名称:東明王陵および真坡里古墳群
住所:朝鮮民主主義人民共和国 平壌市 力浦区域
名称:江西三墓、徳興里古墳、薬水里古墳、修山里古墳
住所:朝鮮民主主義人民共和国 平安南道 江西郡
名称:安岳1号墳、安岳2号墳、安岳3号墳
住所:朝鮮民主主義人民共和国 黄海南道 安岳郡
公式・関連サイトURL:http://whc.unesco.org/en/list/1091
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)には2つ世界遺産があります。そのうち2004年に登録されたのがこの「高句麗(コグリョ)古墳群」です。高句麗は紀元前1世紀中頃から約700年にわたって繁栄した国で、当時の都があった現在の平壌(ピョンヤン)市周辺には高句麗時代の壁画古墳が現在も数多く残されています。
平壌市と隣接する南浦(ナムポ)市には王族や貴族の古墳があり、周辺の平安南道(ピョンアンナムド)や黄海南道(ファンヘナムド)にも広く分布しているんですよ。また、「高句麗古墳群」には高句麗と日本に深い関わりがあったことを示す壁画なども描かれており、大変興味深い世界遺産となっています。
それでは、朝鮮民主主義人民共和国の世界遺産「高句麗古墳群」についてご紹介していきましょう。
目次
騎馬民族が描いた壁画が語る北朝鮮の世界遺産!高句麗古墳群
高句麗古墳群とは?
世界遺産「高句麗(コグリョ)古墳群」は、4世紀から7世紀にかけて作られた古墳群です。かつての高句麗地区である中国東北部から朝鮮半島北部の広範囲に渡って分布しており、東明王陵(トンミョンワンルン)や湖南里(ホナムリ)四神塚など、計63基の古墳で形成されています。この古墳群のうちの16基には、高句麗時代の人々の生活ぶりや文化、風習など今に伝える彩色豊かな壁画が描かれているんですよ。
実は世界遺産に登録されるまでには大変な苦労がありました。元々は2003年に世界遺産に登録されるはずでしたが、中国が北朝鮮単独での世界遺産登録を反対。結局、見送られてしまったのです。
しかし、2004年に中国の「古代高句麗王国の首都と古墳群」として、また、北朝鮮の「高句麗古墳群」として共に世界遺産に登録されることとなりました。
これには日本人画家の平山郁夫氏がユネスコ親善大使として北朝鮮に渡り、高く評価していた「高句麗古墳の壁画」の魅力をユネスコに訴えたという影の努力があったのだとか。古墳内の壁画は、当時の暮らしぶりや文化水準を表す貴重な資料として様々な分野で注目を浴びています。
高句麗古墳群へのアクセス
日本と北朝鮮は国交がないため、自由に行き来することができません。入国するには、経由地である中国査証の代理申請が必要になります。中国総領事館で許可申請をし許可を受けてから、旅行代理店のツアーに参加しましょう。基本的にガイド無しで自由に観光することはできません。
高句麗古墳群のおすすめポイント
◆安岳3号墳
高句麗古墳群の中でも多彩な壁画が描かれていることで有名なのが、黄海南道安岳郡にある「安岳(アナク)3号墳」です。この古墳は1500年以上も前に建てられたもので、その規模は縦30m、横30m、高さ7mにも及びます。中には複数の部屋が造られており、主室は回廊に囲まれ前後に八角柱が立っているのが特徴です。
印象的な壁画は、墓主夫人像と当時の暮らしぶりを垣間見ることができる台所の様子が描かれたもの。
墓主婦人は非常に丁寧に描かれており、その描写や規模などが優れていると高い評価を得ています。
農耕が発展していたことを象徴する引き車や、騎馬戦が盛んであったことを示す馬と武器の絵など、高句麗の人々の生活が豊かであったことを表す壁画は、歴史的にも大変価値があるものなのです。
安岳3号墳最大の壁画として知られている出行行列図には、なんと250人もの人物が描かれているのだとか。高句麗の人々は「死後も人間は生き続けている」と信じていたため、墓には生存時の様子を克明に描いていたようです。そんな安岳3号墳の壁画たちは国宝にも指定されています。
◆徳興里古墳
世界遺産「高句麗古墳群」の中で安岳3号墳と並んで壁画で有名なのが「徳興里(トクフンリ)古墳」。
この古墳は、首都・平壌から20km程離れた平安南道南浦市にある舞鶴山(ムハクサン)麓に位置します。
前後に2つある墓室全体が壁画で埋め尽くされているのが特徴で、墓の主は409年に死去した鎮(チン)将軍であったとの記録が残されているのだとか。
騎馬軍団の壁画には、兵士はもちろん馬までもが甲冑を纏っている姿が描かれており、当時の高句麗が強大な軍事力を持ち勢力を広めていったことを物語っています。後室には、日本でも行われていた流鏑馬(やぶさめ)の原形のようなものが描かれいるそうですよ。これは競技として楽しんでいたことを表しているのですが、驚くことにそこには審査員まで描かれているのです。
◆壁画の魅力
「高句麗古墳群」には、朝鮮が日本と深い関りがあったことを確認できる壁画がたくさんあります。
ほとんどの古墳の壁画には、墓主が狩猟や遊戯を楽しむ日常生活の様子のほかに天文図や四神図なども描かれおり、高句麗という国の文化レベルの高さや生活水準の豊かさを知る事ができます。
「修山里(スサンリ)古墳」の壁画はかなり傷んでいますが、高句麗時代の文化を確認できる貴重な資料として有名。なんとここには、朝鮮の民族衣装「チマチョゴリ」に似た服を着た女性が描かれているのです。身分が高い女性は赤と青の民族衣装を身に付けているなど、既にこの時代に身分階級が存在したということもわかっています。
この衣装を着た女性は、日本の明日香村にある「高松塚古墳」に描かれた女性に酷似していると言われていて、朝鮮と日本との深いつながりを表現しているかのようです。先程ご紹介した天文図や四神図も、同じく高松塚古墳に描かれているそうですよ。
◎まとめ
今回は壁画を中心にご紹介しましたが、実は古墳の構造も非常に巧みで、高い土木技術を持っていたこともこの「高句麗古墳群」から確認することができます。残念ながら高句麗(コグリョ)は7世紀に唐と新羅の連合軍に滅ぼされてしまいましたが、独自の高い文化を持っていた民族であったことに間違いはありません。近くて遠い国・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の世界遺産をぜひ見に訪れてみてくださいね!