王(中略)アフラ・マズダの恩寵により、この万国の門を余が建造した」と書かれています。また門を入ったところには、幸福を意味する伝説の鳥ホマや、牝牛の像などが並んでいます。

ペルセポリスのおすすめポイント② : 宮殿遺跡

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クセルクセス門をくぐると、広大な宮殿遺跡が広がっています。ここにはアパダーナ(謁見の間)や中央宮殿、百柱の間(王座の間)、ハディーシュ(クセルクセス1世の宮殿)など多くの建物がありました。王座殿には100本の柱が立っていたといわれていますが、大きな柱はほとんど残っていません。謁見の間に、かろうじて12本が残っているのみです。

謁見の間は宮殿のなかでも最も重要な場所で、属国からの貢物を受け取ったり祭儀が行われていたと考えられています。謁見の間の東側の階段にはたくさんのレリーフが刻まれているので、忘れずに見てみてください。諸国の使者の朝貢のようすが詳しく刻まれていて、北アフリカから西インドまで支配したペルシア帝国の広大さと栄華を実感することができます。

ペルセポリスのおすすめポイント③ : ダレイオス1世の宮殿

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タチャラと呼ばれる空間は、ダレイオス1世の居住区です。世界遺産ペルセポリスの謁見の間や王座の間が公式の場とすれば、タチャラは王のプライベートな空間でした。ここは謁見の間より2mほど高い場所に作られていて、いくつもの部屋に区切られていました。

世界遺産ペルセポリスの他の部屋は、柱が崩壊して基盤しか残っていないのですが、タチャラには多くの中規模の柱が残っています。ゾロアスター教の「有翼の日輪」の図案や、有名な「雄牛を襲うライオン」のレリーフも必見ですよ。

◎まとめ

最盛期のアケメネス朝ペルシャの領土は広く、ダレイオス1世はペルセポリスのほかにも4つの王都を建築しています。ペルセポリスは「都」といっても、王が常時滞在するところではなかったのです。

新年祭が催される時期になると街には活気が戻り、各国から多くの使者が貢物をもってペルセポリスを訪れました。その使者の列は長く続いたそうで、ペルセポリスは実質的な政治を行う都ではなく、王の権力や権威を誇示するために作られたものだったと考えられています。

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